翌朝の早々、約束通り呉葉のマンションに義兄が迎えに来てくれた。
「さっちゃん!」
義兄はさやかをみとめるなりさやかを抱き上げて、首筋に顔を埋める。
「お、お兄ちゃん?」
「一晩もさっちゃんがいなくて気が変になりそうなんだ。全然眠れないし、何も食べる気にもならないし。さっちゃんは眠れた? お腹空いてない?」
「ええと……眠るのはあんまり。お腹は……」
さやかがそう言いかけたとき、さやかのお腹が小動物のように鳴いた。さやかが恥ずかしくて赤面すると、義兄はくすっと笑って愛おしそうに目を細める。
「帰ろ、さっちゃん。一緒に朝ごはん食べようよ。……それでちょっと二人でずるしてさ、朝寝しちゃおうよ」
義兄はさやかの額に自分の額を合わせると、内緒話をするようにささやいた。
屋敷に帰ってからの時間は、二人でお互いを甘やかした。一緒にゆったりと朝ごはんを食べて、ベッドに二人転がってうたたねをした。
「さっちゃん、もっとくっついて? さっちゃんの匂いに包まれていたいんだ」
その間、義兄はいつも以上にさやかに触れたがった。さやかの顔や髪に頬を寄せて、さやかを抱きしめてはその背中をなでた。
カーテンから明るい陽射しの差し込む時間帯、本来は休日でもないのに二人とも何にもしなかった。二人で、子犬がじゃれあうように手足をからめて遊んだ。そんな自分たちが可笑しくて、何やってるんだろうねと笑った。
二人ともいつもはそんなことをしないのに、昼近くまでそうしてずる休みをしていた。
義兄の胸に頭を寄せて、さやかは少しまどろんでいた。そんなさやかを、義兄が優しいまなざしで見下ろす気配を感じていた。
さやかはふと義兄を見上げて、ぽつりとつぶやいていた。
「お兄ちゃん……話したくないことなら、私、訊かないよ」
さやかの言葉に、義兄の瞳に憂いが宿る。さやかは義兄の頬に手を当てて言葉を続ける。
「私、今までいっぱいお兄ちゃんに甘えてきたから。お兄ちゃんにも、私に甘えてほしい……。八つ当たりみたいに私の体で気持ちよくなったって構わない。だってお兄ちゃんと触れられるだけで、私は幸せなんだもの」
さやかが柔く笑うと、義兄はつと笑みを消した。
義兄は自己嫌悪のようにため息をついて言う。
「さっちゃん、なんでさっちゃんはそんなきれいで、優しいの。俺、甘えるところだったよ。……俺、さっちゃんに嘘つこうとしたんだ」
さやかはうなずいて義兄を見上げる。
「いいの。お義母さんは……お兄ちゃんに結婚を勧めたんでしょう?」
義兄はうなずいて、冷え冷えとした声で言う。
「さっちゃん以外と暮らすなんて、ただの地獄だよ。子どもだって、さっちゃんと二人で育てるから可愛いんだよ? 俺、さっちゃんと一緒に暮らすのと引き換えに、試験管で子ども作って渡そうと思ったけど」
義兄はどこか狂気じみた目でつぶやく。
「同時に嫌な想像したんだ。そんな風に出来た子どもに、もしさっちゃんが戸惑いながら愛情を注いだらどうしようって。……そうしたら俺、どす黒い目でその子を見るだろう。それでさっちゃんに葛藤させる子どもを、どうして作ったんだろうって後悔するんだ」
「お兄ちゃん……」
「俺、身勝手でしょ。さっちゃんが笑ってくれれば他なんてどうでもいいんだ。いつも子どもみたいにさっちゃんからの愛に飢えてる」
義兄は息をついて、ふいに晴れやかに言う。
「それで、あっけなく心は決まったんだ。俺が結婚するのは、やっぱり大好きなさっちゃんだけにしよう。子どもを育てるときも、さっちゃんが心から望む子だけをべたべたに可愛がろう。……だから母さんがこれからどれだけ圧力をかけてきても、勧めは受けない」
さやかはそれが愛の言葉だとわからないほど子どもではなかった。ぎゅっと義兄の袖をつかんでうつむく。
義兄はそんなさやかに、そろりと問いかける。
「さっちゃん? ……俺のこと嫌になった? 結婚も子どもも、さっちゃんに訊かないで思いばっかりふくらませちゃって。俺、いつまででも待つからね。さっちゃんが望まないなら、結婚も子どももなくたっていいから」
さやかはふるふると首を横に振る。思いを伝える言葉がちゃんと口に出せなかった。義兄の注いでくれる愛情が大きすぎて、ありがとうと笑うことさえできない。
「さっちゃん。……さっちゃん、愛してる。ずっと側にいてね」
義兄はぎゅっとさやかを抱きしめて、さやかはそのぬくもりを全身で感じていた。
二人だけの甘い時間は、結局昼下がりまで続いた。お兄ちゃん、ずる休みはここまでと腕を解いたのはさやかが先で、義兄はぶすっとしたが、渋々仕事に出かけて行った。
さやかは家で大学の課題を解いて、夕方に呉葉の事務所に行って少し働いた。子どもの相手をしたり、事務仕事をしたりしながら、さやかなりに出来ることをしていた。
さやかが事務所の奥で後片付けをしていたとき、呉葉は外に出かけていた。
「……さやか様、ですね」
さやかは書類の整理をしていて、音もなく部屋に見慣れない男たちが入ってきたのに気づくのが遅れた。
「なに……?」
さやかはとっさに逃げようとしたが、退路を塞がれた。男の一人が、なぜか壁にかかったモニターのスイッチを入れる。
迸る光。映画のスクリーンのような大画面に、その人は笑顔で映った。
「久しぶり、さやかちゃん。……私がこれから言うこと、わかるよね?」
大輪の薔薇のようないでたちに、何者も圧倒するような笑顔。……義母の