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第21話 夜ご飯は

 キッチンへ戻ると、既に食材の解凍は終わっていた。


 食材のまわりは濡れており、まな板の上はもちろんのこと、それを置いているテーブルにまで。水が滴っている。


「おっ。これなら包丁の刃も通りそうだな」


 そんな食材の感触を確かめるように。触れる。


 お肉の表面には、解凍前についていた霜の代わりに、夕日に照らされて煌めいている水滴が。


『そ、そんなところ……触っちゃらめれすっ♡ ひゃぁんっ♡』


「……」


 勝手に脳内で再生されたド変態の甘い声を無視し、霜を払った時と同じようにして、水滴を落としていく。


 まだ凍ってしまっているところや傷んでいるところなども特に無く、食材の状態は良好。


 これなら、すぐにでも料理の準備を始められそうだ。


「……よし。やりますか」


 食材を全て小窓の前から移し、調理台の前に立つ。


 作るものは既に決めていた。


「玉ねぎににんじん、ピーマン……それからじゃがいもにお肉ですか。何をお作りになるんです?」


「それはだな……って、来たのか」


「むっ。来ちゃいけないんですか?」


「いや、別にいいけどさ」


 ひょこっ、と傍からフィオが姿を現した。


 てっきりまだリビングでビクンビクンしてるもんかと。思ってたより早い回復だったな。


「一応、ビーフシチューの予定だよ。まあ調味料とかが足りなければ変更するかもだけど」


「ほほう、ビーフシチューですかっ! 大好物ですっ!!」


「そりゃあなにより」


 俺の言葉に、ぱぁぁっ、と表情が明るくなっていく。


 しまった。まだ作れるかも分からないのに言うべきではなかっただろうか。これでもし作れませんでしたなんてことになったら……。


 本人にその気は無いだろうが、密かにプレッシャーのようなものを感じてしまって。冷や汗が伝う。


 まあでも、ひとまずは頑張ってみるしかないか。


 密かな決意を胸に、卓上調味料の瓶を幾つか手に取る。


 並べられていたのは六つ。「塩」、「砂糖」、「みりん」、「醤油」、「塩胡椒」、「ソース」だ。


 どの瓶にもそれぞれちゃんと名前の書かれたシールがご丁寧に貼られており、おかげで中身がとても分かりやすい。


 たとえ料理の経験の長い熟練者でも、例えば疲れていたりとかすれば無意識のうちに見た目の酷似している塩と砂糖、醤油とソースなんかは間違えてしまうこともあるものだ。だから俺のバイト先の店でもこういった施策はされていた。


 はは、なんだか懐かし……って、ちょっと待て。


 途端、脳内が違和感に包まれる。


 あまりに自然だったので流してしまいそうになっていたが。


 今、とてつもなく変なことが起こったよな?


(名前……前の世界と、同じなのか?)


 そう。名前だ。


 ここは異世界。よくよく考えればフィオが日本語を喋っているだけでもおかしいことだというのに。


『玉ねぎににんじん、ピーマン……それからじゃがいもにお肉ですか。何をお作りになるんです?』


『ほほう、ビーフシチューですかっ! 大好物ですっ!!』


 そのうえ、食べ物も調味料も、名前が前の世界と同じだなんて。


 てっきり似たような食べ物ってだけで、それぞれ全く別の名前が当てられているのだとばかり思っていたのだが。どうやらそうではないらしい。


 俺的にはキャベツはキャベツ、じゃがいもはじゃがいもと呼べるのはとても楽だしありがたいことではあるんだけどな。


(違和感、凄いなぁ……)


 それはそれとして。やはり違和感は拭いきれなかった。


 この都合の良さ。まるでフィクションの世界みたいだ。


 いや、たとえフィクションであったとしても。例えば某有名ライトノベルの異世界生活さんでは名前が一文字違いだったし。そんな感じで、少なくとも全く同じ名前で存在しているということはなかったはずだ。少なくとも、俺の知っている限りでは。


(……まあ、あまり深くは考えないでおくか)


 違和感はやはりある。ある……が。


 とはいえ、だ。


 少なくとも今のところは、特に不都合は無い。むしろ好都合なくらいだ。


 そんなわけで。ーーーーこれ以上は考えないことにした。


 まああれだ。ひとまず諸々説明不足で異世界転生させたあのアニヲタ女神が悪いってことで。


 何か不都合が起こった時は、アイツのせいにすることを固く誓った。


 と、そんなことを考えているなどつゆ知らず、


「どうです? 調味料、足りそうですか?」


 フィオが心配そうに身を乗り出し、問いかけてくる。


 それに対し俺は、思考を切り替えて


「……むむ」


 再び、目の前の調味料と向き合った。


(正直、これだけあれば……)


 足りている……と、思う。


 この六つさえあれば、まあ大抵の味付けはできる。ひとまず大まかな原型さえ作ってしまえば、あとはこれらを使ってどうとでもテコ入れすることが可能だろう。


「ああ。調味料は充分だ」


「やったぁ! ならーーーー」


「ただ、よくよく考えたら″あれ″があるのかどうかの確認を忘れてた」


「?」


 ″あれ″とは? とでも言いたげに。フィオが首を傾げる。


 ビーフシチューを作ると決めて。俺は真っ先に味付けのための調味料の心配をしたけれど。


 それは、″あれ″があることが当然だと、頭の中で勝手に思い込んでいたからだ。


 本当に心配をしなければならなかったのはそっちの方だった。


 だって、それが無ければーーーー


 声を震わせながら、聞く。


「ルーって、あるか……?」



 それが無ければーーーービーフシチューを作るうえでは、その土俵にすら。立つことはできないのだから。

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