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第44談 アナタは、だぁれ??

 今回は、この作品でも度々紹介してきた私の知人で女優の宮坂真理(芸名)さんの体験談の1つです。


 私が宮坂さんと出会った経緯については、第25談「トンネルの中で⋯」をご参照ください。



 宮坂真理さんは、人よりほんの少し、見えてはいけないものを見たり、感じてはいけない空気に敏感な方で、その性質ゆえか幼少期より様々な不思議な体験をされています。



 今回の話は、そんな彼女が前の結婚で、名古屋近郊にあるH家に住んでいた頃の体験です。



 その結婚から1年が経った頃。夫の実家・H家での同居が決まり、宮坂さんは二つ返事で承諾しました。名古屋市まで電車で30分足らず。便利な立地に、古いお寺と商業施設が入り混じる町並みも気に入ったからです。



 何より、JR駅から徒歩2分という家の位置が、職場も変えずに済んだので、ありがたかったそうです。


 引っ越し当日、H家の2階部分。使われていない2LDKのスペースに、宮坂さん夫婦は移り住みました。


 1階に義母が暮らし、2階はまるで「別世帯」のようでした。


 午後、ダンボールの整理に追われながら、宮坂さんは2階の和室にいました。リビングと隣接した六畳のその部屋は、長く使われていなかったらしく、空気に少し湿り気がありました。



 畳の匂いにまじって、どこか古い漆のような、焦げた木のような、そんな香りもしたそうです。



 ふと、襖の隙間から差し込む廊下の光に、誰かの影がよぎりました。



 リビングの方へと、ゆっくり歩いていく後ろ姿。



 反射的に顔を上げた宮坂さんの目に映ったのは、灰色のシャツに濃いグレーのズボン。そして、ありえないほど湾曲した背中。



 ……せむしの中年男でした。



 喉の奥がヒリつくような、乾いた空気の一瞬。だが恐怖はありません。不思議と〝彼〟に対して言葉が出ました。


 「今日から、一緒に住まわせていただきます。嫁の真理です。よろしくお願いします」


 消えかけるせむし男の背中に、彼女は深く頭を下げました。



 静寂が、畳に落ちた埃と共にゆっくりと舞っていた。



 彼女が頭を上げた時、男の姿は、もう見えなくなっていました。



 間もなく夫が階段を上がってきて、2階に顔を出しました。



 「今さ……」と宮坂さんが話し始めると、彼はぴたりと動きを止めます。



 「言うな。知ってるから。母ちゃんもすれ違ってる。あの人は、この家に〝いる〟から」



 彼の口調には、慣れきった疲労のようなものと、説明を拒絶する壁のような重さがあったそうです。


 宮坂さんは何も言い返せませんでした。けれど、(あの瞬間から何かが変わった)と確信したと語ってくれました。



 最初の異変は、ささやかなものでした。



 洋室の電気が、つけた覚えのないタイミングで点いていたり、逆に確かに点いていたはずの明かりが、たった1分の間に消えたりしました。



 その時の記憶は曖昧でした。階段を下りながら、電球が〝チリチリ〟と微かに軋むような音を立てていたのを妙に鮮明に覚えているのに、肝心の(いつ消えたか)はまったく思い出せません。



 「ねえ?洋室の電気を消した?」



 「いや?触ってないけど」



 夫は、ソファから一歩も動いていませんでした。



 ある日の事。



 彼女は、リビングで1人ソファに座って昼のサスペンスドラマを観ていました。脚を投げ出し、温かい緑茶をすすりながら。



 何の前触れもなく、画面がバラエティ番組に切り替わりました。



 軽快な笑い声と派手な効果音。


 「あれ?」と呟きながら、テーブルに置いたリモコンを手に取り、再度ドラマに戻す。



 数秒後、またもバラエティ番組に画面は切り替わりました。



 〝ザラリ〟とソファのクッションが右側で沈んだような気がしたので、視線をそちらに向けました。



 しかし、誰もいません。室内の光も音も、特に変わった様子はありません。



 ……ただ、その直後、ほんの一瞬ですが、耳の奥が〝詰まる〟ような感覚があったそうです。まるで飛行機の離陸直前のように、耳の内側が〝キィン〟と鳴っていました。



 「どうぞ」



 思わず、誰にともなく宮坂さんの口から声が漏れました。



 すると番組が、バラエティから通販番組へ、また元のドラマへと立て続けに切り替わったのです。


 何かの確認をされているような、不思議な間合いだったように思えました。


 そんな日々が続くうち、宮坂さんは〝その原因〟を「せむしの中年男性」だと考えるようになりました。


 悪さをしている感じはしません。けれど、確かに〝自分たちの生活に関わってきている〟と感じました。



 そのため、宮坂さんは、電気が消えた時には「ありがとうございます」と言って、テレビを変えられた時には「ごめんなさい」と頭を下げるようになりました。



 すると、一連の不思議な現象は、減少したように思えました。



 ある晩。彼女は、リビングにいてふと気がつきました。



 この部屋は、1階の仏間の〝ちょうど真上〟に位置しています。



 夫に、何気なくそう言うと、彼は一瞬だけ顔をこわばらせ、すぐに話題を逸らしました。



 まるで何かを知っているような。いや、〝思い出したくない〟ような表情に見えたそうです。



 宮坂さんの周りで起きた体験は、引っ越し当日に見た〝せむしの中年男性〟の幽霊の仕業なのか?それともただの偶然なのか?



 それは、彼女自身にも分からないそうです。



 けれど、確かに〝そこに誰かいる〟という気配だけは、H家の2階から常に漂っていたといいます……。

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