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第5話 嵐の前のフローラたち

 しかし、南西部の洞窟への対応は、動きが鈍いものだった。

 ブルーベルが為すべき進言はしたのにも関わらず、対応する冒険者の選定やパーティの編成が滞っている。

 行われているのは、せいぜい応急処置的な動きと、不完全な現地警備だけだ。

 洞窟の入り口から少し離れた場所に、数名の見習い冒険者が配置されているものの、彼らに迷宮化の兆候を察知する能力があるはずもない。

 申し訳程度の緘口令は、ブルーベルがギルドホールで行ったやりとりですっかり広まってしまい、まるで意味がないものだ。


 このちぐはぐな動きに、ギルド受付嬢フローラたちは戸惑いを隠せないでいた。

 情報管理部門のカウンターに座るブルーベルは、この状況に苛立った。


(私の分析では、刻一刻と迷宮の危険度は増している、なのにどうしてギルドマスターは迅速な対応を指示しないの?)


 何度か直訴を繰り返しているが、はぐらかされるばかりで相手にしてもらえない。

 いったい何を考えているのか、理解できなかった。


「あの、飲んだくれのぼんくら好色男っ!!」


 唐突に、ドンっと机にこぶしを落とす。明らかにらしくない言葉使いに周囲がどよめいた。


「ぶ、ブルーベルさん? 落ち着いてね」

「はー!! 私が何度、訴えてものらりくらいと躱して! なにが『重要性はわかってるけどさぁ、慎重に対応しないと危険だからねえ』だ! 急いで対応しないと意味がないって言ってるじゃないですか!!」

「そうね、そうね。困っちゃうわよね」

「そもそも、あの人は普段から仕事への態度が良くないのですよ! どうしていつもへらへら、ふらふらしてるんですか!」

「……そうねえ。ただでえ、新人さんたちとかが不自然に行方不明になってるしねえ」

「そうです! しかも等級持ちですら、トラブルが起きてますよ! この間なんか……」


 実際の所、ブルーベルがイエバに怒りを見せるのは珍しくない。イエバの勤務態度や私生活がだらしないのもあるが、秘密主義が過ぎる態度がたびたび逆撫でする。

 見通しがつかない状態に対して、ブルーベルはストレスを感じやすい。もはや限界に近かった。

 そこに最年長のギルド受付嬢が、やんわりと声を掛けた。


「でも、ギルドマスターの力量を疑ってるわけじゃないものね。ブルーベルさんは」


 そう言われて、ブルーベルの動きがピタリと止まる。


「……まあ、そうですね。あの方は、私の師なので」

「ねー、尊敬してる司書士であり、情報管理部門の先達ですものね」

「そんなの。別に、尊敬してるわけじゃ、ありませんけど」


 ごにょごにょと言葉を濁すブルーベルだが、怒りの気勢が一気に削がれていた。

 今のブルーベルの力量、分析能力はもちろん『閉じられた図書館クローズドライブラリ』による情報管理や索引能力は、イエバによって磨かれたもの。

 なんだか居た堪れなくなって、ブルーベルは虚空から古い革張りの書物を呼び出すと、目の前の業務に戻り始める。それでようやく空気が弛緩した。

 フローラの中心人物である三人、リコリス、エピフィラ、ブルーベルは『トリフローラ』と囁かれるほど中心を担う人材だ。

 彼女たちの心が乱れると、全体の動きも鈍る。

 とはいえ、今回はまだ平常運転の範疇だった。他のもう二人も平然としている。


「別にイエバに任せておけばいいだろうに。ずいぶんとブルーは神経質だな」

「リコはブレないねえ、慣れ?」

「今さら、この程度で焦ってもな。それにアタシは今の自分をギルドの『剣』や『いかり』だと思ってる。道具が焦るか?」

「あはっ、おもしろいね。それって、ギルドがお船ってこと?」

「まあ、そうだな。エピ、お前も自分の役割だけ果たせ。お前たちは冒険者を導く灯台。だから迷うな、焦るな」

「う~ん、わたくし、お仕事中に焦ったことも迷ったこともありませんの♪」

「……それはそれで、なにか問題だな」


 エピフィラが平然と来訪者を待たせて、バタバタしている振る舞いを思い出す。何とも言えない気分になるリコリス。


「自分のペースを乱して、判断を誤るよりはいい、のか?」

「急かされても、良いお仕事は出来ませんの。あら、お菓子を切らしちゃいました」


 カウンターの業務中だろうが、関係なくポリポリとクッキーを食べるエピフィラ。見慣れた風景だが、誰も咎めない辺り麻痺してしまっている感は否めなかった。

 人の出入りが緩み、午後に穏やかな空気が流れ始めた頃にそれは起きた。


「おい、冗談じゃねえぞ! この報告書のどこが問題だってんだ!」

「ひぃっ!?」

「小娘如きがっ、ケチ付けてんじゃねえぞ」


 カウンターに乱暴に身を乗り出した大男に、担当受付嬢フローラが怯えた。くたびれた毛皮を羽織るその男は、仲間たちを引き連れて悪態をつきつづける。

 『牙狼の咆哮』という三級パーティのリーダー、ザックだった。


「椅子をケツで暖めてるだけの分際で、調子に乗ってんじゃねえぞ。せいぜい愛想よく報酬を出せっ」


 在中する警備員たちが一斉に視線を向けた。不愉快そうに眉をしかめ、やや前のめりに姿勢を変える。下手すると複数人と乱闘騒ぎだが、ギルド受付嬢への暴挙は許されない。

 しかし、真っ先にそこに冷ややかな声を浴びせたのは、ブルーベルだった。


「あなたちの報告そのものには問題はありません」

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