これは、10年以上前の話になります。
当時、私はお世話になってた編集長の依頼で、心霊特集ムック本の編集を手伝っていました。
しかし、その本は作業中に突然発生したトラブルの影響で、頓挫しました。
詳しくは、過去に記した「第1談 心霊本の編集作業中に起きた怪異」をご参照ください。
私は、作業中断するまで誌面に掲載するための読者の体験談を選定する業務を担当しておりました。
その作業中に、最も印象に残った一通の読者投稿の話をさせてください。
私は、その投稿を誌面に採用するつもりでしたので、内容全体を手帳にメモしておりました。
ここからは、現在も残ってるメモの内容を元に、地名や生々しい描写などは一部省略した形でお送りいたしますので、ご覧ください。
差出人はA太郎さん(男性・年齢不詳)。封筒には筆ペンで書かれた住所と宛名。中には黄ばんだ便箋が数枚、丁寧な字でぎっしりと埋められていました。
その内容は、彼の故郷、某地方の山間部の村に残る〝風習〟に関するものでした。
A太郎さんの村には〝
彼は、高校卒業まで、その村で育ったそうです。
周囲の山は深く、地図には載らない旧道を越えた先に集落が点在し、村人の多くは今でも外界と接点の少ない暮らしを送っていると語られていました。
そんな村で、特定の条件下にのみ行われるのが〝性葬の儀式〟でした。
妻が先立ち、夫が20代から40代である場合。葬儀の前夜、その夫は亡き妻と「最後の性交渉」を行うというものでした。
「愛し合う者同士が〝生者と死者の垣根を越えて、体を交えてから別れる〟事で、魂が彷徨わず極楽浄土へ旅立てる」
そう村の中では、言い伝えられていたそうです。
ただし、A太郎さん自身は独身かつ両親も健在だったため、はっきりと見た事は一度も無かったそうです。
しかし、彼が、儀式に該当する家の前を夜通りかかった時、女性のすすり泣くような声や、布を擦るような音を耳にした事は数回あったと書かれていました。
儀式は、こう伝えられていたそうです。
妻の遺体は、村の決まったやり方で洗い清められ、白装束を脱がされて裸のまま、夫婦の寝室に運ばれる。
灯りは消し、代わりに白蝋燭をともす。
裸となった夫は、静かに妻の名を何度か呼び、念仏のような節回しの文言を唱え、そして……。
この後の内容も記述されているのですが、読者様によっては気分を害される方もいるかと思いますので、省略させて頂きます。
申し訳ございませんが、読者様各自のご想像にお任せいたします。
当時、私はその手紙の内容が凄まじかったので、読んでいる間、手の平がじっとりと汗ばみ、便箋をめくる指先が冷えていくような奇妙な感覚がありました。
儀式に関してですが、終えた後、実際に精神を病んだ人間が出たり、感染症と思しき病に倒れた例もあったそうです。‶穢れ〟という言葉で語られることもあり、若い世代はなるべく避けたがったとも記されていました。
ただ、それでも村では、一定の「順守すべきもの」として黙認されていたようです。
A太郎さんは一つの具体例として、B次郎さん(仮名30代)という人物の話を記していました。
B次郎さんは、村でも有名な素行の悪い男で、酒、女、博打……とにかく欲のままに生きていたそうです。
そんな彼にも妻がいました。その名前は手紙には記されていませんでしたが、文面によれば、どこか儚げな雰囲気をまとった女性だったそうです。
結婚して村に入ってきた外の人間で、最初のうちは笑顔も多く、村の婦人会にも顔を出していたといいます。
けれど、結婚生活が数年を越えたころから、彼女の姿を村で見かけることが極端に少なくなったそうです。
B次郎さんの酒癖の悪さや、家計を博打に費やすことで、彼女を苦しめてる事は村内でも知られていました。
それでも、村の空気として「よその女が文句を言える筋合いではない」「男の稼ぎを咎めるな」といった風潮が根強く、誰も彼女に手を差し伸べようとはしなかった。
A太郎さんの母親が言うには、彼女が一人で集落を歩いてると、子供たちが無邪気に「お化けの母ちゃんだー」とからかっていた光景も目撃されたそうです。
