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第4話 ギルドマスターのイエバ

 ギルドマスターの執務室は、ホールとは隔絶された空間だった。

 重厚な木の扉が、外界の音を完全に遮断している。

 執務机の奥には、黒檀でできたと思しき執務机が据えられ、書物や書類が山のように積みあがっている。

 壁には緻密な地図や貢献した歴代ギルドマスターたちの肖像画が厳かに並び、その視線が部屋を見下ろしていた。微かなインクの匂いに、古木の香りが入り混じる。

 逆光に照らされた重厚な椅子には、常に掴みどころのない笑みを浮かべた中年の男、イエバが腰かけていた。パイプを咥えて、煙をゆったりくゆらせる。


「つまり、あれかなあ。エズモンド。教導隊で弟子をとるにも、限界があるってことかい?」


 筋骨隆々の白髪の老人エズモンドが、しかめっ面で頷く。教導隊の責任者である彼の厳めしい顔には、どうにもならない不満がにじんでいた。


「そうさ、あまり無茶を言うなよイエバ。最近は、ド素人のガキどもがどんどん入ってきやがる。うちは孤児院でもなければ、託児所でもねえんだぞ」

「んー。地方で人間が余ってきてるんだよねえ、豊作も続いて平和な証拠なんだけど。畑も子供の人数に合わせて分割できるわけでもなし」

「んなことはわかってる! しかし、そうなると開拓すんのに、魔物の住処を開かにゃならん、急速にな。……そうなると数年先まで地獄だぞ」

「あはは、熟練の冒険者は畑じゃ取れないからねえ。……つい、先日もちょっと削られたし」


 都市部への人口流入について、冒険者ギルドの幹部同士が顔を突き合わせる。それは世間的には異様だった。都市の数年先まで見通して、二人は計画を模索する。


「僕は思うんだけどねえ、エズモンド。この問題、どこのギルドでも起きてるだろうねぇ。まともに育てるには、ちょいと多すぎるって」

「ああ、まあそうだろうな。もう、うちだけじゃどうにもならん」

「ここ最近、きな臭いし。やり返そうかと思ったけどさぁ……こうなると他のところにつぶれてもらっちゃ困るよねえ。ちょいと考え方を変えるかねぇ」

「何か妙案があるのか」

「いやさ。近々……」


 その時、ノックの音がした。規則正しくも、確かな主張がそこにあった。


「失礼します、ギルドマスター。ブルーベルです」


 イエバは細められた瞳の奥に、わずかな興味の色を宿らせると「来たか」と呟く。エズモンドは驚いたような表情を浮かべたが、イエバと互いに目を合わせると、小さく頷いた。


「いいよ、入って来るといい」

「はい、失礼します」


 静かに扉が開き、ブルーベルが室内へ足を踏み入れた。手には、いつもより厚みのある書類の束を抱えている。銀縁のレンズ奥、その澄んだ青い瞳は、最奥に座るギルドマスター、イエバを真っ直ぐに見据えていた。


「む、エズモンドさんまで。……申し訳ありません、協議中でしたか?」

「いや、かまわないともさ。にしても珍しいねえ、僕に急いで報告に来るなんて。何かよほど重大な案件かなぁ?」


 イエバの声には、普段の飄々とした調子に加え、期待の響きがあった。彼はブルーベルが単なる日常業務の報告で訪れることはない、と知っている。


「はい、ギルドマスター。先日受理された南西部の洞窟調査依頼について、懸念すべき点がございます」

「ああ、あの洞窟ね。懸念すべき点と、いうと?」

「過去の記録と照合した結果、この洞窟は迷宮化の初期兆候を示しています。報告された地形データと、本来の地形に不整合が見られます」

「ん~、どれどれ。ほら、エズモンドも見てみたまえよ」


 ブルーベルが机に広げた資料に、視線が行きかう。3層にも渡る複雑な地形地図と、観測所における霊震と魔素変動を示すグラフ。


「ああ、確かにコイツは……初期迷宮だ」

「うん、現時点だとせいぜい、自然空洞に繋がってるレベルかもしれない。過去の迷宮を巻き込んでる場合もあり得るが」


 幹部二人の経験則からの見立ても、判断を裏付けた。


「仰る通りです。これは空間歪曲が発生している可能性が高く、放置すれば大規模な迷宮変動に至る恐れがあります。対応するなら今かと」


 部屋に、ブルーベルの冷静な声だけが響く。

 イエバは資料に目を落とし、パイプを口から離すと「ふぅーっ」と煙を吐き出した。顎の髭をなぞりながら、緩い笑みを浮かべる。


「変動による大規模迷宮化、か。それは厄介だねぇ。……流石はブルーベルちゃん。君の眼力にはいつも感服するよ」

「恐縮です。現時点での推奨対応は、二級冒険者複数パーティーによる再調査と、入口の封鎖、および結界術師の派遣です」

「ふむ。費用は嵩むが、後々の被害を考えれば安いものだろう、ね」


 ぽ、ぽ、とドーナツ型の丸い煙をいくつか吐く。煙で遊びながら、イエバは考えこんだ。なぜか指示を下さない。

 エズモンドは呆れ顔を見せた。


「おいおい。こいつを正常化するなら今の内だぜ、イエバ。まさか見逃す気じゃねえよな」

「まさか。いくら僕でも、そこまで腑抜けてないよ。ただ早期発見は喜ばしいが、対処を誤れば街の脅威となりかねない。送り込んだ冒険者を餌にしてデカくなられても困る」


 この初期手順が狂えば、いくらでも状況を悪化させうる。


「至急、手配は指示する、が。ブルーベルちゃんは、その洞窟周辺に関する過去の記録をすべて洗い出してくれるかなぁ。過去に周辺で発生した迷宮事例も含めて。他のギルド支部や国家機関からの報告がないか、隈なく頼むよ」

「承知いたしました」


 ブルーベルは一礼し、執務室を後にする。彼女の論理的な思考は、既に次の作業手順を既に次の作業手順を構築し始めていた。

 そのスマートな背中を見送ったエズモンドは、溜息を吐く。


「おい、今の知らせがお前が待ち望んでた追い風か? 俺に逆境にしか思えねえが」

「んー……まあ、こういうのはねぇ。エズモンド」


 にっこりとイエバは笑った。からかうような声色。


「完璧に勝とうとするから、ダメなんだ。うま~く利用すれば、灰色くらいには持ち込めるもんだよ」


 イエバがこのアリアーテの街で、冒険者ギルド『探究者の灯シーカーライト』の支部長ギルドマスターとして君臨できるのは、むろん教会に媚びを売って神の加護を得たからでもなければ、貴族としてのコネに頼ったからでもない。

 ひとえに、この男の脳がこの街に適応していたからであった。

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