灯がゆらめく縁側。涼やかな風が、外の梢をそっと揺らしていた。
「……おかしいと思わんかったか?」
先に口を開いたのは、モリタカだった。
「“あの子”、俺の顔を見たとたん……微かに身を固くした。」
「俺もや。」
フシミが眉を寄せる。
「泣きはせんかったけどな。俺と目が合った時、警戒するみたいに――そっぽを向いた。」
「ああ……確かに、あの瞬間だけ静かになったな。」
イハナギが茶器を見つめたまま、ぽつりと応じた。
「だが、それは恐れていたからではない。“どう受け止めたらいいかわからない”という顔だった。」
「……むしろ、おまえには全然怯えてへんかったな。」
フシミが呟く。
「びっくりしたわ。俺らがちょっとでも近づいたらあんな顔されたのに、おまえが抱いたら……まるで初めから知ってたみたいに。」
「当然だ。」
イハナギは静かに答える。
「俺はあの子の“父”だ。……祈りも、魂も、名を呼ぶ声も、あの子はずっと聞いてきた。生まれる前からずっと。」
「……それだけで、分かるもんなんやな。」
フシミの言葉にうなずいてモリタカが感心したように目を細める。
「言葉も、名前も持たんのに、ちゃんと見分けてる。――“誰が自分の親か”って。」
「それだけじゃない。」
イハナギはゆっくり顔を上げる。
「……“誰が母のそばに長くいたか”“誰を母がどう呼んでいたか”……あの子は全部、感じ取っている。まるで、記憶するように。」
「……怖いくらいやな。」
フシミが唸った。
「ただの赤子やない。見えてへんものまで、感じとる……。」
「けど、逆に言えば……あの子は、“違い”に気づいてしまう分、傷つきやすいんやろな。」
モリタカの声がやや低くなった。
「まだ何も教えてないのに、もう察してる。“この人たちは私を大事にてくれてる。でも、父母のようには違う”って……。」
「そやから、あんな顔になったんやろな。」
フシミも頷く。
「アマユラたちは、俺たちのことを“違和感”なく受け入れてた。でもアミツキは、……それを、比べて見てしもたんや。」
「……その鋭さが、どう出るか。」
イハナギはふっと目を伏せた。
「――まだわからない。だが、俺は……怖がられなかっただけで、少し救われたよ。あれで怯えられてたら……俺も、立ち直れなかったかもしれない。」
「……あいつ、賢すぎるねん。良いことばっかりやない。」
フシミが茶を飲み干し、ぽつりとこぼした。
「誰の声を祈りと呼び、誰の気配を“ちがう”って思うんか。……そんなん、誰も教えてへんのに。どうすんねん、こんな子がもっと大きくなって、もっと深く“知って”しまったら。」
「だからこそ、祈らなければならん。」
イハナギが低く言った。
「俺たちが、遠くからでも伝えられる愛があると。……誰に抱かれていても、決して一人じゃないと。そう信じて、育っていけるように。」
静寂の中、虫の声がまた風に乗って聴こえてきた。その声を聴きながらフシミが静かに語る。
「……一度でも懐に抱けたこと。あれは、奇跡やったかもしれんな。」
モリタカがぽつりと笑った。
「その感覚を、俺はきっと忘れん。」
「それがあるだけで、充分かもしれんな。……また会えるときまで、あいつの心の中に残っとってくれたら。」
フシミも、そっと盃を置いた。
夜の空気はひんやりと澄んでいて、けれどその背中に――。遠く離れてもなお届く、義父たちの祈りが、確かに宿っていた。