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25 若頭と小鳥の安らぎの刻

 呉葉と食事をして帰った日の夜、さやかは夢を見た。

 外は花盛りの春の頃だった。義父が本邸で、中学生になったばかりの義兄に短刀を渡した。

 これからはお前も家業の席に着く。……身を守るためだ、持っておけ。そう言った義父の前で、義兄は一瞬沈黙した。

 さやかはまだ幼くて短刀が何かも理解できなかったけれど、義父が恐ろしいことを言ったのはわかった。さやかは怯えて、呉葉の背の後ろできゅっと呉葉の服の裾を握りしめた。

 でも義兄が沈黙した時間は長くなかった。義兄は義父を見上げて言った。

 ……よかった。ちょうど、守る力が欲しかったんだ。

 義兄は少しだけ笑って、義父から短刀を受け取った。それを懐に仕舞うと、義兄はさやかに振り向いて手招いた。

 たたっと走り寄ったさやかを、義兄は高い高いして、さやかの頬に自分の頬を寄せた。

 さっちゃん、にこにこってして? そうささやいた義兄がいつも通りだったから、さやかは安心して笑い返した。

 その頃から、義兄が気の弱い子どもだと言われることはなくなった。ある種別世界への立ち入りを認められた義兄は、そこから多くの武器を身に帯びて……それを使うようにも、なったのだろう。

 私には今も、武器に触れさせたことさえないけれど……。さやかがそう思ったとき、足にひやりとした感覚を感じた。

 さやかが目を開くと、そこは自室のベッドの中だった。まだ夜中だったけれど、枕元のランプをつけたままで、そのまぶしさに少し目を細めた。

「起こしちゃった?」

 そしてさやかの隣に義兄が寝そべって、さやかの右足首をつかんでいた。

 その力加減は真綿を包むように優しいけれど、冷たい指先にどきりとした。息が触れる距離でさやかを見下ろす義兄の目も、どこか危うかった。

 さやかは夢から現実に帰って来ると、今日一日あったことを思い返した。

「……お兄ちゃん。まだ怒ってる?」

 その中で今朝義兄と喧嘩をしたことも蘇って、さやかはばつが悪そうに目をそらす。

 義兄はふっと息をもらして笑うと、さやかの頬に触れながら言う。

「怒ってはいないよ。ただ俺がさっちゃんに……今の暮らしの中で不安を感じさせちゃったのかなって、今日一日考えてた」

 さやかは慌てて顔を上げて義兄に返す。

「ううん! 今の暮らしで不安があるわけじゃないの。お兄ちゃんが悪いわけでもない。ただ、私が……」

 さやかは一度言いよどんで、言葉に詰まりながら言う。

「私も……お兄ちゃんを守りたくて。でも私、お兄ちゃんの世界のことを今まで全然知らずにきたから、少しずつでも関わっていきたくて」

 じっと義兄が聞いてくれている気配を感じながら、さやかは一生懸命言葉を続ける。

「お、お仕事、邪魔しない。お兄ちゃんに迷惑かけないようにする。大学もちゃんと通う。く、くれはの言うことを聞いて、一生懸命お手伝いする。だから、私、私……」

「さっちゃん」

 ふいにさやかはふわりと抱きしめられて、言葉をやめる。

 義兄はさやかの頭の上で苦笑して、ぽつりとつぶやく。

「……ありがとう。さっちゃんに、俺はいつも救われてる。だから慌てなくていいんだ」

 義兄は自分の心と対話するように、さやかの背をなでながら言う。

「さっきね、さっちゃんの足を触って、小さいなって思ってた。子どもの頃からさっちゃんはどこも小さくて、きれいで。さっちゃんがこのまま寝込んで、どこも行けなくて、一生俺の世話が必要なのかなと思ったとき……そんな幸せな毎日なら、望むところだなって。……でもね」

 義兄はふとさやかの顔をのぞきこんで、ずっとさやかに降り注いできた優しさでもって言う。

「それは俺の独善だよ。たぶんさっちゃんは俺が思うほど弱くないんだ。……だからさっちゃんのしたいこと、やってみたらいいよ」

「お兄ちゃん……」

 さやかが目を輝かせると、義兄は念を押すように続ける。

「ただしちょっとずつ、だからね? 危ないときはすぐ逃げて、俺に助けを求めてね。知らない人にはついていっちゃだめだよ。あと……」

「う、うん。気を付ける」

 その後呉葉に言われたことを一通り義兄にも教え込まれたが、さやかは一つずつうなずいて聞いていた。

 義兄のお説教を聞いていたら、夜もすっかり更けてきた。さやかは次第に目がとろとろとしてきて、こくこくと舟を漕ぐようになる。

 心地いい眠気の中で、さやかはぽつりと問いかけた。

「お兄ちゃんは今も……お義父さんにもらった短刀、持ってる、の……?」

 義兄はさやかの眠気の邪魔をしないように、そっとさやかの前髪をかきあげながら言う。

「……そうだよ。身の回りから外すのは、さっちゃんと眠るときだけ。俺の一番安らぐときだ」

 義兄はさやかの額に口づけて、おやすみとささやく。

 さやかは目を閉じながら、今度こそ深い眠りに落ちて行った。

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