アリアーテの街は、今日も冒険者たちが行きかう。
人々が生活を営む街路を、すり抜けるように武装した彼らは歩く。冒険者は、日常的な光景の一部であり、明日にはいないかもしれない、置き換え可能な歯車だ。
燃える火は必要だけど、焚きつける薪に感情を持つ人がいないように。救われた依頼人たちも、渡り鳥程度にしか思っていないかもしれない。
その歯車たちが回る中心、冒険者ギルド
各ギルドマスターが新たな協定を結んだとしても、そうすぐに何かが変わるわけでもない。それでも「なにかが変わるかもしれない」という予感が、冒険者たちを突き動かしていた。
冒険者が時に消耗品のように扱われるこの世界で、彼らにとっての
「そう、期待感だよ。未来への期待感というやつが、実のところ、地獄の未来を乗り越えるために最も必要だったりするのさ」
したり顔で、ギルドマスターであるイエバがそう嘯いた。途端、叩きつけられたのはガラスを砕くような一喝。
「いい加減にしてくださいっ!」
窓際でぼんやりしていたイエバを叱りつけたのは、真っ青な髪をしたブルーベル。やはり、きちんとシニヨンでまとめ上げた髪に乱れはない。
「また、こんなところでサボって! だいたい、私があんなに早期解決を具申したのに、よくもまあ散々無視したあげく、あんな面倒まで押し付けて……」
「うんうん、急な資料作りとか、編成とかご苦労様だったねえ。よくできてたよ、あれ。最新の攻略手順に地図情報、救出部隊編成?」
「洞窟が迷宮化した場合の危険や進行速度の予測なんか、まともに立てられるわけないじゃないですか! あんな危険なプランニング、二度とごめんです!」
「まあまあ、上手く行ったから結果オーライ。……じゃ、駄目かい?」
「ダメに決まってるでしょーがっ!」
ブルーベルの糾弾は止まらない。イエバは困ったように眉を下げて、顎髭を撫でた。
「いやぁ、ブルーベルちゃん。そんなに怒鳴らなくたっていいじゃないの。僕だっていろいろ考えてるんだからさぁ」
「考えている? どこがですか! 私の分析通り、もっと効率的な解決策があったはずです。あんな方法では、無駄なリスクが多すぎました!」
裏で行った工作や政治的配慮、後ろ暗いところについては、イエバは一切触れずに甘んじて、ぶつけられた怒りを受け止める。
確かに最善中の最善は、初動で迅速に迷宮を封じて、街の安全を守ることだったかもしれない。誰かに邪魔される前に、すべてを解決して、己のギルドと冒険者たちを英雄にすることだったかもしれない。
「まあ、確かに。ブルーベルちゃんが全部『正しい』よ。本当に頼りになるなあ」
「本当にそう思ってますかっ?」
「うん、思ってる、思ってる」
「それ、思ってないやつじゃないですかっ! ぜんっぜん、心が籠ってない!」
正しい、とはイエバも思っているのだ。その銀縁レンズの奥に、論理と効率を突き詰めた瞳こそが、正しくあるべき世界だと思っている。ただ、世界は残念ながら、アリアーテの街だけで完結していないから。
でも、イエバは自分の考えていることなど、100の1つですら愛弟子に零したりなどはしないのだった。
「いやあ、思ってるんだよ? 本当に思ってるともさ~、ただほら。おじさんも大人の事情というやつがあるからねえ」
「意味の分からない言葉で誤魔化さないでくださいっ!」
ブルーベルの真っ直ぐな瞳は、イエバの奥底を見透かそうとする。イエバは思わず目を逸らし、煙をゆっくり吐き出した。
「ふぅ……まったく、君には敵わないなぁ。そういえば、この間、ギルドの警備員たちにクッキーを焼いたんだって? エピフィラちゃんに聞いたよ。あれ、君の手作りなんだってね。僕にも分けてくれたりは……」
「今は話を逸らさないっ!」
イエバはブルーベルの純粋なまでの論理と、街の安全への揺るぎない献身や倫理を尊重していた。彼女の『正しい』を汚すことは、このギルドの根幹を揺るがしかねない。
ブルーベルの感情を排した分析は、つまらぬ打算がないからこそ輝きを見せる。その輝きは
だからこそ、イエバは全ての『灰色』の部分を一人で背負うことを選んだのだった。