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第13話

 ホワイト基地の職員専用入口を抜けると、厳重な認証機が無機質な音を立てて開いた。団はそれを通過し、地下へと続く灰色の廊下を歩いて進む。

 長い廊下の先、ようやく開けた共用スペースにたどり着く。目に入ったのは、壁に背を預けて腕を組んでいる右京の姿だった。

 ほんの数日顔を見ていなかっただけであるが、それがずいぶん久しぶりに感じられた。団は自然と歩を速め、小走りで彼のもとへと駆け寄る。

「任務だって聞いてたけど、もう終わったのか?」

 問いかける団に対し、右京は壁にもたれたまま視線だけを向け、表情を変えずに応じた。

「……いいや。俺が担当していた異能殺人も、君たちの事件と関連があるってことで呼び戻されたのさ」

 思いがけない言葉に、団はわずかに首を傾げた。

「関連って……どういうことだ?」

 その問いに、右京は肩を軽くすくめてみせる。

「さあね」

 短く、曖昧な返答だった。



 情報局の一室に足を踏み入れると、すでに犬飼と要が待機していた。中央には大きな会議テーブルが設置され、その上には整理された資料の束がいくつも並べられている。

 空調の音すら吸い込むような静寂の中、空間には緊張感が漂っていた。

 部屋の奥、ホログラム装置からは青白い光が投影され、ドイツ本部にいるヘルマンの姿が浮かび上がっている。団たちの姿を確認すると、ヘルマンは落ち着いた声で口を開いた。

「全員揃ったね」

 その声を受けて、犬飼が一歩前に出る。相変わらず低く抑えられた声だったが、その中にはどこか張り詰めた緊張が混じっていた。

「まずは、団と善、和日が担当した二つの事件。そして右京が追っていた異能犯罪――この三件の被害者たちの身元について、ある共通点が見つかった」

 犬飼の言葉にあわせて、要が手元のタブレットを操作する。テーブル中央のモニターが起動し、次々と映し出される被害者たちのデータ。

「松田正信。自宅にて溺死。桐生祐介。旅行先の旅館にて変死。そして名取隼人。商店街にて毒殺」

 事実だけを静かに告げる犬飼の声が、部屋に重く響く。言葉は簡潔でありながら、報告される死因が持つ異様さが、かえってその不気味さを際立たせていた。

 殺害場所も、死因も、バラバラだ。どこに共通点があるのか。団はモニターから犬飼へと再び視線を戻す。

「今回、情報局で調べた結果――彼ら全員が『イマジン』と関係を持っていたことが判明した。松田は資金提供者であり、人体実験施設の隠匿にも関与。桐生はスラムの子どもたちを攫い、人身売買に加担していた。名取はイマジン製の麻薬を流通させていた麻薬カルテルの一員だ」

 ぴり、とした空気が流れた。どれも凄惨で許しがたいものばかりだ。団は思わず息を呑む。異能犯罪の被害者であるという表向きの事実の裏には、想像を超えた闇が広がっていた。

「そしてこれはすでに知っていると思うが、名取の事件では、監視カメラにvanitasのいさなと思われる人物が映っていた」

 犬飼が声を落とすと、要が操作したモニターに、黒いフードを深く被った人物の姿が映し出された。その顔は影に覆われていたが、次いで表示された顔写真が、いさなという存在を明確に示す。

「現時点では、他の事件もvanitasの関与によるものと、警察と我々ホワイトは判断している」

 犬飼の言葉には迷いがなかった。理詰めで導き出された確信。それは、これがただの連続殺人事件ではないことを意味していた。

「復讐ってことか」

 善が冷静に呟いた一言に、ホログラム越しのヘルマンが静かにうなずく。

「そう踏んでいる」

 事件の背後に、ただの狂気ではない、明確な動機が存在すること。それがより一層、この事件の根の深さを物語っていた。

「vanitasの構成員などについては、いさなについてのみ確認が取れている。他の容疑者については後ほどそれぞれにデータを共有しよう。引き続き、情報の収集と追跡を行っていく」

 犬飼の視線が、テーブルの周囲に座る一人ひとりを見渡す。その瞳には、揺るぎない意志が宿っていた。

 団は拳を握りしめ、その言葉の重みを噛みしめていた。異能による凶行、イマジンという裏組織、そしてvanitas。それらが一本の線で繋がり、明確な輪郭を持ちはじめた今、この戦いがもはや偶発的なものではないことを彼は理解し始めていた。

