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第7話

 山の裏に出られる抜け道から山道を下ると、大きな杉の木の脇に、僕(の水筒)が壊してしまった祠があった。水筒がここまで、磐座から飛んで落下したらしい。見上げても木々が邪魔して磐座は見えなかった。

 古い白木は無残にも割れて細かい木屑が散っており、御幣は見当たらなかった。応急処置なのか、割れた木がひと塊にまとめられ、紙垂が付いた細い縄が元祠の周りを囲っていた。

「……見事に壊れてますね」

「すいません……」

 僕は肩をすくめて謝った。子供たちの視線も心なしか冷たい。屈んで祠に顔を寄せた梅さんは、縄の外から祠を観察している。やはり、台座正面の石部分に何かが彫られていた。今度はまるで人形が踊っている様な模様だった。何を意味するのか全くわからないが、また番頭さんに書き取りをさせていた。


「この祠の修繕は、祭までに行われるそうですよ。御幣……オンベ様は無事だったんでしょうか?」

 梅さんは、最後の質問を拓三さんに向けて訊いた。

「オンベ様は新たにされるそうだ」

 梅さんは首を傾げて拓三さんを見る。

「この水神社にはご神職がいらっしゃらないですよね。ということは、黒河内さんが?」

「そうだ」

「なるほど。それで合点がいきました。黒河内家とこの村一帯はいわゆる宮座みやざなんですね。黒河内は村の長であり、祭祀の首座でもある」

 梅さんは、話に付いていけていない僕の表情を見ると簡単に説明してくれた。

「神社には通常、神職がいますね。あれは階級でもあり、定められた人が為ります。でも、村や町など小さい社には、地域の中で祭祀を行う役割を負う家や人がいることがあり、この組織を『宮座』と呼ぶのです。当番制で決めることもあります。まあ、学術的な定義と思ってください」

 そこまで言って、ふと梅さんが拓三さんを見る。

「では、雪さんは? 彼女は親族ではありませんよね。彼女が負う神事の役とは何ですか?」

 それを聞いた拓三さんの顔が、急に強張った。唇を結び眉の皺が深くなる。言葉を選んでいるような沈黙のあと、

「――特殊な役だ。『祟り』が起こるようになったあと、作られた。……それ以上は俺からは言えない」

 拓三さんの表情は苦しそうで、どことなく悲しげだった。梅さんは大きな瞳で拓三さんを見つめ、それ以上は追及しなかった。


 僕たちはそれから、幾分気まずい雰囲気になったが、子供たちに助けられ水神社一帯の他の祠を見て回った。案内してもらわないとわからないほどのか細い道を行き、すべての祠を巡る。大まかな方向と、台座の記号を確認すると、梅さんは納得したようだった。

「なるほど。だから四方向だったのですね。ようやくオンベ様のことがわかってきました」

「どんなことがわかったんですか?」

 僕は好奇心から梅さんに訊いてみる。すると、昨日見た、不思議な笑顔を向けてきた。

「まだですよ。ちゃんと神事の前にはお話ししますから」

 僕は、昨晩の話し合いの場でのことを思い出す。僕がこの村に来た理由などを話した後、訊いてみた。僕は、生贄になるしかないのか、と。

「いいえ」

 毅然とした表情で梅さんは否定した。


「――私が父から仰せ使って来たのは、実は村長からの依頼だけではありません。この村で行われる祭、その祭祀で『人が消える』という噂が数年前から流れていたからです。周辺の村や町の人から、知人を通して同じような訴えが父の元にもたらされました。でも、閉鎖的な村に余所者が訪れるのは難しい。そんな時に村長から話が来たので、渡りに船だったのです。……村長も穏便に解決したい気持ちはあるのでしょう。しかし、実際に禍事が起こっているのを止めることもできない。私はそれを止め、あるべき姿に戻すために来ています」

 梅さんが、村長を通じて父親から聞いた話は、この村で行われる祭は、『舟神事』の一種だという。山の中で何故舟なのか、と思うが、水害や田んぼなどに関する祭祀によくあるものらしい。――舟で村内を巡回し、罪や穢れを移したその舟を、川に流したり燃やしたりする。

