WHITE本部・作戦会議室。
大型のホログラムモニターが天井から吊るされ、会議室には重い沈黙が立ちこめていた。緊急で収集された団たちは、中央のテーブルを囲うように座る。
そこに、団の見知らぬ幹部や隊員が数名いたが、和やかに自己紹介をする雰囲気ではなかった。
犬飼が資料の束をテーブルに叩きつけるように置く。その音が、重苦しい空気をさらに揺らがせた。
「……禍が『ライブ当日に動く』という情報が入った」
その一言に、衝撃が走った。
「ほんとに?」
最初に反応したのは和日だった。普段の軽口とは違う、真剣さを孕んだ声だ。
「……狙いが見えないな……目的は遊馬ニコを攫うことだろう?」
右京が腕を組む。公共の大型ドームでのライブだ。チケットは完売済で、満員必至。さらにはライブは生配信され、周囲はマスコミとファンの人波。何かを仕掛けるには、あまりに不向きな場所だった。
チラリ、と全員の視線が、ホログラム通信越しのヘルマンに向かう。
「たしかな情報筋からだよ。……信じていい」
ヘルマンの重く静かな言葉に、しばしの沈黙を経て、犬飼が口を開いた。
「作戦を切り替える。遊馬ニコのライブ――ホワイト総出で護衛に当たる」
「全員でかい?」
右京が訊ねると、犬飼は頷いた。
「ああ。憂慮すべき点は、なにも禍だけじゃない。vanitasも、だ」
ぴくり、と団の肩が震える。
「あらゆる事態に備え、特局のみならず、動ける隊員は全員動員させる」
鋼鉄のように硬質なまなざしが、会議室全体を貫いた。ホログラム越しのヘルマンは、いつになく厳しい顔をして、一人一人を見つめながら告げる。
「絶対に、彼女を奪わせてはならない」
その言葉に、全員が深く頷いた。
「ぜぇーったいに、イヤ!」
ニコはむっと顔をしかめ、これでもかというほどの眼力で峠を睨みつけた。
「ええやんかぁ〜、減るもんちゃうねんし」
そう言って、唇をぷっと尖らせて子どものような顔をする峠。どうやら本気で悪気はないらしい。テーブルに上体を預けたまま、上目遣いで彼女を見上げてくるその様子に、ニコはさらに眉を寄せた。
「こーんなにお願いしてんねんから、ちょっとくらい、な? ニコちゃんの恋バナ、聞かせてぇや〜」
「……ふん、可愛くないわよ」
ニコはふてくされたように腕を組み、そっぽを向く。
「ごうつくばりやなぁ。カラスのこと、好きになったんやろ? 峠さん協力したるさかい、参考までに教えてえな〜。どこが好きなん?」
その言葉に、ニコは椅子から立ち上がり声を上げた。
「嫌に決まってるでしょ! ていうかそもそも、あの人……敵なんでしょ!?」
語尾にかけてつい鋭くなる勢いは、怒りとも混乱ともつかぬものだった。峠はその熱を真正面から受け止めたかのように、ふっと笑みを消し、わずかに目を細める。
「……ニコちゃん」
「な、なによ……」
茶化すでもからかうでもなく、ただ真っ直ぐな瞳。さっきまでの軽口とは違う、真っ直ぐな声だった。
「……人を好きになるんに、敵とか味方とか、そんなん関係あらへん」
その言葉に、ニコは一瞬だけ言葉を失う。
「弁天さん……」
空気がしんと静まる。だが、次の瞬間――
「ま、何よりおもろいからそんなんどうでもええねん!」
ぶち壊すような満面の笑みで、峠がけらけらと笑う。
「――あんたホントにホワイトなの!?」
耐えきれず拳を握りしめたニコの叫びが、控室に響いた。
「と、まあ……冗談はさておき……ニコちゃん、ライブ当日の話してええか?」
ふざけた空気を一転させ、峠の目が真剣に戻る。いつの間にか、さっきまでのおどけた姿勢をやめ、まっすぐニコを見据えていた。
ニコも改まって椅子に座り直し、「護衛の話しね」と息を飲む。
「ライブ当日、ホワイトは総出で動く。表のスタッフに紛れて異能部隊も各所に配置されるし、警備ラインも市販のセキュリティとは別や。なんせ、ホワイトの技術部隊が総力あげて作り上げたシステムやからな。――ニコちゃんの立ち位置から楽屋裏、搬入口に至るまで、全部に目が光っとる」
