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第17話

「ライブは中止しない。絶対に」

 鏡の前で、オレンジ色に染めたツインテールを揺らし、ひとりの少女が腕を組んでいた。チリン、と髪を結ぶ鈴が鳴る。

 アーモンドの形をしたくっきりとした二重まぶたに、くるんと長い睫毛が縁取る。その奥の瞳には、断固とした意思が宿っていた。

「ニコ……気持ちは分かるけど……でも、『イマジン』っていう危険な組織が、貴方のことを狙ってるって……」

 遊馬ニコ――その名を知らぬ人は居ないほど、今最も勢いのあるアイドルだった。

 対面するマネージャーが、困ったように眉をひそめ、手元の白い封筒を見下ろす。WHITEから届いたという、正式な警告書だった。

「イマジンだろうがなんだろうが関係ない、私はライブを止める気はないの」

 ニコは、ぴしりと指を立てて言い切った。単なる我が儘や強がりではないことを、マネージャーも長年の付き合いでよく理解していた。

「……でもね、ニコ。私たちはあなたを守らなきゃいけないの。大事な看板アイドルってだけじゃない。あなたは、たくさんの人にとって光なんだから……。一度の中止くらい、誰も責めたりしないよ」

「……それでもライブは続行する」

 ニコの意思は揺らぐことがなかった。

「マネージャーにとってはたくさんある中の一回かもしれない。でも、私やファンにとっては、この一度に全部をかけてるの」

 しばらくの睨み合い。その後、折れたのはマネージャーの方だった。

「……はあ、そう言うと思ったわ」

 深いため息。マネージャーは肩を竦めた。その時、タイミングよくコンコン、とドアがノックされた。ニコはピタリと止まり、マネージャーが「ああ、来たわね」と扉を開ける。

「どうぞ」

「どうも〜」

 場違いなほど間の抜けた声が、控え室に響いた。それまでの緊張をあっさり砕いてくるような、脳天気な雰囲気だった。

 現れたのは、サラサラの髪をかき揚げ、細い糸目がチラリと覗く男。ニコも幾度となく見たことがあるWHITEだと分かる隊服を身にまとい、「はいはいお邪魔するでえ」とマネージャーの隣に並んだ。

「……誰?」

 ニコが怪訝な表情で尋ねると、マネージャーが少し渋い顔で口を開く。

「彼は、弁天峠さん。……WHITEの支援で、あなたの専属護衛よ」

 紹介されている合間も、峠は「いや〜アイドルの楽屋って初めて入ったわ〜」とマイペースに辺りを見回していた。

 ニコは少し眉をひそめ、その様子を見つめて口を開く。

「……護衛?」

「せやで、よろしくなぁ、ニコちゃん。いやぁ実物のが可愛らしいねぇ」

 軽すぎる口調に、明らか様に眉根を寄せたニコ。マネージャーは軽く肩をすくめて苦笑する。

「WHITEの実力者……とのことで紹介を頂いてるから、信用はできると思うんだけど……」

「なになに、実力者やて? 誰情報それ〜! えらい照れるわぁ」

 へら、と頭を搔く峠を、ニコは睨みつける。

「……護衛ってあなた一人だけ? なんだか知らないけど、イマジンってのは危険なんでしょ?」

「あー、疑っとるな?」

 そういうと、峠はきょろ、と辺りを見渡した。それから机の上に置かれていた差し入れのペットボトルのお茶を見つけると、「ほなちょぉっと、俺の実力見せたるさかい……よォ見ときや」とさらに目を細めた。

 何を、とニコが口を開いたその途端、峠はパチンと指を軽く弾いた。

 次の瞬間、ペットボトルが急激に膨張しだす。メチメチと容器がきしむ音が響き、やがて限界を迎え――ボンッ!

