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第8話 父と義父

 灯がゆらめく縁側。涼やかな風が、外の梢をそっと揺らしていた。


 「……おかしいと思わんかったか?」


 先に口を開いたのは、モリタカだった。


 「“あの子”、俺の顔を見たとたん……微かに身を固くした。」


 「俺もや。」


 フシミが眉を寄せる。


 「泣きはせんかったけどな。俺と目が合った時、警戒するみたいに――そっぽを向いた。」


 「ああ……確かに、あの瞬間だけ静かになったな。」 


 イハナギが茶器を見つめたまま、ぽつりと応じた。


 「だが、それは恐れていたからではない。“どう受け止めたらいいかわからない”という顔だった。」


「……むしろ、おまえには全然怯えてへんかったな。」


 フシミが呟く。


 「びっくりしたわ。俺らがちょっとでも近づいたらあんな顔されたのに、おまえが抱いたら……まるで初めから知ってたみたいに。」


「当然だ。」


 イハナギは静かに答える。


 「俺はあの子の“父”だ。……祈りも、魂も、名を呼ぶ声も、あの子はずっと聞いてきた。生まれる前からずっと。」


「……それだけで、分かるもんなんやな。」


 フシミの言葉にうなずいてモリタカが感心したように目を細める。


 「言葉も、名前も持たんのに、ちゃんと見分けてる。――“誰が自分の親か”って。」


「それだけじゃない。」


 イハナギはゆっくり顔を上げる。


 「……“誰が母のそばに長くいたか”“誰を母がどう呼んでいたか”……あの子は全部、感じ取っている。まるで、記憶するように。」


 「……怖いくらいやな。」


 フシミが唸った。


 「ただの赤子やない。見えてへんものまで、感じとる……。」


 「けど、逆に言えば……あの子は、“違い”に気づいてしまう分、傷つきやすいんやろな。」


 モリタカの声がやや低くなった。


 「まだ何も教えてないのに、もう察してる。“この人たちは私を大事にてくれてる。でも、父母のようには違う”って……。」


「そやから、あんな顔になったんやろな。」


 フシミも頷く。


 「アマユラたちは、俺たちのことを“違和感”なく受け入れてた。でもアミツキは、……それを、比べて見てしもたんや。」


 「……その鋭さが、どう出るか。」


 イハナギはふっと目を伏せた。


 「――まだわからない。だが、俺は……怖がられなかっただけで、少し救われたよ。あれで怯えられてたら……俺も、立ち直れなかったかもしれない。」


 「……あいつ、賢すぎるねん。良いことばっかりやない。」


 フシミが茶を飲み干し、ぽつりとこぼした。


 「誰の声を祈りと呼び、誰の気配を“ちがう”って思うんか。……そんなん、誰も教えてへんのに。どうすんねん、こんな子がもっと大きくなって、もっと深く“知って”しまったら。」


 「だからこそ、祈らなければならん。」


 イハナギが低く言った。


 「俺たちが、遠くからでも伝えられる愛があると。……誰に抱かれていても、決して一人じゃないと。そう信じて、育っていけるように。」


 静寂の中、虫の声がまた風に乗って聴こえてきた。その声を聴きながらフシミが静かに語る。


 「……一度でも懐に抱けたこと。あれは、奇跡やったかもしれんな。」


 モリタカがぽつりと笑った。


「その感覚を、俺はきっと忘れん。」


 「それがあるだけで、充分かもしれんな。……また会えるときまで、あいつの心の中に残っとってくれたら。」


 フシミも、そっと盃を置いた。


 夜の空気はひんやりと澄んでいて、けれどその背中に――。遠く離れてもなお届く、義父たちの祈りが、確かに宿っていた。


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