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第12話 コチョウと胡蝶

 舟を降りた多賀一郎と金沢屋は日本堤を経て吉原の大門おおもんへと歩く。


 松尾芭蕉からの聞きかじりの知識しかない一郎は、圧倒されながらも、絵師としての目は上辺だけの華やかさの奥に蠢く闇を実として捉え、浮かれた気持ちが吹き飛ぶ。


 亡者のように大門の中に吸い寄せられる一郎を、金沢屋が引き止める。


 「朝湖先生、焦りなさんな。今日は格子女郎のコチョウを呼びますので、まずは大門外の呼び込み茶屋に入って、座敷と太鼓持ちを手配いたします」と説明する。


 一郎は複雑な仕組みに訳がわからずただうなずき、付いていく。


 呼び込み茶屋でもどんな会話がされたのかもわからないまま、太鼓持ちだという男に先導されて、大門をくぐり、少し歩いた左手の揚屋茶屋の二階に案内される。


 用意された座席に座ると、一郎は金沢屋に耳打ちし「茶屋が二つ?格子女郎って?太鼓持ちってこの人誰です?」と矢継ぎ早に質問するが、いちいちそれに答えず金沢屋は「そういうわけで、一回目の客は女郎と寝ることができないんですよ」とちょっと自慢気に笑う。


 しばらくすると、階段を何人か登る音がして、着飾った女たちがどやどやと座敷に入ってくる。


 一郎はおそらく一番着飾った二十代の油の乗り切った艶のある女がその「格子女郎」なのだろうと思う。


 女は「あーら、丸木さま、お久しぶりですこと。古調こちょうは、ずっとお待ちしておりましたのに」と金沢屋に媚を売る。


 丸木と呼ばれた金沢屋は「古調さんこそ、全然、文も寄越さないじゃないですか」とじゃれ合う。


 一郎は「この人がコチョウ」とつぶやいて、どこか安堵する。古調は「いにしえのしらべと書いて、古調でありんす。以後、お見知りおきを」と一郎の瞳を妖艶に覗き込み、一郎の動悸を高める。


 丸木は「ここにおられるのは、どなたと心得る!」と大げさに言うと、太鼓持ちの男が「よっ、金沢屋、待ってました」と合いの手を入れる。一郎は「あぁ、こういう役目か」と腑に落ちる。


 丸木は「何を隠そう、この度、狩野派宗家から名乗りを許された~」と続けて、太鼓持ちが「その人の名は?」と合わせる。


多賀朝湖たがちょうこ大先生であられまするぞ!」


 古調をはじめ新造、禿かむろも本当に驚いたように手を口にあて、古調は「まぁ、ワッチも大好きな絵師先生ですわ。お話しできるなんて嬉しいわぁ」と熟練した笑みを一郎に投げかける。


 一郎は舞い上がる。


 その時、中央通り「仲之町」では、格子女郎よりもひとつ上の最上級の太夫たゆうによる練り歩き(のちの花魁道中)が始まっていた。


 俳諧師を唸らせる教養の高さとほかの女郎とはどこか違う色を纏うと評判で、この月に太夫に昇格した胡蝶こちょうが、冷やかし客の羨望と歓声を浴びていた。

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