「いただきますっ!」
「ん、いただきます」
ぱちんっ。二人の手を合わせる音が同時に響き、夜ご飯タイムが幕を開ける。
「んん〜〜っ!! お肉もお野菜もほろほろれふ! はふっ、はふはふっ!!」
「おいおい、落ち着いて食べろって。誰も取らないからさ」
熱々のビーフシチューに舌鼓を打つその様子に思わず笑みをこぼしながら。お茶の入ったコップを手渡す。
食卓に並んでいるのは、深皿によそわれたお米とビーフシチューのセットが二つに、シェア用大皿に盛られた生野菜のサラダが一つ。取っ手の付いた可愛らしい食器に合わせられたコンソメスープと、コップに入ったお茶がそれぞれ二つずつ。
ただ、フィオはサラダとスープには目もくれず。一口目から急いでビーフシチューを貪り、その熱さにしっかりと舌を焼かれていたのだった。
まあそれだけ、楽しみにしてくれていたということだろうか。反応を見るに味見の時同様ちゃんと気に入ってくれたみたいで、本当に何よりだ。
と、ほっとしたのも束の間。
「……ひた、やけどひちゃいまひた」
ちろり、と可愛らしい舌が顔を出す。
その先端は、僅かに赤くなっているように見えた。
「言わんこっちゃない。本日二回目だな」
「あぅ。ひりひりします……」
「ポーション塗るか?」
「!? こ、殺す気ですか!?」
「でも、あれだけの怪我を一瞬で治すくらいだし。塗れば火傷くらい簡単に治せるだろ?」
「あんなの舌に塗られたら火傷どころの騒ぎじゃなくなっちゃいます!! ただでさえ匂いがキツくて、そのうえ誤飲を防ぐため味も相当苦くされていると聞きますし……あ、あんなもの……」
「……お前、今なんか変な妄想したろ」
「へっ!? い、いえ。無理やり顔を押さえつけられてあの白濁とした苦い液体を口内に塗りたくられるなんて、そんな……んんっ♡」
「語尾に♡付いちゃってんだよ。あとやめろその言い方。字面ヤバすぎるから」
「か、カイト様のご命令とあらば……」
「ご命令してないから! 妄想で事実を捏造すんな!?」
ったく。妙に生々しく言ってくるもんだから、俺まで少し想像しちゃったじゃないか。
……というか、よくよく考えたらあのポーションも悪いな。
普通、ポーションと聞くと赤•青•緑等のカラフルで、それでいて普通の水と同様に飲みやすい感じの液体を想像すると思うのだが。
この世界では色は白濁色だし、そのうえ臭くて粘性を帯びている。なんかこう……意識すればするほど色々とコンプライアンス的にアウトな気がしてきてならない。
しかもそれをフィオのような女の子の口内に塗るというのなら、尚のこと……な。
「ふふっ、流石は私のご主人様ですね……」
「はぁ。これ以上言うならビーフシチューは没収な」
「…………ごめんなしゃい」
だから一瞬、深く考えずに冗談を言った俺の方にも責任はあるかもしれないと考えたが。
息を荒くして喉を鳴らす彼女の姿を見ていると、そんな考えなど。一瞬にして消え去っていた。
◇◆◇◆
「〜〜♪」
キッチンから、水音とともに楽しそうな鼻唄が聞こえてくる。
「カ〜イト様に〜なっぐらっれて〜、あっという間に○奴隷〜〜♪」
「ぶふっ!! ……げほっ、ごほっ」
鼻唄であってほしかった。
軽快なリズムで口ずさまれたのは、あまりにも混沌とした歌詞。
「くそっ、やられた……」
ひとまず、それには聞こえなかったフリをして。吹き出してしまったお茶を拭き取る。
幸いにも、フィオには気づかれていないようだった。彼女は未だ、上機嫌な様子で皿洗いを続けている。
夜ご飯タイムの最中。俺たちはこれから同棲するにあたって、家事の分配を決めた。
