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第16話

 一華のいう嵐の前の静けさだという言葉通り、vanitasの動きがピタリと止まった。

 団たちはその後も手がかりを掴めず、ただいたずらに日々が過ぎていくばかりだった。


 春が過ぎ、異能犯罪の件数も落ち着いてくるころ。任務も減り、団は空いた時間を自主訓練にあてようと地下の廊下を歩いていた。

 かつて負傷していた左腕も、今ではすっかり完治している。そろそろ本格的に鍛え直さねばと気を引き締めたそのとき、後方で甲高い声が響き渡った。

「かっなめちゃーーーーーん!!」

 反射的に声の方を振り向く。勢いよく飛びつくように駆けていく一華と……その先にいたのは要だ。

「わっ、一華!」

 不意を突かれて小さくのけぞる要。表情には驚きと、それ以上の懐かしさが浮かんでいた。

「要ちゃーーーん! やっと直接会えたー!」

 両腕を広げて歓喜を爆発させる一華。団が近づきながら、二人に声をかける。

「要さん、一華さん」

「あ、団くん」

 一華にぎゅうぎゅうと抱きしめられながら、要が軽く手をあげて応じる。

「……お二人はどういう……?」

「一華は俺の幼なじみなんだ。昔からこういう子でさ」

「んふふ、要ちゃんは小さい頃からずっと優しかったんだよ~? 今だって、毎日『最高素敵記録』を更新してる!」

 腕を組むようにぴたりと寄り添ってくる一華。その勢いにやや引き気味になりながらも、団はなるほど、と頷いた。

 以前から、一華がたびたび親しげに「要ちゃん」と話題にあげていたことや、和日が「要ちゃんオタク」と呼んでいたこともあり、いま目の前で繰り広げられるこの光景に合点がいったのだ。

 要は、どこか困ったように眉尻を下げながらも、優しく目を細める。

「どう? 久しぶりの日本は」

「もうね、要ちゃんに会えるってだけで任務三倍は頑張れる!」

「はは、変わらないね、一華は」

 和やかな空気が流れたところで、一華がはっと腕時計を見る。

「あっ……そうだった! 紗月さんに呼ばれてるんだった……うぅ、名残惜しいけど……」

 彼女はくるりと踵を返す。それから振り返って、右手を唇へと持っていった。

「要ちゃん、チュース♡」

 チュ。投げキスとともに廊下を駆けていくその姿を、団はぽかんと見送った。隣では、要が困ったように腰に手を当てて「……毎回あれなんだよ」とため息をつく。

「チュース……?」

「ドイツ語でバイバイって意味の『Tschüss』と、投げチューをかけてるんだって。面白いよね」

 しかし、言葉とは裏腹に、その声色にはほんのりと微笑がにじんでいた。

 団が小さな声でこっそりと尋ねる。

「……お付き合いとかは……」

「してない、してない。一華は妹みたいなもんだよ」

 そう言ってヘラリと要が笑った。



 訓練室の照明に照らされた床に、団が一人、汗だくになりながら仮想敵と対戦していた。打ち込みや間合いを確認し、ひとつひとつに真剣さがにじむ。

 びゅ、と仮想敵の放つ拳が段のみぞおちを目掛けて飛んでくる。団は背後に飛び退きそれを交わすと、壁を蹴った勢いで仮想敵へと飛び蹴りを食らわせた。

 禍のこと、vanitasのこと……そしてあおのこと。考えなければいけないことは沢山あった。だが、身体を動かしている時だけ、その全てを忘れられた。

 五体目の仮想デモ異能犯罪者を倒しきったところで、団はようやく一息つく。

 もっと強く、強く。右京や善のような強力な異能はない。要のように、要領良く立ち回ることもできない。だからこそ、もっともっと、強くならなければ。団は肩で息をし、手の甲で額の汗を拭う。

 そのときだった。背後の自動ドアが音を立てて開く。

「随分と熱が入ってるね」

 聞きなれた無機質な声。右京がいつも通りの無表情さで、腕を組み団を見下ろしている。

「右京……」

「聞いたよ。vanitasに知り合いが居たんだって?」

 その言葉に、団はゆっくりと視線を落とし、拳を握り込んだ。

「……優しい子だったんだ…………それなのに……」

 言葉を絞り出すものの、それきり黙り込んでしまう。団はぐっと目を瞑り、それから「なあ」と顔を上げた。

「右京はさ……友達がもし敵になったら……捕まえられる?」

 真剣なその問いかけに、右京はふっと目を細め、数秒の静寂を挟んでから応じる。

「……そもそもの大前提が間違えている。俺は友達なんか要らないよ」

「え、……いや、ええ……」

 団は思わず声を詰まらせた。右京らしい、といえばらしい。続いたのは「そんな甘えた考えは捨てる事だ。俺は親であろうと、犯罪者はすべからく処す」というなんとも冷たい答えだった。

「……ちょっとまって、俺は? 俺とは友達だろ」

 冗談めかして言った言葉に、右京の顔が一変する。嫌悪を隠すことなく、心底うんざりした目で睨みつけてきた。

「はあ? 何ふざけたこと抜かしてるんだい、君は俺の友達でもなんでもない、ただの同僚さ」

「……じゃあ俺が敵に回ったら?」

 問いの意味は重い。団がその立場に追い詰められた今、どうあるべきか、どうするべきか。それを問う叫びでもあったのだ。

「その時は君を捕まえて牢屋にぶち込むさ。当たり前だろう」

 団はぽかんと口を開けたまま、完全に言葉を失った。あまりにも迷いのない答え。

 団はすぐに肩を震わせて、くく、と笑い声をもらす。

「……ひっでー、ほんっとに冷たいっていうか、容赦ないっていうか」

「事実を述べただけさ」

 右京はつまらなそうに目を細める。

「……じゃあその“ただの同僚”に、少しだけ手を貸してくれない? ……強くなりたいんだ」

 団は笑いながら息を整え、再び構えを取った。汗に濡れた前髪の下から、強い意志の光がのぞいている。右京はその言葉に、ほんのわずかに口角を上げた。

「いいね、戦うのは大好きさ」

 その声には、明確な闘志と、淡い期待があった。

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