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第21話 彩色の河原

 彩色の河原は、今日も静かにきらめいていた。


 色とりどりの石が太陽の光を受けて淡く輝き、清流はまるで水晶の帯のようにさらさらと流れている。


 アミツキは、浅瀬にぺたんと座って、水の中に手を浸していた。蹄の先に小さな泡が当たるたび、「クゥ」と鼻を鳴らす。


 「おーい、アミツキー! 今日はにぎやかになるぞ!」


 軽やかなイツキの声とともに、風をまとうように現れたのは、ユ家の長兄・ユツカゼだった。肩に揺れるのは、銀糸を織り込んだ紺の羽織。鍛えられた身体は隠さずとも、ただ立っているだけで風を切るような静かな気迫を纏っている。


 「……こんにちわ、アミツキ元気にしてたかな?」


 真紅と琥珀のオッドアイを覗きこみ、ユツカゼは表情ひとつ変えずアミツキの頭を撫でた。


 その背後から風を揺らして降り立ったのは、ユキト。滑空術の訓練中らしく、足元には風布の装具が揺れていた。


 「えっ、これがアミツキ!? なんか光ってる! 触っていい? え、ダメ?」


 「キュッ」


 アミツキは尾をふるふると振って、どうやら“いいよ”の意思を伝えたらしい。


「ひゅー、かわいすぎる……!」


続いて、空色の装束のユサメがゆっくりと歩いてくる。手には開きかけた詠唱書。眼鏡越しにアミツキを一瞥し、ふと笑みを漏らした。


 「風の気が乱れない……アミツキちゃんは、この場所に溶け込んでるんだね。」


「ねぇねぇ! 風符、貼ってみてもいい?」


 最年少のユネリが、手作りの札を持って跳ねるように近づいてきた。


 「まだ早い」とユツカゼにたしなめられるも、アミツキは「クゥ」と頷いたようで――。


 そのまま“風符試し”は始まり、河原にふんわりと風が舞う。


 少し離れた場所では、無口なユオウが石の影に腰かけ、風の流れに指をかざしていた。誰にも気づかれないように、小さく笑っていたことに、アミツキだけが気づいた。


 そのとき、地響きのように踏みしめる音とともに、熱気が近づいてきた。


 「おーい! 我ら、ハ家の者、参上ッ!」


 雄々しく宣言したのは、豪腕のハタケル(18)。肩に丸太を担ぎ、白虎の意匠が映える装束を風にはためかせている。


「ちょっと! それ危ないだろ、ハタケル!」


 剣帯を整えながら歩み寄るのは、理知と技のハシマロ。

弟の乱暴さに眉をしかめつつも、目はアミツキに向いていた。


 「こんにちわ、アミツキ、君の冠(まえがみ)は、本物の羽のようにきれいだね。」


 アミツキは、ハ家の豪壮な空気に少し目をぱちくりさせていたが、でもすぐに、ぴょこんと跳ねて「キュン」と小さく笑った。


 「わ、笑った? うちの弓よりずっと刺さるな、こりゃ。」


 ハユミが恥ずかしそうに言いながら、花をあしらった弓を背に微笑む。


 その横で、ポン……ポン……と音が鳴る。


 「鼓だ! 鼓の子が鳴らし始めた!」


 風に乗ってやって来たのは、ハヲト。小太鼓を打ちながら近づき、アミツキの跳ねるリズムと自然に合っていた。



 「戦意を高める鼓舞……のはずだが、癒されるな。」


 そう呟いたのは、整った髪に手を添えるハルマサ。几帳面に敷物を広げて、さっそく観察記録を書き始めていた。


 最年少のハイラは、突然「アミィィィィィッ!!」と叫んで突撃し、盛大に転んで砂まみれになったが、それがまた皆の笑いを誘った。アミツキはヘッドロックをされそうだったのでとっさによけた。


 最後に現れたのは、黒き羽衣のごとき気配を纏った一団。


 「…………」


 言葉少なに現れたのは、ヨ家の長兄ヨアカネ。霊視を持つと噂されるその眼差しで、まっすぐアミツキを見つめる。


 「……風が集まりすぎている。いや、集められているのか?」


 その言葉に、アミツキはじっと見返し、そっと頷いた気がした。


 「風のうたを詠むにはちょうどいいです。」


 ヨセツが黒羽の袖から筆を出し、さらさらと短冊に書く。


 “光羽(こうう)ひらき 音なき空に 風ひとひら”