いつ頃からか、B次郎さんの家から、夜ごと〝女のすすり泣く声が、雨も降っていない夜に軒の下から聞こえる〟という噂も立ち始めていました。
それでも彼女は、誰に何を求めるでもなく、夫の暴虐に耐えて静かに生活を続けていたそうです。
しかし、ある晩、彼女は自宅の風呂場で手首を切って亡くなってしまいした。
遺書は、白紙に滲んだような文字で、たった一言
「あなたの裏切りと身勝手さには、もう疲れました」
と、書かれていました。
風呂の湯はまだ温かく、近所の者が気づいた時には、湯の中の彼女の顔が、まるで〝眠っているようだった〟と語られていたそうです。
ただ、奇妙な事が一つだけありました。
彼女が亡くなっていた風呂場の壁に、〝何かを引っ掻いたような痕〟が無数についていたそうです。
まるで、誰かが爪で、外に出ようとして引っかいたかのように……。
警察は「浴室での転倒の際にできたもの」と処理したそうですが、それにしては、あまりにも数が多くて深すぎる……と、発見者の一人は小声で漏らしたといいます。
そんな最期であっても、村の掟は掟。
無法者のB次郎さんも、村人達の圧力には逆らえず、性葬の儀に臨むことになったのです。
儀式当日の夜のこと。
A太郎さんは、親の使いでたまたまB次郎さん宅の前を通りかかりました。
家の中は真っ暗で、ただ一室の障子の向こうだけ、揺らぐような蝋燭の灯りが見えたそうです。
その時、聞こえたそうです。
濡れた木綿布を絞るような音、ぐじゅ……ぬちゅ……ぬちゅ……という、水を吸った肉を撫でるような柔らかくも粘着質な音が、障子一枚越しに、彼の耳の奥へ這い込んできたといいます。
A太郎さんは思わず足を止め、その場に立ち尽くしました。。
それに続いて、かすかに鼻を刺す生肉が腐乱したような臭いも漂ってきました。それが線香の香りと混じり、異様な湿気とともに、風に乗ってAさんの鼻腔を撫でたといいます。
彼が(薄気味悪いな)と思ったその瞬間、B次郎さんの家の障子が僅かに揺れたそうです。
風など吹いていないにも関わらず、一枚の障子が波のように小さく脈打ち〝中から〟呼吸しているように見えたそうです。
(見てはいけない)
A太郎さんが、そう思った時には、すでに足は勝手にB次郎さんの家から逃げるように動いていたそうです。
……翌朝、B次郎さんは村の神社に駆け込み、神主の前に崩れ落ちるように座り込んで、こう言ったそうです。
「見たんだよ!死んだはずの…あいつの目が……開いた!俺の顔、ずっと見てた。瞬きもしないで、笑ってるのか、怒ってるのかも分からねえ!頼む!見逃してくれ!性葬の儀なんて嫌だよぉぉ!!」
B次郎さんの話によれば、妻の遺体と儀式を行おうとした直前、彼女の目がカッと開いたそうです。
その目は黒く濁っており、真っ黒な空洞のようにも見えたとも、彼は言っていました。
怯える彼を見て神主や、騒ぎを聞いて駆けつけた年配の村人たちは「村の掟を破ることは許されない」と言う一方で、集まった人の中からは「こんな風習は、もうやめにしろ」と呟く声もあったと証言する者もいました。
ただし、その儀式を否定する発言を誰が口にしたのか?そもそも誰が聞いたのか?その辺りの話になると、村人たちは口を閉ざしたそうです。
その後、性葬に耐えきれなくなったB次郎さんは、夜逃げ同然で村を出て行ったそうです。
ただ、無人となった彼の家の奥からは、夜になると時折、風もないのに障子がカタリ……と音を立てたり、玄関先から話し声のようなものが聞こえるようになったとも記されていました。
A太郎さんは、その数年後に村を出て上京したとのことですが、ふと帰省した折、両親にこう言われたそうです。
「まだ、あの儀式やってる家はあるらしいよ。けどもう、誰も見ようとしないし、話にも出さない」
A太郎さんの手紙は、「あれは本当に魂を送るための儀式なのか?それとも何かを呼び込む手順なのか?それすら分からない」と結ばれていました。
この現代においても、その村では〝性葬〟が行われているのか? それとも廃止されたのか?
A太郎さんと連絡が取れない今となっては、私にはそれを確認する術はありません......。