さやかと義兄が初めて体を重ねた夜は、二人にとって大きな変化だった。
二人は一緒にお風呂に入ることも、一緒のベッドで眠ることも数えきれないほどあったけれど、その境界を越えたことはなかった。
……たぶんさやかの心が、まだつぼみのように幼いのを義兄は知っていた。義兄はそんなさやかを傷つけるのを恐れたのだろうと、さやかは思う。
さやかの弱さは義兄に申し訳ないほどすぐに形に出た。二人が結ばれた翌日、さやかは早速熱を出したのだった。
さやかは恥ずかしさで自分の顔を覆ったまま、かすれた声で義兄で言った。
「お兄ちゃん、仕事に行って来て……大丈夫だから」
「今日は家にいるよ。さっちゃん、体がつらいんだろう?」
「う、ううん」
心配そうにさやかの額に触れた義兄の手を、さやかはいつものように握り返せない。きっと昨日の熱を思い出してもっと熱を高くしてしまう。
さやかは熱でうるんだ目のせいであまり説得力はないと思いながら、一生懸命言う。
「私だってお兄ちゃんのために何かしたい。お兄ちゃんがお仕事がんばるときは、ちゃんと背中を押したいの。よほど悪化するなら連絡する。行って来て」
義兄はベッドの横で思案顔になったが、そっとさやかの額に口づけて苦笑する。
「わ! え、えと」
「もう、さっちゃんは。……ずっとかわいかったけど、もっとかわいくなってる。困った子だなぁ」
義兄はさやかの耳にもキスを落とすと、体を離して立ち上がる。
「じゃあ行くけど、さっちゃんはよく休んでるんだよ。今日は畑いじりもしちゃダメ。今日は早く帰るから、いい子にしておいで?」
義兄はいつものようにさやかの髪や頬を撫でていく。そんな仕草も今朝は気恥ずかしくて、さやかは口元までシーツに埋もれながらこくこくとうなずいていた。
義兄が出て行って一人になったさやかは、しばらく枕を抱きしめて体を小さくしていた。
……昨夜のことは、実は夢だったんじゃないかと思ってしまう。
子どものような、弱く頼りない自分。そんなさやかの体を義兄は隅々まで愛でて、義兄の体と何度もつながった。さやかのコンプレックスである女性のしるしも、義兄は優しく包み込んで愛しんでくれた。
行為の後、義兄はさやかを腕に抱きながらささやいた。
――さっちゃん、鎖をつけちゃだめ?
それは冗談には違いなかったのだろうけど、義兄の目は妖しく誘っているようでもあった。
――俺、さっちゃんがどこにも行かない確信が欲しいんだ。誰にもさっちゃんを見せたくないし、いつまでも俺だけのさっちゃんでいて欲しいんだ。宝物みたいに大事に大事にするよ。さっちゃんが何にも不自由ないように、一生俺が世話をする……。
義兄はそう言ってから、さやかの首筋に顔を埋めて首を横に振った。
――ごめん。そんなこと言うのは俺が弱い証拠だ。
義兄は自分を責めるように、苦い声音でつぶやいた。
――だめだね。そんなこと俺がしようとしたら、さっちゃんは嫌だって泣いてほしい。俺はさっちゃんをお母さんみたいにしたいわけじゃない。俺はさっちゃんに笑っていてほしい……。
二律背反に黙りこくった義兄に、さやかは満足に答えることができなかった。
いつか義兄は、自分は人間としてはもう狂っていると言っていた。でもさやかはそうとは思わない。義兄はいつだってさやかへの労わりと優しさを忘れずにいてくれた。義父のように、愛しい人の羽を切ってしまうようなことはしなかった。
――……おい。さっちゃんに何をした?
熱で浮かされた頭で、さやかは幼い日のことを少し思い出す。
子どもの頃の義兄は、気の弱さを義父に怒られることも多かった。……でも一度だけさやかを突き飛ばした親類の子どもを、立ち上がれないくらに殴り続けたことがある。
義父はそのことで、怒るどころか芯の強さを見せたと、満足したようだった。たださやかは、それこそが義兄の心の繊細なところじゃないかなと、心配になった。
義兄はさやかを思う気持ちで、時々不安定なことをしてしまう。さやかはそんな義兄を、守ってあげたいと思う。
さやかはこれからいつも、義兄の体を包んでいけたらと思っている。でもいつか義兄の心も包んであげられるように、強くなりたい。
「お兄ちゃんを、守りたいもの……」
今はまだ頼りない心と体。だけど幼い日から募らせた思いは、誰にも負けないつもりだから。
さやかは胸に決意を宿して、せめて少し勉強をしようと、枕元の本を引き寄せたのだった。