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第11話

 団は、犬飼に呼び出され、情報局へと足を踏み入れた。壁一面に設けられた電子機器や情報端末、それからせわしなく動く隊員たちを通り過ぎ、奥の一室へと案内される。

 部屋の中は、壁に設置された巨大なモニターと、中央に配置されたソファがあり、団はそこへと腰掛けた。

 向かいに座るのは、犬飼。そしてその隣には、要の姿がある。

 犬飼は厳しい眼差しを団に向け、低く、重みある声を響かせた。

「団……お前には、ホワイトの隊員として、伝えておかねばならぬことがある」

 その声音に、冗談の余地はなかった。隣に座る要もまた、いつもの柔和な笑みをひそめ、真摯な眼差しで団を見つめている。

 犬飼の合図で、部屋の大型モニターに映像が映し出された。

 団の視線は、否応なく吸い寄せられた。平面映像は、次第に立体的なホログラムへと組み替わる。やがて、銀の髪をなびかせた男が静かに微笑みながら姿を現した。

「……やあ、真田団くん。初めまして。私は、ホワイトの統括監をしているヘルマン・ビスクヴィートだ」

「……あなたが……ボス」

「よろしくね、君の噂はかねがね」

 穏和な笑みを称えて、団の最近の活躍、特に異能を持たないながら異能犯罪者に対応していることなどを褒めるヘルマンに、団はぺこりと頭を下げた。

「さて……では本題に入ろう」

 ヘルマンが促し、犬飼が頷く。犬飼は団に再び向き直り、モニターを指差した。

「これを見てくれ」

 ヘルマンのホログラムが縮小し、代わりに別のホログラムが浮かび上がる。

「あれ、このおじさん……」

 団はモニターに映し出されたその顔を見て、思わず身を乗り出した。黒いコート、背は高く、艶のある黒髪をオールバックに整えた、四十代くらいの男。先日出会った、道に迷っていた男だった。

 犬飼は、少し視線を投げ、それから重々しく口を開いた。

「……奴は、人類にとっての脅威――『まが』だ」

 団の心臓が跳ねる。

「えっ……?」

 団は、言葉を失った。穏やかで落ち着いていた、ただのおじさんだった。とても、脅威には思えなかったからだ。

 ヘルマンは、低く、だがはっきりとした声音で言った。

「……禍が何者かは、今のところ詳細は分かっていない。だが少なくとも彼は、巨大な組織を動かして、たくさんの命を踏みにじってきた……」

 犬飼が補足するように、続ける。

「『イマジン』――それが、奴の率いる犯罪集団の名だ。非合法な人体実験、麻薬の製造と売買など、そのすべての中心に奴がいる」

「そんな……」

 団は改めて禍と称される男のホログラムと向き直る。先日出会った時よりも、少し仄暗い雰囲気を纏っていた。光を反射しない目が不気味に静まり返っている。

 ヘルマンはモニター越しに、重く静かに告げる。

「彼は『禍』と呼ばれていることしか情報がない。国籍、年齢、性別、異能の能力、そして目的……何もかも不明だが、これだけは言える……彼は、世界にとって最も危険な男だと」

 ヘルマンの言葉が、団の胸に鉛のように重くのしかかる。世界の脅威。その言葉が、あの穏やかな人物とまるで結びつかない。

「それと、関連してもうひとつ……」

 ホログラムが切り替わる。左眼に眼帯を付けた、黒髪の青年が映し出された。

「いさな――イマジンの研究施設から逃げ出したとされる元・被検体だ。いまや独自に動き、我々ホワイトにも敵対する姿勢を見せている。……我々は彼らを『vanitas』と呼んでいる」

