「ここですか……」
『水神社』の小さい案内板と、上に続く土の参道を見上げる。相変わらず、道の奥は木に阻まれて影が濃い。正に、昼なお暗い道だ。
拓三さんを先頭に、梅さん、僕、番頭さんの順で道を上っていった。傾斜に息が上がり、しばし無言で足を進めた。数分ほどして、僕が休憩した木の脇の祠がある場所に着いた。
「拓三さん、この祠は、藤木さんが壊したと言われている祠と対になっているものですか?」
梅さんが息を整えながら祠を見る。拓三さんは首を振った。
「いや、対どころか。これは山を中心に東西南北四カ所に配置されている。まあ、厳密には二カ所ばかりずれた位置にあるみたいだけど」
梅さんが、鋭い声を上げた。
「
「ああ」
「……なるほど」
梅さんはそう呟き、屈んで祠を観察し始めた。
祠は、木でできていて、縦が30センチくらいあり石の台座の上に置いてある。開閉式の扉の中に御幣がある以外に、目立った特徴がないように見えた。
「この文字は、他の祠にもついているんですか?」
梅さんが指差したところをよく見ると、正面の石の台座に、まるで「巳」のような文字とも記号とも見えるものがうっすら彫ってあった。木々で守られているとはいえ、風雨にさらされているのでだいぶ薄く、苔に覆われている。
「ああ……どうだったかな? でもここに彫られているなら、多分他の祠にもあるはずだ。石部分は当時のままだから」
「白木部分は古くなったら交換するんですか? 中の御神体……御幣は?」
「ああ。祠自体は古くなれば祭の前に新しくする。御神体は一年だな。これは大晦日に新しいものにして古いものはどんど焼きで燃やす」
拓三さんはすらすらと答える。梅さんは番頭さんを呼ぶと、祠の文字を手帳に書き写させた。あとで他の祠も回るつもりなのだろう。僕は、ふと疑問に思ったことを口に出した。
「……拓三さんは、この村のことや祭祀のこと、かなり詳しいんですね」
すると、拓三さんは一瞬驚いたように目を見張り、困ったように笑った。
「……気づいているだろうが、俺は村長の縁者……村長の弟の孫だ。まあこの村で生活はできるが、畑仕事以外の娯楽はほぼない。だから蔵にある書物や隣町の図書分館なんかで過ごすことが多かったんだ。それぐらいしか楽しみがないから。だからだな」
もともと書物は好きだから、と照れくさそうに笑う。落ち着いた受け答えや朴訥とした雰囲気が大人びていたが、笑うと年相応の若者に見えた。
「……この村が、好きなんですね」
村のことや災害のこと、祭祀のこと。生活するだけでなく、様々なことを知ろうとする姿勢は、興味がないとできないことだと思う。そう思って言った僕に、
「どうだろうな……。まあ、逃げられるものではないから」
拓三さんは、複雑なものをにじませて目を伏せた。
その時、僕たちの後ろの林から、何かが動いた音がした。驚いて振り向くが、低い草木が邪魔でよく見通せない。
「……ここって、何か動物がいますか?」
恐る恐る拓三さんに訊く。
「まあ、狸でもねずみでもウサギでも。何ならクマもいるが」
と言ってニヤリとする。顔が引きつる僕の顔を見て、冗談だ、と可笑しそうに笑った。
「さすがにクマはこの辺りでもめったに出ないが。まあ、今の音はそう言うんじゃないから大丈夫だ」
そう言って、歩みを進めた。何が大丈夫なのか判然としないまま、僕たちは再び拓三さんの後を付いて山を上った。
しばらく行くと、先が日の光で明るく照らされて視界が拓けてきた。すると子供の声で、
「来たぞ!」
と叫ぶのが聞こえた。先頭の拓三さんが声を張り上げる。
「――こら、やっぱりお前たちか! ここは来るなって言われてるだろうが!」
子供の声に驚きながら頂上に出ると、昨日見たがらんとした広い空間に、小学生くらいの子供たちが数人いるのが見えた。
「うっせーな! ここはオレたちの基地なんだぞ」
「そうだそうだー! 大人は出てけー」
そう言って、負けん気の強そうな男の子が言うと、周りの子供が囃し立てる。
「お前たち、お客さんの前だぞ。やめなさい。……すいません、村の子供たちなんで」
そう言って、背後にいた僕たちにペコッと頭を下げた。すると、子供のなかの一人、背の小さい低学年くらいの女の子が声をかけてきた。
「おねえさんたち、皆が言ってた余所のひとでしょ?」
物怖じしないふうなその子に、梅さんが微笑んで言った。
「そうよ。珍しい?」
「うん……。わたしたち、ここから追い出される?」
と不安そうに言った。梅さんは首を振って笑った。
「そんなこと言わないわ。私、ここの神様を知りたいの。この場所を案内してくれる?」
女の子は嬉しそうに、いいよ! というと、他の子供たちと一緒に梅さんの手を引いて水神社の社に歩いて行った。拓三さんも、負けん気の強い男の子数人に絡まれて奥に歩いて行く。
――意外と子供好きな一面があるのかもしれない。子供たちと楽しそうにする梅さんをながめていて、ふと番頭さんを見ると目元が和らいでいた。僕は、初めてこの人の人間らしい表情を見て今度こそ目を丸くした。
「――藤木さん! こちらに来てください!」
「あ、はい!」
珍しいものを見た気分でぼんやりしていたところに、水神社の社の奥に行った梅さんから呼ばれて、慌てて小走りで向かう。社の裏の磐座があるところに、梅さんと子供たちが立っていた。辺りには、まだかすかに酒の匂いがしている。
「どうしたんですか?」
声をかけると、梅さんは磐座の脇に生えている木々の切れ間を指さした。見れば、昨日は暗くて気がつかなかったけれど、土肌が見えている箇所があり、脇道が下に向かっていた。道の先に拓三さんと先ほどの男の子たちがいる。
「どうやらこの水神社は、村の子供たちの格好の遊び場になっているみたいなんです。大人が滅多に来ない平地で、物がなくって遊びやすいんですって。ここに来るまでの参道も、子供たちが自主的に掃除して通りやすくしているみたい。それは、拓三さんがご存知で、内緒でたまに手伝っていたらしいです」
すっかり子供たちと打ち解けたらしい梅さんが、女の子にまとわりつかれながら話す。
「ここの神様は、子供が好きみたいです。子供たちも、ここで怖いことなんてなかったと話してくれました。不思議ですよね? ……村長が話していた『祟り』っていったい何でしょうかね?」
梅さんは、何かを思いめぐらせているような表情だった。