 破裂音が炸裂し、勢いよく中身が四方に飛び散る。噴き出したお茶は空中で霧となり、あたりに飛び散った。

 ニコとマネージャーは反射的にのけぞる。机の上には破れたボトルの残骸と、ぽたぽたと滴る茶色の液体。

「……なっ、なに今の!?」

「ふっふっふ。これが俺の異能、『気圧変動』っちゅうやっちゃ」

 峠は得意げに胸を張った。

「中の気圧を一気に高めて破裂させた感じやな、人間爆破もお手のもんやで〜」

 軽く言ってのけるが、内容はとんでもないものだ。ニコとマネージャーは呆気に取られた。

 しかし、ニコはすぐに気を取り直し、真っ直ぐに峠を見すえる。

「……分かった。じゃあ任せる……ファンが怖がるから私も仰々しく警察や護衛の人を連れ立って歩きたくないし……でもライブは絶対にやるから」

「安心して俺に任しときぃ! ニコちゃんがライブ成功させられるよう、WHITEが裏からドーンと守ったるから」

 ニコは、その言葉に静かに頷いた。

「あ、ていうかソレ片付けてね」

「だは、手厳しー!」



 WHITE本部・作戦会議室。

 ホログラムに投影されているのは、アイドル・遊馬ニコの映像だ。ライブ衣装をまとい、スポットライトを浴びて歌い踊る彼女は、まばゆいばかりの輝きがあった。

 そのきらめく姿に、誰もが一瞬、言葉を忘れて魅入る。それほど、彼女の歌声には惹かれるものがあった。

「かわい〜」

 ぽつりと漏れたのは、和日の声だ。そのとなりでは、善が腕を組み、目を細めて映像を見つめていた。

「ただのアイドルが、何でイマジンに狙われンだよ」

「……彼女の異能を狙っているんじゃないかってのが、現時点での俺たちの見解」

 善の素朴な疑問に答えたのは、要だった。手元の端末を操作すると、ホログラムが切り替わり、遊馬ニコの詳細なプロフィールが浮かび上がる。

「遊馬ニコは、歌を媒体に物質を別の物質に変える異能を持ってるの。たとえば、りんごを本物の金貨に変える――成分まで完全に変換された、本物の金貨にね」

 補足するように説明された一華の話に、団ははい、と手を挙げた。

「狸さんの異能とは、何が違うんですか?」

 一華は「ぜんぜん違うよ」と首を振る。

「狸さんのはね、見た目や形だけを変えるだけで、構成する物質や分子は変化させられないの。その点、遊馬ニコは『完全に作り替える』って所が異常なの」

「錬金術ってやつ?」

 和日が目を輝かせ、善が思わず眉をひそめた。

「下手すりゃ世界経済壊れンぞ」

「それだけじゃない」

 今度は要が口を挟む。再びホログラムが切り替わり、彼女のライブ映像が流れる。澄んだ歌声が室内に響き、空気が柔らかく変わるのが分かった。

「遊馬ニコはこの異能で、アストラルギーすら変質させているんだ。たとえば、浄化や癒しの力にね。それが人気の理由のひとつ」

「……アストラルギーの特性自体をいじれるなんて、聞いたことがないな」

 犬飼が唸るように低く言った。

「少なくとも、WHITEの記録にはない」

「癒しっていえば、紗月さんも似たようなことしてなかったですか?」

 再び団の中で疑問が湧く。要はそれに首を振った。

「紗月さんは『自分の中に蓄積したアストラルギー』を『治癒エネルギー』に変換するタイプだね。だけど、遊馬ニコさんは対象や媒体を問わず、外部のアストラルギーすらも自在に変える……しかも、電子機器越しでも効果が届くとんでもない力だよ」

「だからイマジンが目をつける……ってわけか」

 右京が静かに結論づけた。

 歌が届く範囲すべてに影響を及ぼす――ラジオやテレビで彼女が歌を流せば、その異能は、癒しにも、破壊にもなり得る。恐ろしい力だ、と団は背筋が凍った。

「彼女自身はライブを中止する気はないらしい」

 犬飼が資料に目を落としながら言う。

「『ファンを裏切りたくない』……そう言って譲らなかったそうだ」

「そんで? 俺らは何をすりゃ良いんだよ」

 善が問いかけると、犬飼が口を開く。

「護衛任務だ。とはいえ他の異能犯罪の案件も山積みで全力投入はできん。だが、極めて重要な任務だ。……だからイタリア支部から要請して――」

 言葉と同時に、ぼわりとホログラムが新たな映像に切り替わり、一人の男が浮かび上がった。団は見たことの無い男だ。

「峠じゃん!」

 和日が嬉々として指さす。

「適任かどうかはさておき……WHITEの中で、今動ける戦力で最も信頼できる実力者だ」

 犬飼が言うと、会議室に沈黙が流れる。

「いずれにせよ、遊馬ニコを禍の手に渡してはならん。護衛に加えて、情報局はイマジンと、それからvanitasの動向を継続監視。必要に応じて、うちからも増援も検討する」

