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第2話

 和睦わぼく第二公園のベンチに座り、団は牛乳パックを啜っていた。時刻は午後五時過ぎ、茜色に染まる公園からは「ばいばーい」と子ども達が別れる元気な声が響いている。

 それをぼんやり眺めながら、団は右耳に差し込んだイヤホンからニュースを聞いていた。 コロッケパンをひと口かじった所で、すぐそばで足音がなった。

「……真田団」

「ん?」

 冷え切った声に振り向けば、そこには同じ制服の学生が立っていた。 団はぱちぱちと瞬かせ、「誰? なんの用?」と首を傾げる。

 男は冷淡な目つきのまま言い放った。

「俺は渡井。……ホワイトの隊員だよ」

 団の手が止まる。す、と細めた目で渡井をよく見れば、隣のクラスで見かけたなと思い出す。 確か、渡井わたらい 右京うきょうだったか。

「ホワイトって学生でも入れるもんなの?」

「……条件次第だね。君みたいな異能を持たない人間が入れるかどうかは別だけど」

 歯に衣着せぬ物言いだった。だが、団は意に介さず、残りのコロッケパンを詰め込む。

「それで? 結局何の用だよ」

「君、強いんだってね」

「は?」

 右京がじっと団を見つめる。その表情に、笑みはない。

「着いておいで」

「え、俺まだ食ってるんだけど」

「知らない、上がうるさいんだ。さっさとしてくれる」

 団はあわてて牛乳を飲み干し、パックをゴミ箱に投げ捨てた。



 ホワイトの巨大な基地は、よく目立つ。和睦町に堂々とその姿を晒しており、遠くからでも一目でそれとわかるスケールである。

 正面玄関は市役所のように開かれ、ガラス張りの明るいエントランスには、地域の人が気軽に立ち寄れるカフェスペースや、異能に関する情報を提供する小さなギャラリーが併設されていた。

 和睦町の人々にとって、ホワイトの基地はちょっとした休憩スポットでもある。

 しかし、その親しみやすい外観とは裏腹に、建物の周囲には目に見えないセキュリティラインが張り巡らされている。

 センサーや監視カメラが常に周囲の状況を監視し、不審な動きがあれば即座に察知するシステムが構築されているのだ。

 夜になれば、建物全体が白く柔らかな光を放つが、それは異能犯罪者に対する無言の警告でもあった。

 そんな基地の地下へと続く入り口は、普段は目立たないようにひっそりと佇んでいる。

 許可されたIDカードを専用リーダーにかざすと、重厚な金属製の扉が音もなく開き、外界とは全く異なる、無機質で機能的な空間が広がった。

 そこは、厳重な生体認証システムや、複雑に暗号化された通信回線によって守られた、ホワイトの中枢である。

 膨大なデータサーバーが唸りを上げ、様々な分野の専門家たちが忙しなく行き交う。まさにホワイトの「本当の顔」が垣間見える場所だ。

 世界で初めて異能が確認された頃、その未知の力は人々に畏怖と期待を抱かせた。ホワイトは、当初異能に関する国際的な研究施設として設立され、その発現メカニズムや能力の種類などを研究していた機関であった。

 しかし、異能犯罪の増加に伴い、条約改定とともにその役割は多様化。異能者の保護、能力の管理・育成、そして脅威への対処など、多岐にわたる活動を通して社会の安定に貢献している。

