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29 若頭と小鳥の狂愛

 さやかはまだ幸せな夢を引きずっている自覚を持ちながら、側に立つ義兄を見上げた。

 華やいだ目鼻立ち、オーダーメイドの洒落たスーツが見惚れるほど似合う義兄。裏社会の住民の陰をまといながらも、その世界で堂々としている強さ。

「……この家を出て、一人暮らしをしようと思うの」

 そんな義兄と、いつまでも一緒なんて望んじゃいけない。さやかは今まで当然のように居座っていた自分にしょんぼりとして、義兄に言った。

「さっちゃんを一人になんてさせられない」

 義兄は顔を険しくして言い返す。

「外の世界は狼みたいな連中ばかりなんだよ。さっちゃんが傷つくのは目に見えてる。さっちゃん、自分のことわかってる? 体が弱くて、優しいいい子で……かわいくて。籠の中に閉じ込めてしまいたいくらい、かわいい子なんだよ」

 義兄はさやかの手を取って両手で包むと、さやかの顔をのぞきこみながら言う。

「ね、何でも俺にしてほしいことを言って? そうしたら叶えてみせるから。そのうちさっちゃんのための別荘だって買うつもりだったんだ。さっちゃんが望むなら庭も調度も全部変えたっていいから、二人で楽しく暮らそう?」

 義父も母を本邸に迎えるために、屋敷のカーテンも照明もすべて変えさせた。それを思い出して、さやかはまだ義兄に深く思われているのを感じる。

「だめだよ。私は、妹なんだよ……」

 ……でも義父と母は結婚した。だから義兄の愛情を受け取るべきなのは、義兄の結婚相手なのだ。さやかは子どものような素直さでそう思う。

 さやかが哀しい声で告げると、義兄ははっとして首を横に振る。

「俺が昨日言ったことを気にしてるんだね? ……さっちゃんに言っちゃだめだったね。ごめんね」

「ううん……私がお兄ちゃんと恋人みたいな気持ちでいたから、いけないの。私とお兄ちゃんは兄妹なんだから……」

 さやかはもう一度事実を口にして、またにじみそうになった目を一度閉じる。

 さやかにとって大好きなのは義兄だけで、その側にいられない未来は真っ暗にも思える。

 でも、義兄の幸せのためなら我慢できるかもしれない。今までは、大学から卒業したら義兄の仕事を手伝うつもりだった。ただ義兄の結婚相手が、そんな風にさやかが義兄につきまとうのを嫌がるなら、その未来だって変えてもいい。

 好きだけど、ずっとずっと、義兄の側にいたいけれど。でも……。

 迷宮に入って行くような思考の渦の中で、さやかの幼い思考が道を逸れた。

 さやかが一人だと、義兄が安心できないのだとしたら。一人じゃなきゃ……いい? 

 さやかは、ふいに目の前に現れた選択を口にしていた。

「……私、恋人を探すね。それで誰かと暮らして、いつか結婚して……」

 そうしたら、お兄ちゃんも安心できるでしょう?

 さやかがそう言葉を続けようとしたとき、さやかの手を包んでいた義兄の力が、痛いほどに強くなった。

 さやかが顔を上げると、そこに光の消えた目をした義兄を見た。義兄はまったくの暗黒の夜のような目でさやかを見下ろして、決まったことを告げるように言う。

「さっちゃんが結婚したら、俺はその相手を殺すよ」

 さやかが息を呑むと、義兄は淡々と言葉を続ける。

「さっちゃんの恋人も、同じ。さっちゃんに触れた奴がいても、殺すと思う。俺が我慢できるとは思えないから」

 義兄はふと狂ったような甘い目をしてさやかを見下ろす。

「それで、今度こそさっちゃんを屋敷に閉じ込めてさ。さっちゃんがもう一度俺だけに笑ってくれるように、甘々に何でもしてあげるんだ。さっちゃんがもういいよって言っても、やめてあげないんだ」

 さやかは義兄の狂気じみた思考を恐れるべきだったのかもしれない。でもそのときさやかが感じたのは、まだ義兄の中で自分は一番愛されているという安心だった。

 さやかはぎゅっと義兄を抱きしめると、泣きそうな声でささやく。

「お兄ちゃん……好き。だから、そんなことしちゃだめ」

 そうしたら義兄もさやかをぎゅうっと抱きしめ返して、切羽詰まった声で言う。

「ううん。さっちゃんが離れようとしたらそうする。さっちゃんがかわいくて、俺、自分がどうにもできないんだ。……行かないで、さっちゃん。俺の側にいて。結婚なんて言った俺を許して」

「最初から、お兄ちゃんのことは……全部許してる」

 もしかして義兄がさやかの結婚相手を殺す日が来ても、さやかは義兄を憎めないのだろう。

 さやかは義兄の背中をさすりながらつぶやく。

「私、やっぱり、恋人を作る……。お兄ちゃんの、ために」

「だめ。絶対だめ。……さっちゃんは、俺のなんだから」

 この強くて弱い人を、自分は愛しているから。だから外の世界に触れよう。……閉塞的な二人だけの関係が、義兄を蝕んでしまわないように。

「離して、お兄ちゃん。お兄ちゃんの、顔が見えないから……」

 さやかはそう訴えたけれど、その夜義兄はさやかを長いことそうやって抱いていて、なかなかさやかを離そうとしなかった。

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