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番外編 若頭と小鳥の出会った頃 2

「さっちゃん、おにいちゃんの名前は?」

「あいき、おにーちゃ」

「覚えてくれたんだ。じゃあおにいちゃんの好きなものはわかる?」

「えと……きらきら、きれい」

 俺はたどたどしく答えたさやかの頭をなでなですると、うなずいて答える。

「うん、おにいちゃんは宝石が好きだった。……でも今はさっちゃんがもっと好き」

 父の別邸に足しげく通いながらさやかとおしゃべりするようになって、そろそろ一か月が経つ。

 さやかはまだ二歳だから、もちろん呉葉や銘座とするような遊びはできない。本だって読めないし、言葉だっておぼつかない。

「さっちゃん、おにいちゃんのお膝に乗って。髪の毛、梳いてあげる」

「ときとき?」

 でも俺はどこもかしこも柔らかいさやかを触るだけでうれしいし、小鳥が鳴くように一生懸命話すさやかの声を聞いているだけで幸せな気持ちになる。

 俺はさやかの髪を梳くためだけに持ってきている櫛で、その癖毛を梳かしてやりながらつぶやく。

「ふわふわだなぁ。何で出来てるんだろ。わたあめみたいな味するかな。……さっちゃん?」

 ふとこくこくと舟を漕いでいるさやかに気づいて、俺は慌てる。

「ああ、さっちゃん寝ないで! もっと俺とお話しようよ」

 さやかは幼いからか、すぐ眠ってしまうのが寂しい。俺は残念さにちょっとうめいたけれど、仕方なくさやかを抱き上げてベッドに連れて行く。

 来ている時間いっぱい、さやかと話をしていたい。でも眠っているさやかも天使みたいにかわいくて、とても起こせない。

 俺はしばらくベッドに座って、眠るさやかをみつめていた。そっとさやかの開いた手に指を添えると、きゅっと小さく握り返してくれるのが愛おしかった。

 呉葉だって銘座だって小さい頃はあったし、親戚が赤ちゃんだった頃も覚えている。でもさやかはまったく違う生き物みたいにあどけなくて、無邪気で、心がとろけるくらいにかわいい。

 俺はふとため息をついてぼやく。

「妹なんだから、一緒に暮らせたらいいのに……」

 呉葉や銘座が嫌いになったわけじゃない。けどさやかも一緒にいられたらどんなに楽しいだろうと思う。朝ごはんを一緒に食べたり、夜一緒に寝ることだってできる。今は学校帰りに別邸に立ち寄って、父たちの夕飯の前に出て行くしかないのだ。

 時計を見上げるとそろそろ五時で、帰る時間だった。さやかといると、時間なんて一瞬で過ぎてしまう。俺は苦い思いでベッドから降りると、通学鞄を取りに隣室に向かった。

 さやかの部屋に戻って来ると、さやかは目を覚ましていた。俺はにこっと笑うと、さやかをベッドから下ろしてやって、屈みこみながら問いかける。

「おにいちゃん、そろそろ帰らなきゃ。さっちゃん、いつものしてくれる?」

「うん! おにいちゃ、ぎゅー」

 さやかはぎゅっと俺に抱きつくと、にこにこして俺を見上げる。

 ……この笑顔が見れると知っているから、ほとんどお昼寝していたとしても、また明日もここに来てしまうのだ。

 俺は鞄からお菓子の袋を出すと、さっちゃんの手に握らせて言う。

「さっちゃんはこのひよこのクッキーが好きなんだってね。いっぱいあるから、お母さんと食べてね」

 さやかはアレルギーがあって、体も弱いから、食べ物には気を遣う。このクッキーも、ひなこさんに話を聞いてようやく選べたお土産なのだった。

 でもさやかがそれを受け取った反応は、俺の思っていたのと違っていた。

 さやかは途端に笑顔を消して、奇妙に暗い声でお礼を言う。

「あ、ありがと……おにーちゃ」

「……さっちゃん?」

 俺はその変化に戸惑って、さやかを覗き込みながら問う。

「ご飯の前におやつを食べたら怒られるって思ってる? 大丈夫だよ。お母さんにも話してあるからね」

「……うん」

 さやかはこくりとうなずいたけど、恐る恐るというように俺に言った。

「あのね……おかあさんに、ぜんぶあげていい?」

「全部?」

「だめ……?」

 その声があまりに心細そうだったから、俺はだめとは言えなかった。

 俺は不可解な思いがしながら帰宅して、今日あった出来事を呉葉と銘座に話した。

「さっちゃんは今日もかわいかった。毎日かわいくなってく」

「まあかわいいですよね」

「反対はしない」

 俺がのろけのようなことを話すのも日課になったが、呉葉と銘座は多少呆れながらも聞いてくれている。

「たださやかも大きくなりますから。ずっと今みたいに小さくてかわいいわけではないですよ」

「どうする? 俺たちみたいにふてぶてしくなったら」

「さっちゃんはそんなことない」

 俺が憮然として言い返すと、呉葉はいくらかの距離感を持って俺をたしなめる。

「そうでなくても、別邸は父さんの膝元ですから。あまり兄さんが入り浸るのは、よく思われないかもしれませんよ」

「……そういえば」

 俺は帰り際のさやかを思い出して、言葉を挟む。

「さっちゃんが俺の前で何かを食べたのを見たことがないんだ。……父さんが何か厳しくしつけてるんじゃないだろうか」

「どういうことですか?」

「今日、帰るとき……」

 俺が違和感を持った出来事を話すと、呉葉と銘座は顔を見合わせた。

「どうした?」

 二人は押し黙って目配せをすると、呉葉の方が顔をしかめて口を開く。

「それと関係あるかはわからないんですが……使用人が噂しているのを聞いて、さやかが以前暮らしていた家の写真を見せてもらったんです」

 呉葉は部屋を横切って、机の方に歩み寄る。すぐに引き出しから写真らしきものを持ってきたので、俺はそれを横から覗き込んだ。

「……何だ、これ」

 俺は息を呑んでつぶやく。

「ほとんどあばら家じゃないか……! こんなとこに住んでたのか、さっちゃんは」

「使用人が言うには、とても貧しい生活をしていたみたいなんです」

 立っているのがやっとのようなトタン板の家を見て、俺は鳥肌が立つ思いがした。

 お母さんに全部あげていい? 消え入るような声でさやかが言った言葉が耳に蘇る。

 理由は少し考えればわかる。愛人の母、さやかの栄養状態の悪いような痩せた体、そして闇金の主たる父。

「……父さんなのか」

 俺はぎりっと奥歯をかみしめる。ずっと恐ろしいだけだった父が、初めて憎く感じた瞬間だった。

「父さんが、さやかたちを追い詰めたのか……!」

 俺は沸騰するような怒りを感じて、写真を握りしめた。

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