さやかは銘座に再会したとき、反射的に身が竦むのを感じた。
幼い日にいきなり後ろから抱きしめられたときのように、怖いと、泣きたい思いになった。銘座は義兄に面差し自体はよく似ているが、地の底のような瞳はまるで違う。銘座は加虐者の空気を色濃くまとい、さやかを怯えさせた。
青ざめてうつむいているさやかを見て、呉葉が銘座との間に入って言う。
「銘座、兄さんからさやかの前に姿を見せるなと言われたでしょう。用があるなら、さやかのいない夜に来てください」
「用があるのは呉葉じゃない」
銘座はさらりと断言して、さやかの方を見たようだった。
「……さやかの顔が見たかったんだ。この三週間、ひどい毎日だった。さやかの泣き顔の一つも見ないとやってられない」
ひどい毎日と聞いて、さやかは心が引っかかれた。もしかしたら自分のせいかもしれないと思って、こくんと息を呑む。
呉葉は呆れたように息を一つついて、銘座に言葉を返す。
「泣き顔はよしてください。あなたのそういう言動がさやかを怯えさせるんです。さやかは僕たちと違って繊細に出来ていて……」
「……あ、あの」
さやかは意を決して顔を上げると、そっと言葉を挟む。
「めいざは、お兄ちゃんから何か……ひどいことを、された、の?」
銘座は怖いけれど、さやかの中には彼をきょうだいだと思う気持ちも共存する。だから勇気を出して問いかけた。
揺れる瞳で銘座を見れば、彼は目に見えてやつれたようだった。体はどこも怪我をしているようではなかったけれど、それが義兄に言いつけられた何かのせいだとしたら、さやかもどうにかしてあげたかった。
さやかは呉葉を見て、まだ怯えながらも言う。
「めいざ、疲れてる……みたい。座ってもらって、その、お茶も……出していい……?」
「さやか、いいのですか?」
呉葉はさやかを心配そうに見返したが、さやかがこくんとうなずくと、仕方なさそうに奥を示した。
呉葉の仕事部屋に入ると、呉葉と銘座は向かい合ってソファーに掛けた。さやかがそろそろとお茶を淹れてきて銘座に出すと、銘座はさやかの手をつかむ。
「ひゃ……っ」
「銘座、よしなさい。叩き出しますよ」
呉葉は目を尖らせて叱責したが、銘座は昔からあまりこの次兄の言うことを聞かない。さやかの小さな手を遊ぶように握ると、不穏な笑い声を立てる。
「はは……かわいいのな、さやかは。いつもびくびくしてて、子ウサギみたいだ。箱に閉じ込めて飼ってやりたい」
銘座、と呉葉は再度冷えた声で警告する。
銘座はやっとさやかの手を離してくれて、さやかは慌てて銘座から距離を取る。
さやかは呉葉の隣に腰を下ろす。先に口を開いたのは呉葉だった。
「兄さんがあなたに任せた仕事は、確かにあなたには地獄だったでしょう。あれがこなせるのは兄さんだけですから」
「お兄ちゃんが……めいざに任せた仕事?」
「母さんの随行さ」
銘座がうんざりしたようにつぶやく。さやかはまばたきをして銘座を見た。
「お義母さん……?」
「母さんは金の匂いがする仕事が大好物だ。政界、芸能界、それも裏社会で悪徳な取引を吹っかけることに楽しみを持ってる。……一歩間違えれば、息子の俺も金に換える人だからな」
さやかが呉葉を見ると、呉葉も銘座のその言葉に異論はないようだった。さやかは不思議な心持ちがして、きょとんとつぶやく。
「お義母さんは……優しい……」
「ずっと兄さんと父さんが、あなたを籠の中の鳥のように守っていましたからね。でも世間では恐ろしい人なんです」
呉葉は苦虫をかみつぶしたような顔で応えて、言葉を続ける。
「母さんは自分に似て残酷な気質で、見目も麗しい兄さんしか自分の子どもとして認めていない節がある。だから今まで随行は兄さんしか許さなかったのですが、兄さんの側は同じ気持ちではなかったのでしょう」
さやかは義母のことを頭の中で思い浮かべる。さやかは別邸で育って、長い間本邸にいた義母とは交流自体ほとんどなかった。愛人の子であるさやかのことはよく思っていないだろうと想像するけれど、実は子どもの頃から義母にいじめられた記憶はない。
「母さんは近々、兄さんの屋敷に行くと言っていた」
銘座の言葉にさやかははっとして顔を上げる。
「母さんが言うには、「そろそろ藍紀の結婚相手を決める」……のだそうだ」
さやかは息を呑んで、隣に座る呉葉も小さく息をついた気配がした。