 それがどのように『祟り』や『禍事』を引き起こしているのか。それがわかれば、生贄などという話もなくなるでしょう、と言った。

「神様も、本来の祭りごとに戻してほしいと思っていらっしゃる。だからこそ、私がここにいるのです。藤木さんが来たのも、同じ理由ですよ」

 そういう梅さんは、どこか神々しいような神秘的な笑みを浮かべていた。

 ――僕には、半分くらい話が見えなかったけれど、梅さんにしか見えないものがあるのだろう、と何となく感じた。そして、それを信じてみることにしたのだ。


 全てを巡り終えると、梅さんは拓三さんに、この辺りには寺院がないのか、と訊いた。

「昔はあったみたいだが、住職が死んだあとは続かず、無住寺むじゅうじになって荒れてしまったらしい。それからは山を越えた隣町に行かないとないな」

「そうですか……」

 梅さんが残念そうに言った。

「お寺がどうかしたんですか?」

「地域のお寺には、古い文献が残されていることが多いんです。なんせ、生き死にを扱っていますから。歴史も伝わっていることが多いので、調べものに持ってこいなんですよ」

 と僕に話した。それを聞いた拓三さんは、

「それなら、隣町だがしっかりした図書分館がある。この辺りの歴史や文献などもかなり豊富にそろっているぞ」

 と教えた。梅さんはそれを聞くと、住所や行き方を確認し、控えていた番頭さんに指示をして、調べものを依頼していた。この辺りの水害と歴史、祠の記号も調べてくるらしい。ついでに梅さんの父上に報告もするとのことだった。

(今更ながら、梅さんの家は何をしているんだろう……?)

 そんな疑問が芽生えた僕は、すべて終わったら訊いてみようと思った。


 そんなわけで僕たちと番頭さんは、山を下りると別行動をすることになった。僕たちは子供たちと一緒に遊びつつ、少し遅めの昼ご飯を食べた。

 僕はこの村に来て、初めてのんびりと周囲を眺める時間がとれたようだった。子供たちに囲まれて、野山や田畑、その間に点在する家々を眺めると、どこにでもありそうな普通の村だった。よく晴れた七月の日差しは暑く、木々を通る風が汗を冷やしてくれる。

 僕は暫し、この村に来た理由や起こったことを忘れてぼんやりした。


 束の間、のんびりとした時間を過ごした僕たちは、子供たちを家に送ることになった。先頭は拓三さんで、子供たちを挟んで僕と梅さんが続いて歩く。

 差し掛かった道が丘を越えて下り坂になった時、向こうから白い軽トラが走ってくるのが見えた。しかも、かなりのスピードだ。

 僕たちが道の脇に避けたところ、車は直前で急ブレーキで止まり、窓から男が身を乗りだして大声を上げた。

「大変だ! 拓三! 急いで子供たちを家に帰すんだ!」

 何事かと僕たちが顔を見合わせていると、その男が続けた。

「えらいことになった……。禍事……祟りが! 祟りが起こったんだ!」

 それを聞いた拓三さんの顔色が変わった。

! 俺ぁ隣町の医者を呼んでくるところだ」

「駐在さんは」

「もう連絡したが、は多分助からない」

 そんなことを話し終え、男はまた車を発進しスピードを出して去っていった。

 子供たちはすっかり怯えて、お互いの手を取っていた。

「子供たちを取りあえず集会所に。親たちもそれどころじゃなくなるから」

 拓三さんは強張った顔でそう言うと、子供たちと僕たちを促して小走りになった。

「な、何があったんですか?」

「……多分、恐れていた『祟り』だよ。あんたたちは騒ぎになるから来ない方がいいだろう」

 そう言った拓三さんに、

「いいえ」

 梅さんが強い声を出す。

「私たちも行きます。そういう決まりですから。いいですね?」

 僕の顔を見て、付いてこい、という表情をする。僕は気を飲まれて、頷くしかなかった。

 拓三さんはため息をつき、後悔しても知らんぞ、と小さく呟いた。

 子供たちを村の集会所にいた女性に預けると、拓三さんと共に、ある家に向かった。


 そこは、裏が雑木林になった民家だった。この村によくある、道路の横に田んぼが続く先から私道が伸び、坂を上るその道がそのまま家の敷地になっている。家の前は広く駐車スペースで、玄関脇に縁側があり、その大きな窓は開けっぱなしになっていた。

 すでに数人の人だかりができていたが、広い敷地は遮るものがなく、昼間の明るい日差しの中、それは僕たちの目に飛び込んできた。


 ――その玄関の雨除けの庇の太い柱に、が磔のようになっていた。顔は、相好がわからないくらい叩き潰されて血にまみれていた。裸の上半身に大量の血が首から体を伝い、その下腹部は服を着ていたがやはり潰され血に染まっている。流れた大量の血は、家の礎から土に大きな禍々しい染みを作っていた。

 広げられた両手は、細い縄が手首を縛って左右に伸び、まるで大の字のような姿勢を取らされていた。縄は、つい先ほど見た、紙垂が付いた細縄と同じようなものに見えた。


 ――そして、その男の胸に突き刺さっていたのは、幣が血に染まった長い御幣だった。

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