「……ヴァニタス……?」

 団がつぶやく。

「彼らは同じ被検体同士で手を組み、今は復讐心に支配され、過去に囚われながら暴走の危機と隣り合わせで動いている」

 復讐。団は顔を顰め、ぐっと拳を握り締めながら問いかけた。

「禍は、何のために人体実験を……?」

「……まだ、そこまでは掴めていない」

 首を振り、犬飼が返答する。数秒の沈黙が空間を支配した。

「……それで、その『禍』と接触したんだよね、団くん」

 要が、モニターの禍の顔から団に視線を移して尋ねた。要の声は淡々としているが、その瞳の奥には強い関心と、そして団に対する心配の色が見て取れる。

 団は、自分が駅までの道を教えたあの男が、今目の前のモニターに映し出されている危険人物「禍」と同一人物であるという事実を、頭の中で処理しきれていないままこくりと頷いた。口を開くと、声が震えるのが分かった。

「……すげえ普通の人でした……駅までの道を訊かれて、それで……」

 目の前の現実に、心がまるで追いついていない。あの男が、世界の脅威だなんて、到底信じられない事だった。

「それで……えっと……」

 ヘルマンは団の言葉を聞くと、モニター越しに目を細め、団に向かって言った。その瞳には、団の動揺を見抜いているような、鋭さが宿っている。

「それで、なんだい? 彼と、どんな話をしたのかな」

 ヘルマンの静かな促しに、団は再び緊張で喉が詰まるのを感じた。あの時、あの男から受けたあの問いかけ。

 団はぐっと拳を握りしめ、意を決して言葉を絞り出した。

「……『世界を守るために、世界を壊すことができるか』……そう聞かれたんです」

 一瞬の沈黙がその場を包む。犬飼は腕を組み、眉間に深い皺を寄せて険しい顔をさらに硬くした。

「世界を守るために……世界を……? なんの矛盾だそれは」

 犬飼の声には、困惑と、そして強い警戒心が滲んでいる。その問いかけの意味するところは何か。なぜ、禍はそんな問いを発したのか。

 彼が残した問いは、そのまま団の胸に突き刺さっていた。

 団は、自分が思いがけず巨悪と対峙していたことをようやく、全身で理解したのだった。



「……迷子、ですか」

 団の問いに、通信端末越しの犬飼が即答する。

「ああ、迷子だ」

「ホワイトって迷子探しもするんですね」

「今回はちょっと特殊でな……異能持ちの子どもが行方不明との事だ。保護者の通報で、ホワイトが対応することになった」

「はあ……なんで俺ですか?」

「人手が足りないからだ」

 シンプルな答えに、団は「ええ……?」と項垂れる。

「まあそれだけでは無い。お前の観察眼が、捜索に向いていると踏んだ。……善や和日は論外、右京は今、別の任務に出向いていてな……他の隊員も、なんだかんだと出払ってるんだ」

 納得はできなかったが、反論もできない。たしかに善と和日なら「更地にすれば見つかる」くらいは平気で言いかねないし、子どもが相手では力任せな方法は使えない。迷子探しとなれば彼らよりは向いている。