「了解」

「了解〜」

 それぞれが頷き、ホログラムの中で、遊馬ニコがマイクを掲げる姿が静かに切り替わった。



 ――数日後。


 ニコは、溜息をつく頻度が明らかに増えていた。その大半の理由は、今まさに自分の斜め後ろに居座っている男にある。

「ため息ついたら幸せ逃げるで、ニコちゃん」

「……逃げてもいいくらい息苦しいのよ、こっちは」

 ソファにもたれかかりながら、ニコは腕を組んでぼやいた。

 ニコを守るためとはいえ、四六時中ぴったりと張り付かれればストレスも溜まるというもの。

 弁天峠という男は、一見すると隙だらけの飄々とした男だが、やる気なさげに見えて、ニコがちょっとでも不審な動きを見せると「どしたーん?」と鋭く目を細める。目敏くて逃げ場がない。

「さすがにずっと見張られてるの、息つまる……」

「ほんなら、ちょっと気晴らしでも行く?」

「……え?」

 ニコが怪訝な顔を向けると、峠は軽く片手を挙げて笑った。

「峠さんの目ぇ届く範囲でなら、好きに出かけてええよ。べつに監禁しとるわけちゃうしな」

 ニコは思わず、目元を押さえる。結局、傍にベッタリくっつかれるならば監禁と一緒だ。それでも、部屋に閉じこもっているよりはマシだった。



 大きめのフード付きパーカーにキャップ、マスクに黒縁メガネ。溢れ出るオーラは徹底的に殺し、ニコは上機嫌に口角を上げた。変装はバッチリである。

 鼻歌をくちずさみながら、ニコはショッピングモールの中を歩いていた。とはいえ、その数メートル後方には、のほほんとした顔の峠がぴたりとついてきている。

 雑貨屋を覗いたり、洋服のディスプレイに顔を寄せたりとしばらくショッピングを楽しんだ後、ニコは中央広場のベンチにどさりと座り込んだ。

「つ、か、れ、た!」

 大きく背伸びをして、脚を伸ばす。その声に、少し離れた柱の影で見守っていた峠が「そりゃそうやろ」と苦笑いした。かれこれ二時間はショッピングモールの中を歩き回っていた。

 ふと、ニコがきょろきょろと辺りを見回し、唐突に峠へと声をかける。

「ねえ、弁天さん」

「ん?」

 ゆるく返事をした峠に、ニコはにこりと愛想よく笑いながら、ベンチ横から指を伸ばして言った。

「あそこのタピオカ、めっちゃおいしいの。飲みたい」

 彼女が指さす先には、少し離れた場所にあるタピオカ専門店。

「へぇ〜、そうなん?」

「うん。ミルクティーと、ほうじ茶ラテが人気なんだけど……ニコ、もう歩けない〜。買ってきて、ね?」

 甘えるように言いながら、軽く手を振る。

「……しゃーないなぁ。ほなちょっと待っときや」

 肩をすくめつつ、峠はその場を離れた。しばらくその背中を見守り、その瞬間――今しかない!

 ニコは即座に立ち上がり、誰にも気づかれぬよう素早く人混みに溶ける。視線の流れ、足音のリズム、挙動の自然さ。全てがパパラッチ対策で培われた技術である。

 足早に裏手通路へと進みながら、ニコは心の中でガッツポーズを取った。


 数分後、タピオカを2つ抱えた峠がのんびりと戻ってきた。

「ニコちゃーん、黒糖ミルクとピーチティー、両方買うたで〜……って――」

 しかし、峠の視界に飛び込んできたのは、ぽつんと空いたベンチだけだ。

「あああああ!? ニコちゃんおらんやん、ベンチ空やん!」

 周囲を見回すが、ニコの姿はどこにもない。峠は一拍、タピオカを見つめ、それから口元を緩めた。

「……な〜んちゃって」

 ほうじ茶ラテのストローを吸いながら、峠はニコが逃げた方角へと視線を送る。

「護衛がほんまに俺一人なわけないやろ〜? ……あ、もしもし? うん、やっぱ逃げたわニコちゃん。追跡モード、よろしく〜」

 そう言いながら、峠はゆっくり歩き出した。散歩のような軽い足取りで、鼻歌まで歌いながら。

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