 「は、は……詩かよ、またムズいやつだなぁ。」


 ヨモジが書簡をめくりながら、でも少し顔を赤らめて呟く。


 「かわいー! ねえねえ、着せ替えしてもいい!?」


 発明好きのヨヌイが、奇妙な布と糸を持って突進してきた。


「ナギ、だめっ……!」


 しかしその後ろのヨナギがアミツキを見た瞬間、にこぉっと笑ったかと思えば、すぐにわんわん泣き出した。


「え、え、なんで……!? どっち!?!」


「くぅ?」と首を傾げたアミツキの声に、全員がつられてまた笑った。


最後に、まだ人化のできないヨワセが小さな翼で羽ばたきながら、ひとりだけ全員の視線を気にせず、無言でアミツキに近づいて、そっとその鱗に手を当てた。


 河原の水音に混じって、ぴぴっと甲高い鳴き声が響いた。


 ばさっ、ぱたぱたぱたっ。


 黒い小さな影が、アミツキの頭上を横切る。


 「クゥ……!」


 アミツキがあわてて小さな体をくるりとひねる。その視線の先には、黒い羽根をふわふわ揺らす八咫烏の雛――ヨセワが、まだうまく飛びきれない羽をばたつかせながら、流れの早い淵の方へと向かっていた。


