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49 若頭と小鳥の血縁者

 藍紀との約束の一週間が経った時、父が藍紀の屋敷にやって来た。

「ひどいことをしてくれたね、藍紀くん」

 父は藍紀と対面するなり、藍紀をにらんで告げた。

「華陀家の財産は差し押さえの嵐……容子さんの屋敷まで権利を凍結したそうじゃないか。母と子の血のつながりまで売ったのか?」

「血を流さなかっただけ感謝してもらいたいくらいだ」

 藍紀はひたと父を見据えて答える。

「金で買えるものに金は惜しまない。千陀家の流儀だ。……ただし金で買えないものは、大切な小鳥のように籠の中で守る」

 藍紀は隣室の扉を開いて、そこで立ちすくんでいるさやかに声をかける。

「さっちゃん、大丈夫。俺がついてるから、入っておいで」

 さやかはこくんと息を呑んで、迷った末に二人のいる部屋に立ち入った。

 父はさやかをみとめると、くしゃりと泣きそうに目を歪めた。やくざの家を訪問したきり、さやかは一週間も帰らなかった。きっと心配をかけただろうと、さやかは申し訳なく思う。

「さやか……」

 父は震える声でさやかを呼ぶと、歩み寄ってさやかの肩に手を置いた。

「お父さん、ごめんね」

「いいんだ。すぐに帰ろう」

「……帰っても、引っ越しても構わないが」

 藍紀は二人と数歩離れたところから、決定事項のように言う。

「悪いが、今の家も引っ越し先も把握させてもらった。母の動きを完全に封じるまでは、千陀の監視下に入ってもらう」

「君は……!」

 父は息を呑んで、ぎりっと歯をかみしめる。

「汚いやり口だな。君の父親そっくりだ」

「お父さん、藍紀さんは私たちを心配して……」

 さやかは父をいさめようとしたが、藍紀は構わないというように首を横に振った。

 父はさやかを庇うように背中に隠す。藍紀はそれを咎めようとはせず、その離れたところから静かに言った。

「さっちゃん。母からのカウンセリングはもう受けちゃだめ。何か傷つくようなことがあったらすぐに俺に言って。……何もなくても、また連絡して。待ってるから」

 次第に寂しそうな表情に変わる藍紀に、さやかも同じ表情でうなずいた。

 藍紀はそれ以上さやかを引き留めることなく、父がさやかを連れて行くのに任せた。けれどさやかが父の車に乗り込んだとき、藍紀はまだ窓辺に立ってこちらを見送ってくれていたのには気づいていた。

 屋敷が見えなくなったところで、父は助手席のさやかに告げた。

「……さやか、これから新幹線に乗って行方をくらます」

 さやかはその言葉に息を呑んだが、直感的に父の計画は果たせないと思った。

 藍紀は引っ越し先も把握していると言っていた。きっと屋敷を離れたさやかたちを監視していて、父がこれからどう動こうとも見透かされている気がした。

 父は前を見据えたまま決意するようにつぶやく。

「さやかのことは、父さんが守るから」

 さやかは、父にこれからのことをやめようと言うこともできなかった。父がこの一週間どんな気持ちでいたか、想像に難くない。さやかはこくりとうなずいて、車が走るままに任せた。

 父はパーキングに車を停めると、さやかを連れて足早にターミナルに入った。

 あらゆる行き先が混じり合うターミナルは、雑多な人の匂いで気分が悪いほどだった。その先には明るい未来もあれば……一つ間違えば暗黒の世界もつながっているようで、恐ろしい思いもした。

 人波に飲まれないよう、父はさやかを守るように歩いてくれた。一人だったら確実に迷子になっただろうと思う。それくらいターミナルの人出は大変なもので、こういった場に慣れないさやかは目を回していた。

 やがて父はカフェスペースで、さやかを座らせて言った。

「さやか、少しだけここで待っていて。すぐに戻るから」

 さやかがうなずくと、父はすぐ近くの切符売り場に入って行く。さやかは荷物を抱えて一人、不安な気持ちで父を待った。

 ざわめく人の群れ、無関心な人たち。そこでは、偶然だけが漂っていたはずだった。

 ふいに誰かが隣に座った気配がした。人見知りのさやかは振り向けなかったけれど、その人は優しいような声で呼ぶ。

「……ひなこ」

 その名前は、聞き覚えがあった。どうしてかさやかは自分が呼ばれたような気がして、そちらを振り向く。

 そこにいたのはどこかで見た男性だった。華奢で柔和な面立ちで、細工物のような人だった。

 でもにこりと親し気に笑った、その笑みがなぜか不吉だった。

「久しぶり。……ずっと、会いたかったよ」

 さやかの背中に寒気が走ったとき、男性はさやかの口元に布を押し当てていた。

 瞬間的に頭の芯が痺れて、まぶたが重くなる。

 足元から崩れていくような意識の閉塞の中で、さやかの中の古い記憶が蘇る。

「大好き、ひなこ。……兄さんのこと、まさか忘れていないよね?」

 ……記憶の中だけに生きていた肉親がさやかを抱きとめて狂ったように笑ったのを、意識の外で聞いていた。

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