本来ならこれは同棲というよりどちらかというと居候と捉えられるべきものだし、せめて家事くらい俺が全部やらせてもらいたかったのだが。まあ、フィオがそれを許すわけもなく。
ただ、だからと言って全ての家事を任せるというのはいくらなんでも甘え過ぎだと抗議した結果。家事を分配することで手打ちとなったのだった。
フィオの担当は洗濯、掃除。
俺の担当は料理と、その他力仕事全般。
ひとまず、大雑把な分配はこんな感じだ。ああ、あとちなみに料理は俺の担当だが、本人の強い希望もあって朝ご飯は任せることにした。昼、夜は俺の料理を見て学び、朝にそれを実践したいんだとか。俺はとにかく寝起きが悪く朝が弱い性分なため、正直助かる。
しかし自分でも料理を作れるよう腕前を、という考え方そのものは素晴らしいものの、「カイト様の従者として、いつか必ず美味しい料理を振る舞えるようになってみせます!!」と言われた時は、どんな顔をすればいいのか分からなかった。俺はフィオと主従関係になるつもりなどないと、何度言えば分かってもらえるのだろうか。
ため息を漏らしつつ、中身の無くなったコップを持って、フィオのいるキッチンへと向かう。
唄はーーーーまだ、続いていた。
「押〜し倒さ〜れて〜、ぬちょぬちょぐちょぐちょずっこんばっこーーーー」
「しないからな」
「っ!? か、カイト様!? いつからそこに!?」
一応ツッコんで。「これも頼む」と、残り少ない洗い物の中にコップを置く。
びくぅっ、と大きく身体を震わせて振り向いたフィオの耳先は、ほんのりと紅潮していた。どうやら本人は本当に口ずさんでいただけで、あの奇天烈な唄は俺に聞かせる気では無かったらしい。まあ残念ながら、最初から全てリビングまで聞こえていたが。
「うぅ。私の気持ちの吐露を聞かれてしまいましたか。これはもう責任を取ってもらうしかありませんね……」
「そっちが勝手に垂れ流してきたんだろが。それで責任とかもうテロだぞ」
「た、垂れ流してなんていません! 誰の穴がゆるゆるですか!!」
「なんの話をしてんだ!!?」
いきなり話を斜め上どころか訳の分からない異空間まで飛ばされそうになり、思わず声を荒げる。
全く。油断したらすぐにこれだ。彼女の「変態語録コミュニケーション」は、発動するが早いか、あっという間に会話の主導権を握ってくる力があるので末恐ろしい。
思わず再び嘆息して、
「ったく。これを片しにきただけだってのに」
「これ? ……ああ、それのことですか」
ビーフシチューの残りが入った鍋にラップをし、狭い冷蔵庫に押し込む。
二人前の分量が今ひとつ分からず、作り過ぎてしまったのだ。おかげで明日の昼もビーフシチューだな。
その光景を見て、「ふふっ、明日もビーフシチューを食べられるなんて天国ですね」とフィオ。
「天国、ね。まあ二回もおかわりするくらい気に入ってくれたんだもんな」
「ひ、人を食いしんぼみたいに言わないでください!」
「大丈夫大丈夫。女の子はいっぱい食べるくらいが可愛いってじっちゃんも言ってた」
「じっちゃんって誰ですかぁ……」
まあ正直、フィオがあんなに食べる子だとは思っていなかったけれど。
とはいえ、だからと言って失望したりするわけでもない。むしろ俺の料理をあんなに美味しそうに、それもお腹パンパンになるまで何度もおかわりして食べてくれるだなんて。……めちゃくちゃ、嬉しかったのだ。
だからーーーー
「とにかく、これからもいっぱい食べてくれな。フィオのあんなに喜ぶ顔が見れるなら、作り甲斐もあるってもんだ」
願わくは。これからも……そんな顔を、たくさん見せてもらいたいと。
そう、強く思った。