ひなこが実家に帰っている間、ひなこと住むための別邸にするために改築を始めさせた。
別邸は、元々は長男の藍紀に与えるつもりだったものだ。妻はほとんど家にいないとはいえ、藍紀は母親の膝元で過ごすのが居心地悪そうにしていた。その藍紀がのびのびと暮らせるように家を整えてやるのが、父の愛だと思っていた。
けれどひなこが現れてからというもの、俺の一種の父性のようなものも含めて、ひなこに惜しみなく与えてやりたくなった。息子たちへの愛情が消えたわけではない。ただ俺の中ではひなこはまったく違う生き物で、それに向き合ったとき理性だとか理屈だとかは、霧のように消えてしまうのだった。
「窓は大きくしよう。光がよく入るように。……けれどたやすく外へは出て行けないようにしよう」
大きな鳥籠を作るような改築計画は、快く進んだ。俺は時間をみつけては別邸に足を運んで、その進み具合を喜んだ。
そろえたのは家だけではなかった。服や食器、ドレッサーに宝石、買ってやりたいと思うものを片っ端から集めた。何も知らない者なら、俺に初めて女の子が生まれたように見えただろう。その収集の過程もまた、俺にとって心躍る時間だった。
一方でひなこが実家に帰ってからの様子は、監視して逐一報告させていた。ひなこは婚約者に……酒に溺れて変わり果てた様子となった婚約者に、会ったという。
ひなこがやくざに買われた事実は、俺がその婚約者に教えたわけではない。けれど当然耳に入ると予期していたとしたら、ひなこは俺を詰るだろうか。
もちろん俺にも予想していなかったことは起きた。ひなこは婚約者と、結婚したのだ。
ひなこが結婚してから、俺は一度だけひなこと会った。晩秋の暮れ、さびれた喫茶店の隅だった。
「私は卯月さんと幸せになるの」
そう言ったひなこの表情は硬く、新婚の甘さとは無縁だった。
「だからあなたとは二度と会わない」
「俺は待っているよ」
俺は微笑んで、あやすようにひなこに言う。
「体の隅々まで教えたものな? ひなこは俺のものだって。……今その腹にいるのも、本当に夫の子かな?」
「あなたは……!」
ひなこは怒りと哀しみの入り混じった目で俺をにらんで、喉を詰まらせる。
俺は悪魔がささやくように優しくひなこに言う。
「いいよ。少し俺と離れてみるといい。ままごとのような新婚生活をして……それでお前を愛しているのは俺だけだと、気づくだろう」
それで俺はひなこを鳥籠の外に放したふりをした。
実際は、俺はそれからもひなこの生活を詳細に把握し続けた。夫のアルコール中毒に苦しめられて、俺が吹っかけた借金のせいで貧しい生活を強いられて、惨憺たる毎日だった。
「心が痛まないんですか?」
俺にそう問いかけたのは、一樹だった。一樹は親友の卯月を助けながら、時折すれ違うように俺のところにやって来た。
「愛しているんでしょう? ひなこさんのこと」
俺は喉の奥で笑って、逆に問い返す。
「清浄な愛ばかりでないのは、お前もよく知っているだろう? ……ひなこが俺に身を売ったのを夫に伝えたのは、お前だからな」
一樹はつと息を呑んだようだった。ただそれはひとときのことで、彼は涼しげに答える。
「ご存じでしたか」
「お前がひなこの夫に恋慕しているのも知っていたよ」
「そこまでわかっていらっしゃるなら話は早い」
一樹はさらりと、情欲に染まった提案を俺に持ち出す。
「……僕に卯月をください。代わりにひなこさんを、あげますから」
俺は弟のような共犯者に満足して、ではと話を始めた。
それからは、時が経つのが待ち遠しかった。整えた別邸に、頑丈な鳥籠にひなこを追い込むその日を、今か今かと待った。
そしてそのときはやって来た。ひどく吹雪いた冬の夜明け、ひなこは俺を訪ねて別邸にやって来た。
「この子を助けてください……お願いします」
ひなこが宝物のように抱えていたのは、まだ二歳にもならない、あどけない子どもだった。
「熱が下がらないんです。私にできることなら、何でもしますから……どうか」
そう言って、ひなこは俺に頭を下げた。
既に数日前から夫は行方をくらまし、ひなこは病気の子どもを抱えたまま途方に暮れていたらしい。
柔く弱く、ひなこによく似た子どもに、俺は自然と愛おしさがあふれるのを感じた。
「……さやかだったな。今日からさやかは俺の子だ」
俺はその子ごとひなこを引き寄せて言った。
「おかえり、ひなこ。……俺の小鳥」
そうして俺はひなこを腕の中に迎え入れた。