「……そんなに?」
ニコの声が少しだけ揺れる。そこには、自分一人の矜恃に付き合わせる申し訳なさも含まれていた。
「俺らは、ニコちゃんを守るために全力を出す……でも、絶対に無事で済む保証はあらへん」
峠は、一拍おいて、凝っとニコの目を見つめた。
「それでも、ライブするんやろ?」
ニコは一瞬だけ視線を落とし、それから顔を上げる。
「うん……ファンに背を向けるなんて、できないから」
その言葉に、峠はふっと口元を緩めた。
「それでこそニコちゃんや。――大丈夫、ニコちゃんはファンのみんなに歌声届けたって。俺は、ニコちゃんの覚悟に最後まで付き合うで」
そして、笑って付け加えた。
「ついでに恋の応援も♡」
「……い、いらないってば!」
叫びながらも、ニコの頬にはほんの少し、緊張の糸がほぐれた気配があった。
ライブ当日、関係者専用フロアの一室。そこに集められた団たちは、初めて自分たちが護るべき対象のニコと顔合わせをしていた。
各自、戦闘服や私服、裏方スタッフの制服など、任務に応じた姿で立っている。隊員を身にまとっているのはごく一部の者のみで、ニコが「ファンに少しでも不安がらせたくない」との希望でこの形に落ち着いたのである。
「わーーーーー可愛い!!」
誰よりも先に声を上げたのは、和日だった。目をきらきらと輝かせ、感激に頬を染めたまま、両手をパチパチと拍手する。
「めっちゃ可愛い! 最高!」
「うるせェ」
善が呆れ気味に呟いたが、その隣では一華が、顔をほんのり赤くして口元に手を当てていた。
「……私、実はファンなの……ずっと、前から」
「え、そうだったの!?」
「ニコさんの歌を初めて聞いたとき……異能って、こんなに綺麗で優しい力になれるんだって思ったんだよね」
その言葉に、部屋がしんと静まる。ニコは少し驚いたような顔をして――そして、ゆっくりと微笑んだ。
「……ありがとう」
空気がふっと和らぐ。
ニコは一歩前へ進み、皆を見渡した。笑顔の奥には、言葉にできないほどの緊張と決意がある。その想いが、言葉に乗って放たれた。
「皆さん、私のために……こんなにたくさんの人が動いてくれて。ありがとうございます」
その言葉に、数人が自然と背筋を伸ばす。
「……ファンを裏切らせないでくれて、ありがとう」
深く深く頭を下げるニコに、それぞれが首を振る。
「……君は、ライブをやり切ってくれ」
代表して犬飼が静かに前に出た。低く、しかし力強く告げる。
「我々が全力で、お守りする」
ニコは、犬飼の言葉を受け止めるように微笑んだ。
「こんなん言うてますけど、さっきまでめっちゃ緊張してはってんでこの子」
突然、けらけらと楽しそうな声が飛び出した。聞き馴染みのないその声に、団が振り返る。
「峠!」
和日に名を呼ばれ、廊下の奥からひょっこりと現れた男が手を振る。
「やっほ〜、和日ちゃん、今日も可愛らしいねぇ」
「でたよ軟派男」
善が即座にバッサリ切ったが、峠は気にも留めない。軽快に近づきながら、ニコの後ろに回って背中をぽんと叩いた。
「この子さ、さっきまで『手ぇ冷たい……無理……歌える気しない……』とかぶつぶつ言うてたのに、みんなの前じゃピシッとしてるやん! いじらしいやろ?」
「ちょっと、言わなくていいでしょ」
ニコが赤くなった顔で振り向く。わずかな笑いが場を和ませたそのタイミングで、峠がふと団を見た。
「おっ、君、初めましてやな? 俺は峠。イタリアから派遣されてきてんけど、今回はニコちゃんの専属護衛、ちゅうことで」
とびきり人懐こい笑みとともに、ゆるく手を差し出す峠。対する団は無言で、だがしっかりとその挙動を観察していた。
「真田団です、お願いいたします」
「いや〜若いのにしっかりしてるわぁ。頼りにしてるで、団くん」