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31 若頭と小鳥の誤解

 夜、目覚めると義兄のぬくもりに包まれていて安心する。

 揺りかごのような義兄の腕の中で、さやかは眠る義兄の端正な顔を見上げていた。

 さやかが恋人や一人暮らしのことを話して、義兄はまだ怒っているのだと思う。でも一緒に食事を取ったり、お風呂に入ったりすることはやめなくて……一日の終わりには、一緒のベッドで眠る。

 それは幸せな時間なのに……さやかはいつの間にか、もっと欲張りになっていたらしい。

 ずっと、恋人の行為をしていない。義兄はさやかに、俺はずっとお兄ちゃんだよとささやく。さやかが子どもの頃から続いていた兄妹関係を望んでいるのだと思っている。

 兄妹関係も、もちろん大事。けれどさやかの中には、義兄に触れてほしい気持ちもある。……俺のさやかと呼んで、義兄が普段見せない野蛮な欲望を目に映して、さやかの体を隅々まで愛してほしかった。

「……さっちゃん?」

 さやかは明け方に目覚めて、自分の寝室に戻ろうとするのだけど、そういうとき必ず義兄も目覚めてしまう。

 それは今夜も同じようだった。義兄は掠れた声でつぶやくと、さやかの体をぎゅうっと抱きしめる。

「お兄ちゃん、私、戻らなきゃ……」

「ここにいて。さっちゃんがいないと眠れない」

 義兄はさやかの首筋に顔を埋めてつぶやく。

「一人で目覚めるたび、どうしてさっちゃんを閉じ込めておかなかったのかって後悔する。こう……さっちゃんの足首に宝石をいっぱい嵌めた綺麗な鎖をつけてさ、俺の寝台につないでおくの。さっちゃんが嫌にならないように、俺、毎日さっちゃんの足をマッサージして、大事に大事に口づけるんだ」

「お兄ちゃん……」

「俺はさっちゃんさえいればいいから。他には何も要らない」

 さやかは義兄の体を少し離すと、柔く笑って言う。

「そんなこと言わないで、お兄ちゃん。これからいくらでも変わるから。でも……」

 さやかは義兄の頬に手を触れて、唇に優しいキスをする。

 顔を離した義兄は、少し驚いた顔をしていた。さやかはそんな義兄を見上げてささやく。

「……今は、私は全部お兄ちゃんのだから。お兄ちゃんの欲望、私にぶつけてほしいの。お兄ちゃんが何をしても、嫌になんてならないよ。……私の体で、気持ちよくなって?」

 さやかは義兄を抱き寄せると、耳をそっと甘噛みする。義兄の体がぴくりと震えた。

「さっちゃん……。だめ、そんなことしたら。俺、お兄ちゃんじゃなくなる」

「お兄ちゃんが気にするなら、今日は私がお兄ちゃんのためにしてあげる」

 さやかが義兄の体に手を滑らせると、義兄のさやかを包む腕の力が強くなった。

 義兄はあっけなくさやかを仰向けにすると、さやかの頬に手を当てて顔を覗き込む。

「……だめ。俺は父さんみたいに、さっちゃんを愛人にしたいわけじゃないんだ。さっちゃんは、俺だけで……俺はさっちゃんだけ。がんじがらめみたいな関係で、結ばれていたいんだ」

「おにい、ちゃ……」

 義兄はさやかの拙いキスのお返しのように、甘く長いキスをさやかに贈る。さやかは呼吸もできずに言葉をやめると、義兄は角度を変えて何度もさやかの唇を味わう。

 やっと嵐のようなキスを終えると、義兄は幸せそうに笑う。

「安心した。さっちゃんは俺のことを愛してる。それがわかっていれば、俺はまだ正気のままでいられる」

 義兄はさやかの頬に口づけを落としてささやく。

「さっちゃんと愛し合うのは、たまらなく甘い時間だけど。さっちゃんが俺だけ求めてくれるまで待つよ。……さっちゃん、覚悟して? 俺はさっちゃんを独占するためなら、聖者にも悪魔にもなるからね」

 そう言ってさやかを抱きしめた義兄に、さやかは泣きたいような思いですがりついた。

 朝、さやかは少し寝不足で目覚めたけれど、義兄は表情が落ち着いたように思えた。義兄が言ったとおり、さやかが義兄を愛しているのを理解してくれたようだった。

 さやかは大学に向かったが、情報版は見なかった。冷静になれば、さやかも義兄との暮らしが愛おしくて、義兄から離れて暮らすなんてできそうもない。恋人だって、口にはしたもののずっと思ってきた義兄以外の人など考えもつかなかった。

 ただ、義母は義兄の結婚相手を決めると言っていたらしいし、義兄も結婚に思うところがあるようだった。今、たまらなく義兄と過ごす日々が大切でも、いつかはそれを終えるときが来る。

 結婚……長いこと義父と母ができなかったもの。義父がどれほど母を愛おしもうとも、つかむのに二十年近くかかった形。さやかにはまだわからない、大人の世界。

――結婚の時期は、とても大事なものなんだよ

 ふと華陀がさやかにかけた言葉が耳に蘇った。彼は義兄の結婚について、何か知っているみたいだった。

 彼は組の人間ではなく、親類とも距離を置いているようだった。だからこそ落ち着いて目に映しているものがあるのかもしれない。

 さやかは授業が終わってから、キャンパスの奥に足を向けた。普段足を踏み入れない理工学部の棟に入って、教授室を探す。

 幸い華陀の部屋はすぐにみつかって、人の流れの落ち着いた夕方だったこともあって、華陀は快くさやかを迎え入れてくれた。

 華陀はコーヒーを淹れてくれて、さやかは椅子に座りながら華陀と向き合う。

「お兄さんの結婚について、僕が知ってること?」

「はい」

 さやかの問いかけに、華陀は難しい顔をした。

「お兄さんの結婚は、昔から大いに噂されてるね。でも君に聞かせないようにと、お兄さんが周りに圧力をかけてきた」

「私が小鳥と言われるくらい、幼いからですか」

 華陀は憂えるように少し目を伏せて、さやかに言う。

「先代……君のお義父様とお母様が結婚するまでの経緯も、大変なものだったからね。お兄さんは、君にそんな苦労をさせたくないと言っている」

「私を心配して……」

 さやかは義兄の優しさに顔をかげらせて、少し考えに沈む。華陀はそれを見て言葉を続けた。

「君に言うべきことではないだろうが……正妻であったお義母様も、愛人の子との結婚はたやすく認めてくれないだろうしね」

「はい、お義母様はずっと苦労されてきたでしょうから……」

 そこでさやかは違和感に気づいて、ふと言葉を繰り返す。

「……愛人の子との結婚?」

 さやかはその言葉に聞き覚えがありながらも、迷うようにそろそろと問いかける。

「あの、兄は……どちらの方と、結婚を望んでいるのですか?」

「え?」

 華陀は怪訝そうにまばたきをして、そっと言葉を返す。

「何を言うの。お兄さんがずっと結婚を望んでいるのは……他ならぬ君だろう?」

 さやかは息を呑んで、信じられない思いで華陀をみつめ返したのだった。

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