 「くぅーっ!!」


 ぴょこぴょこと跳ねるように、アミツキが追う。蹄が水を蹴る音は小さく、軽やかで。


 「ぴぴっ」


 「クキュ!」


 飛ぶヨセワ、追うアミツキ。


 バランスを崩して水面に落ちそうになるたび、アミツキは尾で軽く押し返し、鱗の肩でそっと受け止める。何度も、何度も。


 小さいながら、まるで保護者のような動きだった。


 「……あれ、すごくない?」


 遠くでその様子を眺めていたユネリが、目をぱちぱちさせてつぶやく。


 「ヨセワって、ふつう誰の言うことも聞かないのに……アミツキのそばだと、静かじゃん?」


 「いや、むしろ暴れてるけどな。」


 ハユミが苦笑しながらも、どこか和んだように見ている。


 「うふふ……でも、かわいさが二倍。」


 ヨヌイが自作の小物を抱きしめながら目を細める。


 「ほら、あれ見て。アミツキ、ヨセワの羽直してる……!」


 たしかに、ヨセワがどろりとした泥に突っ込んだ瞬間、アミツキはすぐに駆け寄って、ちいさな舌でその羽をやさしくぺろりと舐めた。


 ぴぴっ、とヨセワがちょっと怒る。けれど、どこか甘えているようでもある。


 「わぁぁ……なんか、ああいうの、いいよね。」


 ハルマサが思わず手帳を閉じて、うっとりしたように眺める。


 「わかる……なんか、もっと近くで見たくなっちゃう。」


 ユサメがそっと眼鏡を外して、風を読みながら詠唱を止めた。


 「キュン」

 アミツキが鳴いた。


 その声に応じるように、ヨセワが「ぴぴ」と頭をすり寄せてくる。


 そのときだった。


 「わーー! かわいいが渋滞してる!!」


 ヨモジが急に叫び、頭を抱えて地面を転げた。


 「ま、また始まった……」とため息をつきつつも、みんなもどこか緩んだ笑顔を浮かべていた。


 「アミツキ……あんなに小さいのに、ちゃんと“見てる”んだな。」

ユツカゼがぼそりと漏らす。


 「……ぴぃ」


小さな鳴き声が風にとける。

――いつの間にか、ヨセワは兄ヨリカの頭の上に乗っていた。もふもふの黒い羽毛をふわりとふくらませ、金の眼を細めながら、くちばしでひとつあくびをする。


「おい、重いんだが……」

ヨリカが苦い顔をしながらも、決して追い払おうとはしない。

むしろ手のひらでそっとその体を支えて、バランスよくしてやっていた。


「かわい~……」

「寝ちゃったね……」

周囲の子どもたちが囁く。


遊びに夢中だった陽は少し傾き、河原に涼しい風が吹きはじめていた。


そしてそのとき――

ヨセワをずっと追って守っていた、あの子の足取りが、ふらりと止まった。


「……クゥ」


アミツキだった。


まだ蹄のあどけなさが残る白金の子。

その肩の鱗は夕光に照らされ、ほんのり桃色にきらめいている。

大きなオッドアイは――今は眠気でうるうると滲んでいた。


「……きゅ……ぅ……」


しゃがみ込むわけでもなく、その場にころんと倒れるわけでもない。

アミツキは、眠気と疲れでふらふらになりながら、

ふいに、浮いた。


「……!?」

「えっ、飛んでる――!?」


子どもたちの声が一斉に上がった。

それは驚きと、感動と、ちょっとの興奮が混ざった、不思議な音の波だった。


「麒麟って、跳ねるけど、飛べるの……?」

「でもアミツキって、今まで一度も――」


「――クゥ」


本人は、そんな声なんてどこ吹く風。

重たい瞼をなんとか開けながら、ゆっくりと、低く、川辺の石のすれすれを滑空している。


それは、風に乗るというより、夢に導かれるような動きだった。


アミツキの金朱の冠が、ふわりと揺れる。

その尾が、河原の光をなぞる。

空も水も、時間も、すべてが静かになったように見えた。


「……どこに行くんだろ」


「誰のとこで寝るんだと思う?」


子どもたちが囁き合うなか、

当主たちは立ったまま、ただ無言でその様子を見守っていた。

風の当主ユハカゼの眉がわずかに上がり、

影の当主ヨミカゲが口の端をふっと上げ、

虎の当主ハクマロは、腕を組んだまま微かに息を漏らした。


――そして。


「……きゅぅ」


アミツキはふらりとひとつ旋回し、

そのまま、ぽすん、と誰かの腕の中へ着地した。


「おお……」

「そこか……!」


くったりとしがみついたその相手は、

普段ならやんちゃな弟たちに振り回されてばかりの、

柔らかい瞳をしたユサメだった。


「……あ……」


一瞬戸惑ったように目を丸くしたが、ユサメは何も言わず、

アミツキの体をそっと支える。


そのまま、アミツキは彼の胸に顔をうずめ、

あっという間に――すぅ、と寝息を立てはじめた。


「……寝た」

「寝たよね……?」

「うん、これは完全におねむモード」


子どもたちがひそひそと話す中、ユサメが困ったように小声でつぶやいた。


「……えっと、どうしよう。動けないんだけど、ぼく」


「動くなよ! そこが正解だったんだから!」

「そうそう、アミツキが自力で飛んでまで選んだ場所だぞ」


「……うぅ、光栄だけど、重い……いや、かわいい……」


やがて、風が静かに通り過ぎ、

彩色の河原には、雛鳥と麒麟の、夢の時間が訪れていた。



 ゆっくりとまぶたを開いたアミツキは、まだ夢と現をゆらゆらと行き来しているようだった。


 「くぁ……。」


 くぐもった声とともに、真紅と琥珀の瞳がゆっくりと焦点を結んでいく。

 その光を受けたユツカゼは、ふっと微笑んだ。


「おはよう、アミツキ」


 その声に応じるように、アミツキの背がふわりと浮く。

 地に足をつけず、まるで風に抱かれるように、すこしずつ――上がっていった。


「……あ、飛んで……る?」


 その瞬間、ユツカゼは確信する。

 この子は、飛べる。


「なら、もっと高く飛ぼう」


 囁いた次の刹那、彼の身体が風のうねりに包まれた。

 足元から銀青の光がせり上がり、衣の縁が鱗のようにきらめきながら剥がれていく。

 肌が透き通るような蒼銀に染まり、背骨を中心に蒼き紋が浮かび上がると、

 尾を引くように光が走り――


 ぐわ、と風が咆哮し、

 ユツカゼは長大な龍の姿を現した。


 雲を裂くような双角。水面のように光を映す鱗。

 その姿は、天を翔ける流星のようだった。


 アミツキの瞳が輝く。


「……ユツ……」


 彼女の唇が、ゆっくり動く。


「……うろこ……かっこ、いー……」


 その声は、ユツカゼの心に真っすぐ届いた。


「……アミツキ、喋った……!」


 呆然としたまま龍の瞳が揺れる。


 その場にいた子供たちの目が、一斉に輝いた。


 「アミツキ、今喋った!?」


 「聞こえたの、ユツ兄だけ?俺たち聞こえてないよ!」


 ざわめきが広がる。


 その中で、ハクマロが風を蹴って跳ねた。


「なら、オレもなってみる!」


 そう言って目を閉じると、白光が足元から吹き上がる。彼の髪が風に逆立ち、肌に白銀の模様が浮かび、四肢がしなやかな獣のものに変わっていく。


 風が止んだとき、そこにいたのは堂々たる白虎。


 「よし、アミツキ、オレのことも何か言って!」


 ハクマロが声をかけると、アミツキはふらりと尾を浮かせながら近づき……。


 「……ハク、もふ……」


  もふ、と言われた白虎が一瞬きょとんとする。


  その直後。


 「アミツキ、今『もふ』って言った!」


 「言った言った! ハクのこと!」


 「えっ、聞こえてるのって、獣になってるときだけなんだ!」


 変身していない子たちが大騒ぎして指さす。


 ハクマロが目をぱちくりさせながら、うれしそうにふわっと尻尾を振った。


 「おお……喋ってくれた……!」


 それを見ていたハタケルも、思わず身体を乗り出した。


 「オレもなる!」


  橙の風が彼の足元を巻き、金の紋が走る。筋肉の動きが流線型に整い、鋭さとしなやかさを併せ持つ獣へと変化する。


 やがて現れたのは、風を纏う白虎――ハクマロよりも筋肉質な体格や風の性質が異なるものの、同じ種の獣であった。


 ハタケルがアミツキにそっと近づいて、顔を近づける。


 「アミツキ? オレのこと、わかる?」


 『ハタ、しっぽ、すき』


 「うわっ、やっぱり! 聞こえるのは、獣になったときだけだ!」


 変身したままのハタケルが、目をまるくする。


 「うんうん、ちゃんと聞こえたよ、ね?」


「聞こえた聞こえた!『しっぽすき』って! アミツキに気に入られてる〜!」


 嬉しさがこみあげたハタケルが、思わずしっぽをぶん、と振った。


 そのしっぽにバフッとアミツキが乗っかり、「ふわー」と満足げに鳴く。


 ハタケルは動けず、しばしそのまま固まった。



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