多賀一郎は最近、市井の何気ない景色を画題にしている。江戸城に収める金箔地の豪華絢爛な絵を描くのも好きだが、とりわけ吉原に行ってからは、華やかさに隠れた人々の生き様に美を感じている。
狩野派宗家での作業を終えて、画塾に行こうとすると宗家の狩野安信から呼び止められる。
宗家の執務室に通されると、安信は「まぁ足を崩せ」と言ってから、「朝湖の画名披露の会を吉原で開くらしいな」と言う。
一郎は「す、すみません、お伝えしていなくて、まだ費用面のアテがついてなくて絵に描いた餅なので」と言うと、安信は「絵に描いた餅か。それは良い」と笑い、「今朝方、金沢屋の丸木五郎殿がいらして、費用面は全部持つから、会を開かせてほしいと言ってきた。もちろん承諾したぞ」と言う。
「金沢屋さんが…」
安信はいきなりばっと頭を下げる。一郎は「ちょっ、ちょっと、安信師匠、どうしたんですか?」と慌てる。
安信は「その会にはもちろんワシも出席するが、兄も主賓で招いてはくれんじゃろうか」と頼む。
一郎は「えっ、兄って狩野探幽先生ですか?」と驚く。
安信は「あぁ、そうじゃ。ワシら兄弟ももういつお呼びがかかってもおかしくない年齢。そろそろ仲良うせんと、あの世で祖父の狩野永徳様に顔向けができん」と言い、「兄は、どうも一郎を気に入っているようじゃ」と続ける。
確かに一郎が使いで探幽を訪れると、だいたいは弟の悪口ばかりだが、天才的な芸術論も日が沈むまで聞かせてくれる。
一郎は「そりゃあもう、安信師匠や探幽先生のためになるなら、僕の会なんて好きに使ってください」と純粋な喜びで目をきらめかせる。
安信は目を細めて「実は幕府から、兄の鍛冶橋狩野家を正式な家として認めることを内定いただいておる。その披露の場とさせてはもらえんじゃろうか?」とさらにぐいっと頭を下げる。
一郎は「そんなに素晴らしいことに、僕がお役立ちになるなら、もちろん喜んで!」と爽やかに答える。
安信は安堵した表情で「ありがとう、一郎。だから費用の面も金沢屋ひとつに頼らんでも大丈夫じゃ」と言う。
◇日本橋のいつもの蕎麦屋屋台
一郎は、松尾芭蕉と金沢屋丸木五郎に「というわけです。なんと当日の会場には初代の狩野正信、狩野永徳をはじめ、安信師匠、探幽先生と歴代の狩野派の掛け軸がずらりと並ぶんです」と胸を張る。
芭蕉は「そいつはすごいことになったな!オイラも名だたる俳諧師を集めるよ」と興奮する。
丸木は「朝湖先生がすごい人だとは、ずっーと知っていました」と手を震わせながら、「不肖の弟子ではございますが、この金沢屋、蔵のすべてを解き放ちます!」と恵比寿のような太い腹を何度も叩きながら、涙を流して叫ぶ。
芭蕉は「太夫の胡蝶ちゃんは、新月と満月は太い客が決まってるらしいから、一ヶ月後の満月の前の日に開くってことは、金沢屋さんと打ち合わせ済みさ。こうなったら、ほかの太夫も総揚げしちゃお!」と一郎と丸木の肩をガシッと組む。
一郎は「ま、まぁ、胡蝶という太夫一人でも構いませんけど」と照れる。