 団が足を踏み入れたのは、そんな表の顔と裏の顔を持つ、巨大な組織の心臓部へと続く場所である。


 地下だというのに、天井から降り注ぐ光は自然光のように柔らかく、閉塞感はまるでなかった。床は滑りにくい素材でできており、団は履きなれない運動靴で踏みしめる。

 渡されたジャージに着替えた団は、改めてあたりをぐるりと見回した。一見すると体育館のようだが、広さはその倍以上ある。

「……んで、結局どういうこと?」

 ここまで連れてきた右京はさっさと壁際にもたれ掛かり、興味無さそうに腕を組んで目を瞑ってしまった。話しかけても無視である。

 団が右往左往としていれば、ガチャリと音を立て、部屋に入ってくる男が一人。

「真田団くんだね」と呼びかけながら近付いてきた筋骨隆々な男は、自身を犬飼だと名乗ると「まずは――ようこそホワイトへ」と会釈した。

 低くてよく通る声。巨体に似合わず、礼儀正しい所作だった。

「さて、右京から色々と話は聞いてると思うが……君をスカウトしたのは、君のその強さを買ってのことだ」

「え、スカウト? なに、どういうこと? つうか俺はなんで着替えさせられたの?」

 ハテナを飛ばす団の様子に、犬飼は思わず壁際の右京を見た。視線をそらし「説明しろとは言われてないよ」と面倒くさそうに言う右京に、犬飼は長くて深い溜息をつく。

「すまなかったな、真田くん。少々説明が不足していたようだ……これでは誰だって混乱する。聞いてくれるかい?」

 犬飼は、静かに話し始めた。

「では順を追って説明しよう。我々ホワイトは、正式名称を“国際異能対策機関WHITE”と言う。君も、名前くらいは聞いたことがあるだろう?」

「まあ、授業でもやるし、知らない方が珍しいんじゃない?」

 犬飼は頷くと、ポケットからタブレットを取り出した。指先で画面に触れると、淡い光が空間に滲んで広がっていく。

 粒子状の光がゆっくりと形を成し、空中に立体的な世界地図が浮かび上がった。各国の主要都市に灯った小さな光点が、中央に浮かぶホワイトのロゴへと細い光線で結ばれていく。

「そうだな。今や各国に支部を持ち、アストラルギーの研究や異能の管理、異能犯罪の対策まで――まあ、異能関連に対してその活動は多岐に渡る」

 犬飼の声に呼応するように、ホログラムが動き出す。地図がズームし日本列島へと寄っていくと、やがて和睦町の巨大なホワイト基地が立体的な模型として展開された。

 犬飼はホログラムから視線を戻し、団の目を捉えたまま、言葉に力を込める。

「そして今回、君をホワイトに招待したのは、君の三度に渡る異能犯罪者逮捕への貢献を買ってのことだ。君は、異能の力に頼らずとも、異能に対抗できる特別な力――卓越した身体能力と冷静な判断力、そして、何よりも強い正義感と勇気――を持っていると、我々は考えている」

 続いてホログラムが切り替わる。これまで団が関わった事件の記録が、立体映像として現れた。逮捕された犯人のデータ、簡略化された現場図、そして当時の周囲の映像記録が交互に浮かび、消えていく。

 犬飼はそれに目をやりながら、少し声を和らげた。

「我々はね、異能を持つ者も持たない者も、すべての人が安全に暮らせる社会を目指しているんだ。そしてそのためには、君のような異能に頼らない強さと、不屈の精神を持った人間が必要だと考えている。君をスカウトしたのは、その力を、我々の仲間として迎え入れたいからだ……『特殊事案対策局』の一員としてね」

 そのタイミングで、ホログラムの映像が再び切り替わる。画面中央には、鋭い意匠を象った特局のエンブレムが、静かに存在を主張し回転していた。

「なんか仰々しい名前だね」

 団の率直な言葉に、犬飼はわずかに笑みを浮かべたようにも見えたが、その余韻はすぐに消える。

 映像が再度変化し、今度は異能犯罪の記録映像が映し出された。激しく燃え上がる街、倒れ込む人々、乱戦の様。音はないのに、映像は雄弁だった。これから、団が踏み込むかもしれない世界の断片だ。

「特殊事案対策局――通称『特局』は、我々ホワイトの中でも、最も危険な任務を専門とする精鋭部隊だ。異能犯罪者との直接的な対峙はもちろん、異能を絡めたテロや、国家レベルの脅威にさえ常に最前線で立ち向かう」

 映像がふっと消えた。部屋には再び静けさが戻り、犬飼はこれまでとは異なる鋭い視線で団を見据えた。

「……さて、真田団くん。君の行動は確かに称賛に値する。しかし、我々が知りたいのは実力だけではない。……問おう――君は、なぜ異能犯罪者に立ち向かった?」

「悪いやつだから。そんだけ!」

 即答だった。あまりにもシンプルなその回答に、犬飼は一瞬言葉を失う。

「……そうか……悪いやつだから、か」

 その簡潔すぎる答えは、犬飼の心に小さな引っ掛かりを残した。

 異能犯罪者の動機は、単純な善悪の二元論では決して捉えきれない。個人的な欲望や恨みだけでなく、社会の矛盾、歪んだ正義感、あるいは、大切な何かを守るための悲痛な選択……。

 複雑に絡み合った糸のような、割り切れない背景が存在することもあるのだ。『悪いやつ』の一言で、それらを全て断罪してしまうには、あまりにも短絡的すぎる。

 正義とは、かくも純粋で、同時に危ういものなのかもしれない。そう思わせる回答だった。

 これは確かに、ホワイトで先回りして囲う判断は正解かもしれない。ヘルマンの有無を言わさぬ笑みを思い出し、犬飼はぐ、と眉間に皺をよせた。

 壁に凭れていた右京は、相変わらず腕を組んだまま、微動だにしていなかった。

 しかし先程までの興味が無さそうな様子とは打って代わり、獲物の本質を見極めようとする猛獣のように、鋭い眼光で団を射抜いている。

 犬飼は、本題を口に出す。

「真田団くん。君は……ホワイトに入る気はあるか?」

 その問いかけに、団は間髪入れずに頷いた。

「俺で力になれるなら!」

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