さやかが一年ぶりに本邸に立ち入ったとき、さやかが驚いたのはその変わりようだった。
一年前も屋敷の主は義父だったが、義父は別邸に囲ったさやかの母のところで寝食を共にしていて、本邸の管理は正妻に任せていた。本邸は権威と銘品を好む正妻の力で常に煌びやかに彩られていて、共に住む三人の息子たちの個性もそれぞれに、豪邸の呼び名に恥じないありようだった。
さやかは先導する使用人にそっと言葉を投げかける。
「ずいぶん変わったね。カーテンも、灯りの色も違う……」
「奥様がいらっしゃるときに、旦那様がすべて変えるようにと言いつけましたから」
紅色のベルベットで統一されていたカーテンは、午後の日差しに映えるような新緑色に入れ替えられていた。意匠を凝らしたシャンデリアも取り外され、穏やかな赤茶色のアンティークライトに変わっている。
長らく別邸で母と一緒に暮らしていたさやかは知っている。それらは病弱で塞ぎがちな母のために、義父が医者とデザイナーを呼んで別邸に揃えた物と同じだった。
「なんだか静かなところになったね。……お兄ちゃんたちがいないのも、あるんだろうけど」
正妻は元々持っていた別の屋敷に移り住み、三人の息子たちもそれぞれ外に出た。世話をする者たちが減れば使用人も減るだろう。ただそれだけではなく……いつも正妻によって客人が招かれていた以前と違って、義父はさやかの母に人を会わせるのを極端に嫌う。
使用人はふと物哀しいような微笑みを浮かべて言う。
「使用人の数は減ってはおりませんよ。奥様が健やかに生活されるように、旦那様は日々心を尽くしておられます」
使用人の微笑みは苦いもので、さやかもその意図を察した。
「旦那様は昔から、奥様には何も惜しまない方ですから。……ただ旦那様が何を与えると言っても、奥様が喜んだことはないのですが」
使用人が立ち止まった居室で、さやかも足を止める。
使用人がノックをして、中から義父の応じる声があった。使用人が扉を開いて、さやかだけが中に立ち入る。
義父はソファーに座ってさやかを待っていた。さやかに向かいの席を勧めて言う。
「さやか、よく来た」
義父はもう五十になろうという年だが、若々しく、その覇気に衰えは見えない。
ただ、極道の名を体現したように頑健な体と強いまなざしを持つ義父だが……さやかはこの義父に恐れ以外の感情も持っている。
「
義父は離れていてもさやかと義兄のことを見守って心配していて、そこに優しさを感じられないほどさやかは子どもではない。
さやかは淡く笑うと、義父を安心させるように返す。
「私は元気でやっています。兄さんもとても優しいです。兄さんのおかげで、大学もちゃんと通えているんですよ」
義父はさやかの膝先まで身を乗り出すと、低い声でそっと言う。
「もっとよく顔を見せてくれ」
さやかもうなずいて膝を寄せる。義父はさやかの頬を大きな手で包んで、ふと微笑む。
「……よく似てきた。ずっと弱くて、明日も知れないのが不憫でならなかった。お前が無事に育って本当によかった」
使用人たちや義兄は、義父がさやかの母にしか関心がないように言うが、それは違う。
確かに義父はさやかの向こうに母を見ている。けれどそこには伴侶と共に育てた子に対する、確かな父親の愛もある。
義父は体を離すと、給仕を呼んで紅茶を運ばせた。名家の主たる義父は、そうやって人に命じるのに慣れた人なのだった。
「さやか?」
……カップの取っ手を愛おしむように掴む仕草は、お兄ちゃんとおんなじ。さやかはそう思って、自分も義父の向こうに義兄を見ていると気づくことがある。
さやかだって世界の中心は義兄のように思っている。だから母を中心に世界を見る義父に、親近感さえ覚えることがある。
どうしてお兄ちゃんとお義父さんは仲が悪いのだろう。二人とも愛情深くて、優しいのに。さやかにはもどかしく感じるときもある。
さやかは首を横に振って、義父をみつめ返しながら言う。
「なんでも……ないです。お義父さんと会うのが久しぶりなので、ちょっと子どもに還っていました」
その言葉に、義父はどうしてか苦い笑みを浮かべた。
そのとき、隣室で子どもがぐずるような声が聞こえた。義父は反射のように立ち上がってそちらに向かおうとして、戸口で足を止める。
「最近子ども還りが進んでな。少し遅れてから入っておいで」
さやかにそう告げてから、義父は優しく母の名を呼ぶ。
「ひなこ、どうした? さっきまでご機嫌だっただろう?」
義父はもうさやかのことなど忘れたように足早に隣室へ姿を消す。
さやかは少しだけ寂しさを感じながら、母と対面するその時を待っていた。