しかし、南西部の洞窟への対応は、動きが鈍いものだった。
ブルーベルが為すべき進言はしたのにも関わらず、対応する冒険者の選定やパーティの編成が滞っている。
行われているのは、せいぜい応急処置的な動きと、不完全な現地警備だけだ。
洞窟の入り口から少し離れた場所に、数名の見習い冒険者が配置されているものの、彼らに迷宮化の兆候を察知する能力があるはずもない。
申し訳程度の緘口令は、ブルーベルがギルドホールで行ったやりとりですっかり広まってしまい、まるで意味がないものだ。
このちぐはぐな動きに、
情報管理部門のカウンターに座るブルーベルは、この状況に苛立った。
(私の分析では、刻一刻と迷宮の危険度は増している、なのにどうしてギルドマスターは迅速な対応を指示しないの?)
何度か直訴を繰り返しているが、はぐらかされるばかりで相手にしてもらえない。
いったい何を考えているのか、理解できなかった。
「あの、飲んだくれのぼんくら好色男っ!!」
唐突に、ドンっと机にこぶしを落とす。明らかにらしくない言葉使いに周囲がどよめいた。
「ぶ、ブルーベルさん? 落ち着いてね」
「はー!! 私が何度、訴えてものらりくらいと躱して! なにが『重要性はわかってるけどさぁ、慎重に対応しないと危険だからねえ』だ! 急いで対応しないと意味がないって言ってるじゃないですか!!」
「そうね、そうね。困っちゃうわよね」
「そもそも、あの人は普段から仕事への態度が良くないのですよ! どうしていつもへらへら、ふらふらしてるんですか!」
「……そうねえ。ただでえ、新人さんたちとかが不自然に行方不明になってるしねえ」
「そうです! しかも等級持ちですら、トラブルが起きてますよ! この間なんか……」
実際の所、ブルーベルがイエバに怒りを見せるのは珍しくない。イエバの勤務態度や私生活がだらしないのもあるが、秘密主義が過ぎる態度がたびたび逆撫でする。
見通しがつかない状態に対して、ブルーベルはストレスを感じやすい。もはや限界に近かった。
そこに最年長のギルド受付嬢が、やんわりと声を掛けた。
「でも、ギルドマスターの力量を疑ってるわけじゃないものね。ブルーベルさんは」
そう言われて、ブルーベルの動きがピタリと止まる。
「……まあ、そうですね。あの方は、私の師なので」
「ねー、尊敬してる司書士であり、情報管理部門の先達ですものね」
「そんなの。別に、尊敬してるわけじゃ、ありませんけど」
ごにょごにょと言葉を濁すブルーベルだが、怒りの気勢が一気に削がれていた。
今のブルーベルの力量、分析能力はもちろん『
なんだか居た堪れなくなって、ブルーベルは虚空から古い革張りの書物を呼び出すと、目の前の業務に戻り始める。それでようやく空気が弛緩した。
フローラの中心人物である三人、リコリス、エピフィラ、ブルーベルは『トリフローラ』と囁かれるほど中心を担う人材だ。
彼女たちの心が乱れると、全体の動きも鈍る。
とはいえ、今回はまだ平常運転の範疇だった。他のもう二人も平然としている。
「別にイエバに任せておけばいいだろうに。ずいぶんとブルーは神経質だな」
「リコはブレないねえ、慣れ?」
「今さら、この程度で焦ってもな。それにアタシは今の自分をギルドの『剣』や『
「あはっ、おもしろいね。それって、ギルドがお船ってこと?」
「まあ、そうだな。エピ、お前も自分の役割だけ果たせ。お前たちは冒険者を導く灯台。だから迷うな、焦るな」
「う~ん、わたくし、お仕事中に焦ったことも迷ったこともありませんの♪」
「……それはそれで、なにか問題だな」
エピフィラが平然と来訪者を待たせて、バタバタしている振る舞いを思い出す。何とも言えない気分になるリコリス。
「自分のペースを乱して、判断を誤るよりはいい、のか?」
「急かされても、良いお仕事は出来ませんの。あら、お菓子を切らしちゃいました」
カウンターの業務中だろうが、関係なくポリポリとクッキーを食べるエピフィラ。見慣れた風景だが、誰も咎めない辺り麻痺してしまっている感は否めなかった。
人の出入りが緩み、午後に穏やかな空気が流れ始めた頃にそれは起きた。
「おい、冗談じゃねえぞ! この報告書のどこが問題だってんだ!」
「ひぃっ!?」
「小娘如きがっ、ケチ付けてんじゃねえぞ」
カウンターに乱暴に身を乗り出した大男に、担当
『牙狼の咆哮』という三級パーティのリーダー、ザックだった。
「椅子をケツで暖めてるだけの分際で、調子に乗ってんじゃねえぞ。せいぜい愛想よく報酬を出せっ」
在中する警備員たちが一斉に視線を向けた。不愉快そうに眉をしかめ、やや前のめりに姿勢を変える。下手すると複数人と乱闘騒ぎだが、ギルド受付嬢への暴挙は許されない。
しかし、真っ先にそこに冷ややかな声を浴びせたのは、ブルーベルだった。
「あなたちの報告そのものには問題はありません」