エピフィラの前に立ったのは、壮年の農場主だ。不安げな姿から依頼人だと察する。
「ふふ、大丈夫ですよ。どうぞ」
彼女の柔らかな月白色の長い髪が、カウンターの光を吸い込むように揺れる。安心させるように穏やかな笑みを見せると、依頼内容をまとめ始めた。
「ええ、はい、承知いたしました。農地が荒らされて困っていらっしゃるんですね」
依頼人の男は話をしながらも、カウンターに置かれた小物類に目をやった。小さなサボテンやガラス瓶に入った砂、貝殻が飾られている。
本当にこんな少女に依頼を受け付けさせて良いのか、戸惑った。
「おじさま、どうかされました?」
「えっ、おじさま? ……あー、いやなんでもないんだが」
「農地が荒らされていらっしゃるので、原因を探って駆除して欲しい、ということでしたよね」
「コホン。ああ、そうなんだよ。たぶん、足跡から野犬かなにかだと思うんだが……犯人の姿が見えなくてね。気味が悪いんだ、魔物かもしれん」
「そう、ですか」
だが、エピフィラの薄紅色の瞳が、別のなにかを捉えていた。人ではない何者かの『気配』と『悲しみ』を。
くんくん、と嗅ぐ仕草とともに、風に漂う断片を拾い上げる。
「お、お嬢さん?」
「あっ、ごめんなさい。うふふ、はしたなかったわ。あの、おじさま、もし差し支えなければなんですけれど、被害を受けた場所に変わったことはありませんでしたか?」
「変わったこと……だって? いや、そんなものは特に」
「そうですね、例えば。――珍しい花が咲いていた、とか」
依頼主の農場主は怪訝な顔をしたが、考えこむ。
「そんなものは……ああ、いや。確かに。そういえば、ちょっと前に畑の隅に見たことのない奇妙な花が咲いていてな。薄気味が悪いからすぐに抜いたんだが」
「あらまあ、それです」
ぽかん、とする依頼人に「うふふ」とふわり笑うエピフィラ。
「おじさま。その事件を解決するのに、ぴったりのチームがいますの。よろしいかしら? あ、大丈夫です、きっと今日中には……」
何気なく口にした言葉に、名簿をめくり始めるエピフィラ。既に頭のなかで、これから『起きる物語の1ページ目』が開かれている。
エピフィラにはほんのわずかな手がかりから、特別な感性と直感で真実を読み取る特別な才能がそこにはあった。
――その異能を人はリーディングと呼ぶ。
「あー。そう、なのか? すまんが、なにを言っているのか、いまいちよくわからんのだが」
「あらっ、わたくしったらまた。よく言葉が足りないって叱られてしまうんです、いやだわ」
「ウ、ウム。出来れば、そのー。なぜ、その冒険者が相応しいのか教えてくれないかね」
「はい、この件はクーシーがしていることだと思います」
「く、くーしー……?」
なにを言われたか、さっぱりわからないと目を白黒させる依頼人。気にも留めずに、エピフィラは話し続ける。
「ええ。んーっと、おじさまが抜いてしまったのは、この花だったのではありませんか。えっと、どこだったかしら」
品のない足音を立て、自分のデスクまで向かうと、バタバタと慌ただしく引き出しを探し、「あら、これではないわ」「ここかしら?」と散々待たせて取り出したのは一冊の図鑑。薄汚れて擦り切れそうな、明らかに私物のそれ。
依頼人が顔を顰めるのも気にせず、無邪気にエピフィラはページを開く。
「ほらっ、このお花ではないですか?」
「あ? あー……ああ、確かに、それによく似た色違いだったかも」
深い皺を刻んだ緑の掌、その中央から伸びる茎の先に、柔らかなレモン色を帯びた小さなランプシェードのように開く花びら。カウスリップだった。
「これ自体は珍しい花ではありません。きっとおじさまの農場には良く咲いていたでしょう。でも、見慣れているはずのこのお花が、おじさまにはそれが奇妙に映った」
「ああ、そう、だな。変な色をしていた。トマトやルビーのように真っ赤だったとも!」
「それは妖精が住んでいたからです」
「はあ!? 妖精だってっ?!」
「ええ。おじさまが捨ててしまったのは、妖精の住処でしたの。だから、妖精の番犬であるクーシーが家を失ったその子を保護しに来ているんです」
農地を荒らされているのではなく、クーシーは掘り返すように小さな妖精を探し出そうとしている。そう説明された。
思わず、気の抜けた声を出してしまう依頼人。
(な、なんで、この娘はそんなことを、現場を見なくてもわかるんだ? いや、だが。妖精なんてワシは見たこともないぞ)
混乱のさなか、遠い昔に祖母の膝の上で聞いた
それでも、クスクスとエピフィラは楽し気に謡うのだ。
「迷子の妖精♪ おうちが捨てられ、どうっしましょう♪ ふふ、でも、大丈夫です。これから紹介するチームが、きちんと結末へとご案内します。ほら、ちょうど来ましたね」
指し示されたままに、農場主の依頼人がギルドの入口へと振り返ると、そこには眠たげにあくびをするエルフの少女と、その仲間たちが到着したところだった。
かくして、この物語はあるべき始まりを迎えるわけだが、それはまた別の話である。