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第3話 青き頭脳ブルーベル

 中心となる女性フローラはもう一人。

 ギルドホールの喧騒から少し離れた、情報管理部門のカウンター。

 そこには、深い青色の髪を完璧なシニヨンにまとめ上げた、知的な女性が座っていた。銀縁の眼鏡の奥、澄んだ青い瞳は、空間に投影された膨大な情報を休むことなく追っている。

 彼女こそ、ギルドの頭脳と称されるブルーベルだった。


「……先月提出された、この『南西部の洞窟調査』依頼。達成報告がされていますが、内部の地形に不整合が見られます。これは、通常の構造とは一致しません」


 ブルーベルは、目の前に立つ冒険者パーティーのリーダーに、淡々と分析結果を告げた。


「不整合?いや、確かに奥まで探索したはずだが」

「ええ、あなたの報告を疑っているわけではありません。この位置はどんな様子でしたか」

「行き止まりというか、そこは単なる岩壁だったはずだが」

「なるほど。おそらく、これは迷宮化の兆候ですね」

「め、迷宮化?」


 指し示された投影映像に目を向ける。そこには洞窟内の詳細な地図が映し出されていたが、過去のものと比較すると確かに地形に差がある。

 さらに、ブルーベルは何もない空間から一冊の本を取り出しめくり始めた。


「過去の記録と、今回のあなた方の提出データ。そして、最近地上で観測された霊震の微細な変動パターンを照合した結果、この洞窟は空間歪曲を起こしている可能性が高いと推測されます」

「く、空間歪曲……」

「運がよかったですね。かえって異常に気付き、この岩壁に触れていたら奥に入ってしまったでしょう」

「奥って?」

「自然洞窟が迷宮となる場合には、初期のケースでは別の空洞に繋がっていることもありますが……下手をすると地下に落とされますね。そのまま迷宮変動が起きた場合、脱出は困難です」


 聞いたパーティメンバー全員が、ゾッと青ざめた表情を浮かべる。冒険者稼業の恐ろしさを改めて突き付けられた。


「現時点で洞窟内部に、あなた方の報告にはない未知のエリアが存在する確率、89.5%と言ったところでしょうか。採取された魔素濃度からしても、広さの計算が合いません。再調査が推奨されますが……」

「それって、俺たちが行くべきなのか……? 今回の報酬は?」

「規定上、今回の調査報酬は、満額でないながらも支払います、が。……より危険な環境が予測されるため、深層部には別の上位パーティを起用。あなた方にはこの地点、入口までの案内を再度依頼することになるかと。検討出来ますか」

「あー……ちょっと話し合っていいか?」

「どうぞ。入口までとは言えリスクはありますから」


 淡々と話を進めていくブルーベル。

 卓越した情報記憶、パターン認識、そして論理的分析能力による正確無比な分析は、ギルド職員や冒険者たちの間ではもはや伝説に近い。

 冒険者たちは渋々といった様子でカウンターを離れ、ギルドホールの隅でひそひそと協議を始めた。

 そこには目もくれず、ブルーベルは机上に広げられた複数の地図と、過去の膨大なデータを睨みつけ、次に起こりうる危険を予測し始めた。眼鏡のレンズが、僅かに光を反射する。


「初期迷宮を発見できたのは幸いですね。これを初動で封じられるかどうかは、大きい。……ギルドマスターと協議すべきですね」


 周囲の受付嬢に一声かけると、ブルーベルは洗練された動きで立ち上がり、ストッキングに包まれた長い足で歩み出した。

 そのまま階段を上がってき、ブルーベルが姿を消すと、それまで続いていたギルドホールに波紋が広がった。

 冷静沈着なブルーベルが、すぐさまマスターに報告に行くなど、そうあることではない。明らかに異常事態だった。

 近くのカウンターで書類を整理していた若い受付嬢が、隣の同僚にひそひそとささやきあう。


「ねえ、今の聞いた?」

「ええ。『迷宮化』って言ってたわよね。しかも初期兆候だって?」

「えー? でも、管轄内での迷宮化くらいなら、年に何度かあるじゃないの」

「そうだけど! まさかこんな都市近くの洞窟でだなんて……」

「もしかして、ブルーベルさんが直接マスターに報告に行くなんて、かなりヤバい規模なんじゃないの」

「だいたい、あの洞窟はつい先日、新人が入って駆除してきたばかりじゃなかった? なんで『迷宮化』なんて話が出るのよ」


 飛び交う会話を耳にした別の職員らが、眉をひそめる。

 ギルド職員にとって、ブルーベルの出す情報は常に正確だ。だが、その感情を排した分析が、時に理解を超え、得体の知れない不安を煽る。


「それが、あのブルーベルさんのすごいところじゃない。私たちには見えないものが、彼女には見えているのよ」

「でもさ、本当に大規模迷宮になるなら、うちのギルドだけじゃ対処しきれないでしょ?他の支部とか。よそのギルドにも連絡行くのかな」

「う……そう、ね。マスターが直接動くなら、もう既にそのレベルってことかも」

「え、それってつまり……この街も危ないんじゃ」


 ざわめきはギルドホールに不穏さを溶け込ませ、確実に全体を蝕んでいく。次第に冒険者たちの活気が、恐怖心に変わりかけた時。その動揺を堰き止めたのは、カウンターの一角に立つ、一人の受付嬢フローラの激声だった。


「黙れっ!」


 憶測や不安を切り裂くような、凛とした声。それは灼紅の瞳を持つリコリスだった。激烈の視線が、ざわつく職員たちを射抜く。


「それでも、冒険者たちを導くフローラか! ドンと構えろ、お前達は何を背負ってここにいる?」


 凛とした問いかけに、場が引き締まる。フローラ、受付嬢とは飾りの花ではない。死地へ向かう者たちを送り出し、明日を繋ぐための希望でなければならない。


「各々、己が何のためにここにいるのか弁えよ。無駄話をする暇があるなら、目の前の任務に集中しろ」


 元冒険者としての、そしてギルドの根幹を支える『フローラ』の一員としての、リコリスの重みある言葉が、ざわついていた職員たちの心を叩いた。

 我に返った者から順に己の仕事にも戻り、徐々にギルドホールは平常の姿となっていく。

 そんな中でも、エピフィラはいつもの朝と変わりなく、つんつんとテーブルに置かれた小さなサボテンの棘に触れて、ぼうっとした。


「……んんー、お水はそろそろ上げたほうがいいかしら。土も乾いてる?」


 エピフィラの薄紅色の瞳には、ギルドの喧騒も、リコリスの怒声も、そしてブルーベルが持ち込んだ不穏な情報も、まるで遠い世界の出来事であるかのように映っていた。

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