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第10話 狼狩り

 その頃、南西部の洞窟から少し離れた野外。

 見慣れた森の小道で、リコリスは静かに息を潜めていた。赤毛が風に揺れ、灼紅の瞳が冷たく獲物を捉える。

 元冒険者のロートル警備員数名と教導隊の教官らが、下される指示を待って身構えていた。一行の姿が普段と明らかに違うのは、身に纏う全身から顔まで覆う黒い装束。

 ギルドに所属する冒険者なら誰もが恐れる、マンハント部隊の武装である。


「……そろそろか」


 リコリスが低く囁いた。

 耳慣れた男たちの声が、風に乗って微かに聞こえてきたのだ。

 ザックとその仲間たち、『牙狼の咆哮』のパーティだ。彼らは探究者の灯シーカーライトにて依頼凍結を受けた状態でも、裏で他ギルドと通じていた。その動向は、イエバによって綿密に監視されていた。

 ザックたちが森の開けた場所に出てきた瞬間、リコリスの義足のギアが微かに軋む音を立てた。「カチリ」それが、合図。


「行くぞ、狼狩りの始まりだ」


 リコリスは、一瞬で地を蹴り、風を切り裂くような速さでザックたちの懐に飛び込んだ。常軌を逸したその動きは、かつて数多の魔物を屠ってきた、熟練の冒険者のそれよりも魔物に近いそれだった。


「なっ……!」


 ザックが驚きに声を上げる間もなく、リコリスの蹴りが、彼らを無力化する急所へと正確に突き刺さった。銀の義足は刃となって、血しぶきを舞わせる。 

 続いて、魔術師が詠唱を始めるよりも早く、喉元に義足を振り抜いた。ごとり、と地面に転がる鈍い音。

 次々と仲間が倒れていく様を、ザックは呆然と見ることしかできない。迎え討とうとする者もいたが、警備員たちの連携には抗えず、教導隊を担う達人には時間稼ぎにもならない。

 剣士が繰り出した袈裟斬りを、平然と教官の一人が片手で受け止め、そのまま腕をへし折った。悲鳴すら上げさせない素早さで、彼らは次々と制圧されていった。


「てめぇら……何しやがる! まさか、マンハント部隊!?」


 ザックは震えながらも剣を抜き放ち、抵抗を試みた。くたびれた毛皮を何度も翻して、辺りを見回そうとする。

 マンハント部隊とは、ギルドから逸脱した者を捕縛、懲罰するための者達。市民が街中で見かけるのは、せいぜい金を踏み倒そうとした冒険者が縛られて引き回しにされる程度だろうが、その実態はギルドの闇を処理する『処刑人』だ。


「だとしたら、どうする。反省でもするか?」


 ザックの前へとゆっくりと歩み出す、リコリス。


「哀れなものだな、狼というより震える兎のようだ。散々、やらかしておいて自分の番になったら怯えるのか?」

「その眼は、灼紅のリコリス! テメェ、裏でこんな稼業をっ!」

「……今のアタシはただの剣だ。この義足と共にな」


 それは、かつて『魔剣ブラッドリリー』として恐れられた逸品。リコリスは失った両足を補うために己の愛剣を義足として打ち直した。地獄を体験した自分を、剣へと変えるために。

 悪夢に囚われ続ける脆弱な自分の心こそを斬らんがために。


「だからよ、あんなの弱いやつらが、狩場をうろちょろしてたのが悪いんだろうがよぉっ!! 実力のない奴が、身の程もわきまえず出しゃばってたからっ!」

「そうだな。実力がないのに、粋がったからお前は死ぬ」

「ひ、ひぃっ! やめろ、近寄るなっ!」

「お前の『仕事』は、もう終わった。だから消す。ギルドの財産を傷つけ、裏で蠢く鼠は、いつか必ず始末される。それが、このアリアーテでのルールだ」

「くっ……この迷宮恐怖症の欠陥女がぁあああっ!」


 ザックの剣が、渾身の力でリコリスに振り下ろされる。キンッと義足の膝が軽々と受け止めた。リコリスの灼紅の瞳には熱がない。怒りもなく殺意もなく、ただ斬るという意志がそこにある。


「そうだ。リコリスはもう冒険者ではない、灼紅のリコリスは死んだんだ」


 剣が砕け散る。ザックは目を見開いたまま、「ひゅー」と肺から空気を絞り出すような音を漏らした。胴体が別たれた事実を最後に見た後、そのまま地に伏す。

 これは戦いではなく単なる作業だった。リコリスは死体を見下ろしながら、命ずる。


「余計な痕跡を残すな。……彼らには頻発している行方不明者になってもらう」


 マンハントの隊員たちが、手早く始末していく。夜が明ける頃には、ザックたち『牙狼の咆哮』の姿はどこにもなかった。まるで最初から存在しなかったかのように。

 しかし、所持品の一部はあえて現場に残された。使い古しの武器、羽織っていた毛皮。それが彼らがただの『失踪者』として処理されるための演出。

 何人もの冒険者たちを行方不明者にしたザックの犯行は、誰に知られることもなく、自身もまた報告記録の一部となったのだった。

 遠く、南西部の洞窟の方角から、微かに救難信号の『烽火のろしび』が上がったのを感じ取る。魔力波による知らせで、広範囲に助けを呼ぶマジックアイテムだ。


「……向こうも降参か。まあ、そうだろうな」


 リコリスの手元には探究者の灯シーカーライトの古い下書きと、記された地図の切れ端が風に揺れていた。

 それはグラハムの元へ届けられた『天啓』の、まさに原稿の一部。散りばめられた罠は、どういう経緯を経てか、どうやらザックも手に入れていたらしかった。

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