「いいか、じっとしてろよ」
「うぅ。本当にそんなもの、かけちゃうんですか?」
「当たり前だろ。いい加減観念しろって」
「……はい」
息を切らしながら言う俺に、ようやく観念したのか。フィオは大人しく目を閉じる。
同時に差し出されたのは、彼女の華奢な身体に付いているには不自然なほど大きく膨らんでいる、丸みを帯びた柔らかな素肌。
「うぅ。せめて一思いにお願いします。その白いベトベト、早く……っ」
「言われなくても。いくぞ」
「っ……!」
それを前に、長細い″棒状のそれ″を持つ手に力を込め、中の液体を流しかける場所を狙い定めるよう、先端を膨らみにそっと押し当てる。
フィオの唇は、小さく震えていた。
その正体はおそらく、これから自分が失うものへの喪失感なのだろう。
しかしそんな中でも、彼女は俺の言いつけを守り、動かない。
どうやら、既に覚悟は決まっているようだ。
「っひ……あぁっ!」
「まだだ。まだだぞ。絶対動くなよ」
白濁としている液体がーーーーフィオの身体に、触れる。
途端、鼻腔をくすぐったのはそれ特有の臭み。
他の何にも言い表せない、だが明確に臭いと言い切ることはできる、そんな臭みだった。
だがそれが膨らみを覆い尽くしていこうとも、フィオは決して動かない。耐えるように、小さく声を漏らすだけだ。
「あぁ……ぁぁっ」
そしてやがては、その声すらも。徐々に徐々に、小さくなっていって。
声量がゼロになるとともに。フィオは、目を開けたのだった。
「どうだ、消えたか? ″痛み″は」
「うぅ。綺麗さっぱり消えちゃいました。腫れも……引いちゃってます」
「よし。じゃあ洗い流してこい。臭くてかなわんわ」
「はぁ〜い……」
手をぷらぷらさせ、怪我の完治を確認してから。そうして少ししゅんとした返事をすると、手に付着したままの液体を洗い落とすべく、キッチンへと消えていく。
「はぁ、一時はどうなることかと。にしても凄いな、これ……」
手元の長細い棒状のーーーー試験管のようなガラス状の容器と、その中にまだ半分ほど残っている白いベトベトーーーーポーションと呼ばれるそれに視線を落としながら、嘆息する。
時は数分前。
フィオは右手が潰されそうになりながらも、頑なに魔法を解こうとはしなかった。
その理由は言わずもがな。痛みによる快感に浸っていたからである。
しかし生物としての自衛本能なのか、やがて。フィオの意志とは関係なく、氷の剣は自壊した。
残されたのはひび割れた地面と、それでも尚現在進行形で続く痛みに頭をやられているド変態だけ。
放っておこうかとも思った。しかし彼女の細い手先で不自然なほど大きく膨らんでいるーーーー目で見ただけですぐにヤバいと分かる色をしたその腫れを前にしては、そうもいかなかったのだ。
きっとそれはコイツがドMだからギリギリなんとかなっているだけで、本当なら狂うほど泣き喚くか意識を飛ばしてしまうほどの怪我だったのだと思う。下手すれば骨にヒビか、最悪骨折くらいはしていたのかもしれないな。
と、いうわけで。めちゃくちゃ心配になった俺は、ひとまず知識が無いなりに応急処置をするため動いた。
身体を痙攣させながら涎を垂らしているフィオの身体を揺さぶり、何かその怪我を治してやれる手段はないのかと。問い詰めたのである。
すると彼女は、分かりやすい嘘でその方法を隠そうとした。きっと自分の身に降りかかっているとてつもない痛みをまだまだ経験していたかったからに違いない。
しかしどう考えてもそんなことを言っている場合ではなかったので、その後も何度も何度も詰問して。するとようやく、「ポーション」という存在を吐いたのだ。
その後の流れはさっき見た通り。その場所を聞き出し、ボンボンに腫れ上がっている手にぶっかけてやったというわけである。
……え? なんか描写が色々と紛らわしかったって? それはあれだ。変な勘違いをした皆さんは心が汚れているということだ。猛省してください。
「ふぅ……匂い、やっと取れましたぁ。私ポーションの匂いって昔から苦手なんですよねぇ。あとなんかやけにベトベトしてて肌触りもアレですし……」
「おかえり。手、ちゃんと大丈夫そうか?」
とてとてと歩いてリビングまで戻ってきたフィオは、呟いて。俺の質問に、首を縦に振る。
「はい。残念ながら、完全に元通りです」
「残念ながらて……お前なぁ」
痛みを失い、残念がるように。彼女は肩を落としていた。
なんだか心配して損した気分だ。
「ったく、何がお手本だよ。本気で焦ったんだからな」
「す、すみません……。けど、わざとじゃなかったんです。本当はちゃんと、かっこよく先生するつもりだったんですよ?」
「本当かぁ?」
「ほ、本当ですって!」
彼女が言うには。どうやらさっきの失敗は、ドM故にわざと失敗して痛みを味わおうとしたのではないらしく。
どうやら自分で思っていた以上に気合を入れすぎてしまっており、そのせいで剣の″密度″を上がったことが原因の、不慮の事故なんだそうな。
知識の乏しい俺は説明されてもあまり正確に理解はしきれなかったが。まあかなり簡単に言うと、多分張り切って剣の内側までギッチギチに氷を詰め込んでとんでもない重量に仕上げてしまったということである。雪玉をふわふわに作るのではなく、手でとことん圧縮して作ってしまった、みたいな。
「しかし意図していなかったとはいえ、やっぱり少し名残惜しいですね。あの骨が悲鳴を上げながら圧縮されていく感じは……んんっ!♡」
「はいはい。ドMドM」
「あんっ♡ 雑にあしらわれてしまいました……っ♡」
まあ、うん。ひとまず怪我は治ったことだし。一件落着ということにしておこうか。
身震いしているフィオを横目に。掛け時計に目をやる。
なんやかんやと、魔法講習自体は気付かぬうちにそれなりの時間続いていたようで。
現在時刻は午後五時。窓の外では夕陽が顔を出し始め、空がほんのりと茜色に染まっていた。
「っと。そろそろ晩ご飯の支度しなきゃだな」
未だ消えたはずの痛みの余韻と、俺の雑な扱いに身悶えを続けているド変態をそのままに。俺は一人、キッチンへと向かう。
そろそろ、食材の自然解凍も終わっている頃だろう。