目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第12話 灰色の協定(後半)

 グラハムは屈辱に顔を歪ませた。自分たちがまんまとイエバの罠に嵌ったことを、この期に及んで否定することはできなかった。

 バルグルフもまた、この異様な雰囲気に困惑しつつ、事態をおおよそ掴み始めていた。


(どうやら、我の知らぬところでこやつらが化かし合いをしていたようだな。どちらから仕掛けたかはわからんが、どちらがやり込められてるかだけはよくわかる)


 にこにこと笑うイエバのすぐ隣では、エピフィラがクッキーを口に咥え、何事もなくテーブルを見つめている。もう親子連れが遊びに来たようにしか見えない。


「ああ、それと……もう一つ、厄介な話がありましてね」


 イエバは、スッと机の上に一枚の書簡を滑らせた。

 書簡は、あたかも偶然そこに置かれたかのように、グラハムの目の前に止まる。彼の視線は、書簡に添えられた血まみれのギルド認定証が複数、その下にあるスパイ活動の証拠を示す文書の複製に釘付けになった。

 それは、ザックと彼の仲間たちのものだった。グラハムの身体から、さらに血の気が失われていく。手勢の狼は狩られた。


「最近、どうも冒険者が姿を消す事件が頻発しているみたいで……これも、迷宮変動の影響でしょうかねぇ?」

「……なぜ、これを私の目の前に置くのかね?」

「いや、他意はないけど。あーあ。これで収まるならいいんだが……互いに協力しているなかで起きてしまうと、痛くもない腹を探り合うことにもなりかねないなぁ。困るなあってね」


 イエバは薄い笑みを浮かべながら、ザックたちの失踪を「迷宮の影響」という言葉で煙に巻いた。

 グラハムが口を開こうとすると、エピフィラがじろっと見た。彼女は特に言葉を発しない。静かにクッキーをポリポリと食べているだけだ。

 ただし、グラハムが動揺し思考が乱れ、嘘を吐こうとするたびに、彼女の大きな瞳がわずかに輝き、クッキーを噛む音が不自然に大きくなる。


「ん、ああ、この子かい? この子はエピフィラちゃんだよ」


 にっこり、イエバは笑みを浮かべた。人を食ったような笑みだ。


「この子にはね、誰も隠し事ができないんだよ。僕もいつも困っているんだ」


 エピフィラの能力を明言するものではない。だが、グラハムは本能的に理解した。この少女は、自分の嘘や秘密を感知している。そして、その能力が、イエバの掌中にあることを。

 つまり、今まで送り込んだすべてのスパイが吐き出していた嘘という嘘が看破されていたことを示していた。


(イエバの手元に証拠はどの程度ある? 何もかもが公になれば、至高の紋章ソブリン・クレストの信用は失墜するぞ)


 頭のなかがグルグル、回り始める。もう、グラハムは正気を保つことで精いっぱいだった。

 それを見たイエバは、一転して真剣な面持ちになった。


「さて、本題に戻りましょっかね」


 その合図でブルーベルが各人の目の前に資料を配り始める。それは洞窟を攻略するための『本物の攻略情報』であり、かつ、今後の状況予測でもあった。

 それが配られた途端、グラハムは自分がつかまされた内容が、偽装されたものであったことを確信する。彼の記憶が正しいならば、そこには間違いなく差異があった。


「結局さぁ、みんなわかってると思うけど。現在ですら、精鋭送り込んでも単独じゃ危機に対応できない。しかも、この先、数年の見通しきつそうじゃない? ちょっと腰据えて、みんなが使えるフリーの冒険者枠に最低限の力を付けさせなきゃならんと僕は思うわけさ」

「……つまり、探究者のシークイエバ。それは有事の際に運用できる程度に、という意味か?」

「そうそう、人材の共有コストプールだよ。共同訓練とかも見通して考えたいんだ」


 バルグルフの目が、その言葉に反応して鋭くなった。それは彼のギルドにとって、新たな冒険者育成の機会であり、かつての時代のような消耗戦を避けられる魅力的な提案だった。


「そして、そのための具体策として、以下の合意を求めたい」


 イエバは、淡々と続ける。


「今後は迷宮化関連の全ての情報、すなわち地形、魔物、霊震などのデータを探究者の灯シーカーライトに集約してくれ。そして、分析結果は君たちに共有しよう。我々がギルド同盟全体の『知』を担おうじゃないか。効率が良くなるだろ?」


 グラハムは、その提案に反発しようとした。情報の独占は、イエバが都市の『知』の中心を完全に掌握することを意味する。

 だが、結局は喉が渇き、言葉が出なかった。スパイの件が露呈する懸念が反論を封じる。


「そして、定期的に『共同訓練プログラム』を開催し、冒険者の質の底上げを図る。これにより、共通の戦力としての練度を高める」

「……我は案自体は構わんがな。さすがにお前の貰いが多すぎるのは気に入らんぞ、探究者のシークイエバ」

「もちろん、名誉のバランスも考慮しますとも」


 イエバは、再び含みのある笑みを浮かべた。


「迷宮の『早期発見』と『情報分析』の名誉は、我々探究者の灯シーカーライトがいただきましょう。しかし、『迷宮の直接的な解決』と『最前線での功績』の名誉は、協力してくれたギルドに譲ろうじゃないか。これは、互いのギルドが消耗することなく、それぞれが役割と名誉を分かち合う、まさに『引き分け』の協定だよ」

「……それは、あれかね。我々に迷宮を閉じる実行を任せると?」

「まあ、そうだね。協力いただけた際には、原則譲ろうじゃないか」

「途中過程で得られる迷宮資源や財宝は?」

「そいつは見つけたもの勝ちだろ? まさか横取りなんてしやしないよ、それが冒険者の伝統ってもんじゃあないかい。まあ、細かい粗は後から詰めようよ」


 要するに、矢面に立たされるということである。一方で、探索で得られる報酬にはなんら陰りがない。

 グラハムは、唇を噛み締めた。この提案は確かに彼らの顔を潰すものではなかった。むしろ、危機に陥ったパーティを救助されたばかりの今、スパイの件を黙認され、さらには迷宮攻略の『名誉』まで与えられるのだ。屈辱的だが、受け入れざるを得ない。


 バルグルフは、この提案の合理性と、イエバの巧妙な手腕に感銘を受けていた。余計なことに悩まず、冒険者としての仕事に集中できるならそれでいい。無駄な争いよりも実利に基づくこの協定は魅力的に映る。


「……承知した。我が至高の紋章ソブリン・クレストは、この協定を受け入れよう」


 グラハムの声は、絞り出すようなものだった。その口調には、屈辱と、そして抗えない敗北が滲んでいた。バルグルフも、すぐにそれに続いた。


「うむ、我が鉄の先兵アイアンヴァンガードも異存はない。この危機を乗り越えるため、協力していこうではないか」

「ああ、素晴らしい協力関係だねぇ。これで、お互い消耗せずに済む」


 イエバは、満足げに微笑んだ。その笑顔は、どこまでも飄々としており、会議室に漂っていた緊迫感をまるで感じさせない。

 だが、グラハムの目には、その笑顔の裏に潜む、冷徹なまでの計算と、そして『灰色』の支配がうっすらと見えていた。時折、視線を向けてくるエピフィラなる少女共々、得体のしれない存在すら思える。


(ぐぅ、なんだか、気持ちが悪い。酷い詐欺にでもあってるかのようだ)


 そんな予感がしながらも、この提案に乗らない理由を見つけることは、グラハムには出来なかった。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?