 団は通信を切ると、小さく息をつき、通報のあった公園へと向かった。

 禍のことを聞いたばかりで、脳の切り替えがうまくいかない。だが任務は任務だ。やるしかない。



 公園の片隅には通報者である母親が警官と話をしていた。行方不明になったのは、圭介という名の男の子。年齢は四歳。姿を見失ったのはほんの数分のことだった。

 団は簡単な聞き取りを済ませ、最後に目撃された位置へと足を向ける。

 視線を地面に這わせ、わずかな手がかりでもないかと探す。土の擦れ、草の曲がり、水たまりの乱れ。

 何かがあれば、必ずそこに「痕」があるはずだ。

 ……そのときだった。

「君、もしかしてホワイトの人?」

 背後からかかった声に、団は反射的に振り向いた。そこに立っていたのは、自分と同じくらいの年齢の少女だった。

 透けるような黒い髪が陽光を受け、まるで水のカーテンのように揺れていた。肌は白く、瞳は淡く透き通っていて、どこか人ならざる気配がある。

「そうだけど、君は?」

「やっぱり! あのね、もしかして迷子探してない?」

 少女はにこりと笑う。笑顔は明るいが、その存在は湖面のように静かで深い。団は軽く目を見開きながら問い返した。

「なんでわかったの?」

「私ね、水を操れる異能を持ってるんだけど、水がちょっとざわざわしてて……」

 少女は、団の言葉を待たずに近くの噴水へと向かう。水面に指先をそっと触れると、表面が波紋を描き、空気が静かに震えた。

 次の瞬間、水がふわりと空中に浮かび上がり、いくつかの方向へ向けて枝分かれしていく。水が通ったあと、微かに泥が跳ね、草が揺れた。

「水はね、何でも教えてくれるの。何でも見てるし、何でも知ってる」

 光が反射し、水の線が空間を描くように広がる。

「……すごい」

 無意識に漏れた団の声に、あおは得意げに笑うと、小さな手で空中の水を操りながら、ある一点を指差した。

「あっちだって。ついてきて」

 少女の言葉に、団はわずかに警戒しながらも頷いた。今は彼女が手がかりだ。

 少女の導きに従い、団は静かに濡れた草地を歩く。雨上がりの空気はひんやりとしていて、生乾きの土と葉の匂いが濃く漂っていた。

「……君、名前は?」

 沈黙に耐えかねて、団が声をかける。

「あお」

 あおは、みずみずしい笑みを浮かべた。

「あなたは?」

「俺は団」

「団くん、よろしくね」

 自己紹介を終えると、あおは満足そうに頷いた。


 水に誘われるようにたどり着いたのは、小さな植え込みの陰だった。その足元に、奇妙な揺らぎがある。光が歪んでいるような、空気がねじれているような。

 団は足を止めて目を凝らす。草を踏みしめる音、息遣いが確かにそこにある。

 薄い水の膜が周囲に漂い、その輪郭をゆらゆらと反射させている。水の影がそこだけ不自然にゆがんで、透明な存在がそこにいることを主張していた。

 あおが水のうねりをそっと近づけると、それに反応するようにびくりと影が動く。

「……圭介くんだよね、大丈夫だよ」

 あおの声は、水面に落ちた雫のように静かだった。

やがて、水の気配がそっと包むように少年を撫でる。空気の揺らぎがほどけるように、少年の姿が現れた。まだ小さな体、涙でぐしゃぐしゃの顔。全身が震えていた。

「ままどこ?」

 しゃくりあげる声に、じわじわと大粒の涙がこぼれでる。あおは優しく圭介の頬に触れ、空中にふわりと涙を浮かせた。それは光を浴びてシャボン玉のように輝いた。

「わあ……すごい!」

 圭介の表情が、一瞬で明るくなる。団は、無意識に口角を上げた。あおは、晴れやかな空のように澄み切った笑顔を浮かべていた。



 圭介を連れて公園の入口まで戻ると、母親が駆け寄ってきた。

「圭介! ああ、よかった……!」

 母親は涙を流しながら、圭介をしっかりと抱きしめた。圭介もようやく安心したように母の腕に身を預ける。

「……ありがとう、本当に……!」

 その光景を見届けたあおが、そっと背を向ける。

それに気づいた団が声をかけた。

「……あお」

「うん?」

「ありがとう。君がいなかったら見つけられなかった」

 あおは少しだけ笑った。

「ぜんぜん、これくらい気にしないで。それに、こうやって誰かの助けになれるの、嬉しいから」

「……君、ホワイトに入る気は?」

 団が冗談めかして聞くと、あおはふわりと笑いながら、首を横に振った。

「私は……たぶん、そういう場所には向いてないと思う」

「そっか」

 あおは再び背を向ける。濡れた地面を音もなく歩いていく後ろ姿は、まるで水面に映った幻のように儚かった。



 任務を終え、団はホワイトの日本支部に帰還した。濡れた上着を脱ぎ、報告書を提出し終えたあとの帰り道、少しだけ夜風に当たった。

 自分と年の近いあの少女は、まるで自然そのもののような存在だった。人との距離の取り方も、自分とは違う。

 けれど、自分にないものを確かに持っていた。

「……今日は、不思議な一日だったな」

 小さくつぶやいた言葉は、夜風に溶けて消えた。遠くでまた、雨の気配がした。

 禍のことや、vanitas、考えなければ行けないことは沢山ある。それでも今日だけは、少しだけ穏やかでいられたことが嬉しかった。

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