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第22話 頑張りまっしょい

 だというのに。


「ルーって、なんですか?」


「……うそん」


 フィオの純粋無垢な瞳が、俺を絶望へと叩き落とした。


(ルーは、存在してないってのか……!?)


 ルー、またの名をルウ、もしくはルゥ。語源はフランス語の「roux」であり、小麦粉と油脂を炒めてスープのとろみをつけたりするために使われるもの。シチューのルーの場合は、そこに更にチーズ、スパイス類等々を加えてから加熱し、その水分を飛ばすことで固形にしてから販売されているものである。


 そしてそれはーーーーもはや現代の家シチュー作りにおいて、なくてはならないものとなっていた。


 この家にルーが用意されていないことは覚悟していた。そもそもフィオは野菜と果物ばかりの簡素な食生活を送っているわけだし、おそらくシチューなんてものも作ってはいないだろうからな。


 しかし、まさかその存在すら知らないとは。


 無論、もしかするとフィオが知らないだけの可能性もある。この世界ではルーがそんなに普及していないとか、この国には入ってきていないとか。だからもしかすると存在自体はしているのがしれないけれど。


 今重要なのはそこじゃない。


 少なくともフィオはルーを知らず、この家にそれそのものも無い。重要なのはその事実だ。


 世の料理の達人たちからすれば、何を甘えたことをと思われるかもしれないが。


 俺は正直ーーーールーさえあれば、誰でもそれなりに美味いシチューが作れると思う。


 肉と野菜を切って、ルーとともに同じ鍋で煮込んで。あとは好みの味に調味料で調整する。


 俺にとってのシチュー作りとはこうなのだ。


 だが、たった今。拠り所だったルーが無いという事実に直面してしまった。


(どうする? やっぱり他のメニューに変えるか? いや、でも……)


 チラッ、と。様子を伺うように、フィオの方を見る。


「カイト様? どうされました?」


「〜っ……!」


 駄目だ。


 ……言えない。今更ビーフシチューは無しだなんて。


 だが、ルー無しで作るのか?


 生憎と、そんな作り方はしたことがない。家でたまに作っていた時は当然の如くルーで味付けをしていた。


 きっと昔は違ったのだろうが、現代におけるルーというのは、もはや味付けの八十パーセント以上を担っていると言っていいと思う。


 つまり俺は、作るうえで八十パーセントは甘えていたのだ。


 そんな俺が、ルー無しで……


「……なんでもない。フィオはのんびり出来上がるのを待っててくれ」


 ーーーーいや、それがなんだ。


 俺は約束したのだ。フィオに晩ご飯を振る舞うと。


 食材や調味料が壊滅的に足りていないならまだしも、だ。


 足りていないのはたったの一つ。ルーだけ。


 料理というのは工夫がものを言う世界だ。……って、俺如きが料理を語るのはおこがましいかもしれないけれど。


 ともかくこれだけ色々揃っているなら、きっとルーがなくたってビーフシチューくらい作れるはずだ。


「手伝っちゃ、ダメですか?」


「ダメ。お昼は作ってもらったわけだし、夜は任せてくれ」


「せ、せめて食材を切るだけでもっ!」


「だからダメだって」


 なんとしてでも何かしらを手伝いたくて仕方ないのだろう。ダメだと言う俺に、フィオは何度も食い下がってくる。


 全く。宿を提供している側なのだから、全て任せてのんびりしておけばいいのに。


 本当……いい子だな。ド変態だけど。


「むぅ。ちょっとくらいなにか、お手伝いしたいです……」


「……はぁ。仕方ないなぁ」


「! いいんですか!?」


「ああ。そこまで言うなら一個だけ、手伝ってもらうことにするよ」


 ぽむっ。まるで犬がしっぽをぶんぶん振ってる時みたいになっているフィオの頭に、そっと手を乗せて。言う。


「じゃあ、フィオは味見係な」


「っ!? そ、それはお手伝いではーーーー」


 すぐに反論が飛んできそうになったが。すかさず言葉を被せる。


「いや、味見係だって立派なお手伝いだぞ」


「で、でもっ!」


「でもじゃない。俺はフィオの苦手な味付けとか知らないからさ。完成する前の味見段階で言ってもらえると結構助かるんだよ。完成してからよりも圧倒的に修正がやり易くなるし」


「う、うぅ」


 実際のところ、これは本当のことである。


 料理を振る舞う時、一切味見をさせずに完成形を食べさせるのと、一度味見をさせ、口に合わないところがあれば言ってもらい修正してから完成させたものを食べさせるのでは全然違う。


 ただでさえ、俺はフィオの好みや苦手なものを全然知らないのだ。もちろんどうしてもと言うから気を遣って捻り出した部分もあるけれど。とはいえ、味見係をしてもらえれば助かるのもまた事実なのだ。


「と、いうわけで。味見係さんはある程度出来上がるまで待機な。必要になったら呼ぶから、それまでは自由に過ごしててくれ」


「……くぅん(´・ω・`)」


 どうやら、これ以上続けても変わらないことは理解してもらえたらしい。


 説き伏されたフィオは、そうして。キッチンを離れ、リビングの方へと消えていく。


 そして、それを見届けてから。


 ばちんっ、と。両手で自らの頬を叩き、気合いを入れた。


「……いっちょ、かっこいいところ見せますかね」


 気合は十分。



 ーーーー頑張りまっしょい。



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