 そして、その中心にいる『いさな』という人物に対して、胸の奥に芽生えた得体の知れない感情――それが恐怖なのか、興味なのか、それとも別の何かなのかは、まだ自分でも分からなかった。



 情報局での報告を終えた後、団たちは共用スペースへと戻ってきていた。先ほどまでの緊迫した空気がまだ胸の奥に残っており、それぞれの表情にも疲労の色が滲んでいる。

 明るすぎる蛍光灯の光が、部屋の雰囲気をどこか寒々しく照らしていた。

 ソファに腰を下ろした善が、ぐったりと背もたれに体を預けながら小さく吐き出すように呟く。

「後でvanitasのメンバーの容疑者を送るっつっとったが、いさな含め怪しいヤツは全員捕まえりゃ良いだろ」

 その言葉に団は、ふと思い出したように顔を上げた。目に浮かんだのは、あのモニターに映し出された眼帯の青年。静かな恐怖と、言い知れぬ興味が胸の内でせめぎ合っていた。

「あ、それ……気になってたんですけど。いさながvanitasの一員ってことは分かったけど、実際どんなやつなんですか? お二人は知ってそうな雰囲気でしたけど……」

 問いかけた声には、好奇心よりも不安の方が強く滲んでいた。それに、和日は少しだけ首をかしげるようにしてから口を開く。

「んー、伊之瀬たちもよく知らないんだけどね。でも、あいつが関わってる事件って、現場から毒が検出されることが多いの。だから、毒を使う異能なんじゃないかなーって思ってる!」

 明るくはあったが、和日の言葉にはどこか引っかかるような重さがあった。

 確かに、名取隼人の死も毒によるものだった。ならば、いさながその犯行に関わっていた可能性は限りなく高い。

「どんな異能だろうとどうでもいいよ」

 突然、空気を断ち切るように低く落ち着いた声が響く。振り向くと、右京が壁にもたれたまま、視線だけをこちらに向けていた。その表情は、相変わらず読み取れない。

「オレたちは異能犯罪者を捕まえる。それだけさ」

 余計な感情を一切排除するような声音。右京の言葉は鋭く、冷たく、それでいてどこか確かな信念を感じさせるものだった。

 右京は踵を返すと、何の未練もなく共用スペースをあとにした。足音すら響かせず、影のように静かに去っていくその背中を団はしばし見つめていた。

 しばらくの沈黙を破ったのは、共用スペースに響く通知音だった。

 団はタブレットを手に取り、過去の監視映像から割り出された新たな容疑者リストに目を走らせる。写真を流していた団の指が、ふいに手が止まった。

 複数の顔写真が並ぶその中の一枚に、団の視線が吸い寄せられる。

「……なんで……」

 屈託のない笑みを浮かべた少女がいた。どこか無邪気で、どこか儚げで――見間違えようがない。

「あお……?」

 思わず漏れた声に、善が眉をひそめて振り向く。

「知り合いでもいたんか」

 団はただじっと画面を見つめ続ける。唇がわずかに震える。

「……はい」

 胸の奥で、何かが静かに崩れる音がした。

『水は記憶を持つ』と笑い、迷子の子どもをを一緒に探してくれて、泣きじゃくる少年にそっと優しく寄り添い、手を差し伸べていたあの少女。

 ――よりによって、vanitasの構成員だというのか。

「そォか……ま、良くあることだな」

 善はそう呟き、自身のタブレットへと視線を戻す。団は押し黙ったまま目を閉じた。脳裏に浮かぶあおと、タブレットに容疑者リストとして映し出されたあお。一体、彼女は何者なのだろうか。



 ――第四の事件は、それからわずか数日後に起きた。

 現場は郊外の廃工場。通報を受け、すぐ近くで巡回していた団と善はすぐさま現地へと急行した。崩れかけた鉄骨が入り乱れる中を慎重に進む。

 空気は錆と血のにおいが入り混じり、ひどく重い。言葉では説明できない静けさが、辺りを支配していた。

「いるぞ……気配がする」

 善が低く呟いた直後、誰かの足音が静かに響く。暗がりの奥、壊れかけた鉄骨の影から、白いワンピースの少女が静かに姿を現した。

 まるで、光に反射した水面のような気配だった。澄んだ黒髪が、ほんの少しの風にそよぎ、透き通るような瞳がこちらを見つめる。

「……あお……」

 息を呑む団の声に、少女はじっとこちらを見つめた。

「団くん……」

 その声音には、深い悲しみが混ざっていた。

「どういうこと……あお。君、vanitasだったの?」

 問いかけに、あおは何も言わず、ただ目を伏せる。肩がかすかに震えていた。

「……ごめんね、団くん」

 ぽたり、と水滴が落ちる音がした。次の瞬間、ぱしゃりと飛沫をあげて、あおの体が水へと変わっていく。

「逃げるつもりか!」

 善が即座に駆け寄るが、水となった彼女を捕まえることは出来なかった。弾け、手のひらからすり抜ける。

「チッ」

 善が舌打ちを零す。

「おい団、どっか適当なとこに捕まってろ」

「えっ?」

 善は未だに呆然と立ちつくしたままの団へと苛立たしげに声を掛けると、手のひらを上へと向けた。

 ぐわり、と局地的に重力が歪む。その途端、周囲に転がっていた瓦礫が、呻くような音を立てて歪んだ中心へと勢いよく引き寄せられた。瓦礫が空中で圧縮されていく。

「吸い込まれンじゃねェぞ」

「はいッ」

 舞い上がる瓦礫は例外なく吸い込まれる。あそこは擬似的な無重力空間なのだと理解し、団は近くの鉄骨にしがみつく。

 あれに吸い込まれればひとたまりもないだろう――だが、水となったあおの身体は、その引力の縫い目を滑るように抜けていく。

「クソが……」

 ぐわん、と引力の勢いが増す。

「……そこまでだ」

 ――そのとき、背後に新たな気配が満ちた。

 団の背後に、音もなく、気配もなく、突然それは現れた。

「な……」

 団は即座に振り返り、鉄骨から手を離さないように、しかし確実にそれから距離を取る。

 黒いフードを目深にかぶった青年が、そこに立っていた。肌は白く、左目は黒い眼帯に覆われている。右目は金色の冷たい光を放ち、鋭利な刃物のような視線をこちらへ向けていた。

 さらさらとした黒髪が頬にかかり、貼りつけたような薄い笑みが唇の端に浮かぶ。だが、その微笑の奥には、獣じみた殺意が確かに潜んでいた。

 団は、喉が凍りついたように感じた。空気が一変する。冷たく、重く、張りつめた気配が団たちを包み込んだ。

「……いさな……!」

「ああ!?」

 善が即座に反応する。一目でわかる。団の知っている、あの『いさな』だった。

「君たちと、ここで戦うつもりはないんだ」

 静かで、どこか物悲しさを含んだ声。だが、それを受け入れるほど善は甘くない。

「ふざけんな、逃がすかよッ!」

 善が怒鳴り、途端に一層強く引きずり込まれる。ぶわりと空間が歪み、重力が歪む。ばりばりと音を唸らせながら、団の掴む鉄骨すら軋みを上げて浮き上がりかけていた。

 だが――。

「戦うつもりはないと言ったんだ。聞こえなかった?」

 いさなが囁くと同時に、足元から白い霧が噴き出した。善の引力に合わせてぶわりと広がるそれを吸い込んだ途端、鼻腔を焼くような感覚に襲われた。目に染み、視界が揺らぎ、足元がふらつく。

「ぐぅっ……これは……!」

 団は咄嗟に腕で口元を覆い、「善さん、これ毒かも!」と叫ぶ。

「ああ!? ゲホッ……」

 善がむせた拍子に一瞬引力が緩む。その隙を逃さず、いさなは「あお、帰ろうか」と呼んだ。

 あおの身体が、すぐに輪郭を形作る。人の形に戻ったあおは、いさなの隣に並んだ。

二人の影が、霧の向こうにぼやけていく。

「待って、あお!」

 霧を割って、団の叫び声が響く。一瞬、あおは立ち止まって団を振り返った。

「…………ごめんね、団くん」

 その言葉と同時に、二人の姿は煙のように消えた。まるで初めからそこに存在しなかったかのように。


 霧が晴れた頃には、二人の気配は完全に消えていた。善が苛立ちを押し殺すように舌打ちをし、団は霧の残滓をじっと見つめて立ち尽くした。

 あおの声、目、そして最後に交わした言葉――すべてが、焼きついたまま消えない。

「……なんでだよ……」

 声にならない問いが、ただ空気の中に溶けていった。

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