彩色の河原は、今日も静かにきらめいていた。
色とりどりの石が太陽の光を受けて淡く輝き、清流はまるで水晶の帯のようにさらさらと流れている。
アミツキは、浅瀬にぺたんと座って、水の中に手を浸していた。蹄の先に小さな泡が当たるたび、「クゥ」と鼻を鳴らす。
「おーい、アミツキー! 今日はにぎやかになるぞ!」
軽やかなイツキの声とともに、風をまとうように現れたのは、ユ家の長兄・ユツカゼだった。肩に揺れるのは、銀糸を織り込んだ紺の羽織。鍛えられた身体は隠さずとも、ただ立っているだけで風を切るような静かな気迫を纏っている。
「……こんにちわ、アミツキ元気にしてたかな?」
真紅と琥珀のオッドアイを覗きこみ、ユツカゼは表情ひとつ変えずアミツキの頭を撫でた。
その背後から風を揺らして降り立ったのは、ユキト。滑空術の訓練中らしく、足元には風布の装具が揺れていた。
「えっ、これがアミツキ!? なんか光ってる! 触っていい? え、ダメ?」
「キュッ」
アミツキは尾をふるふると振って、どうやら“いいよ”の意思を伝えたらしい。
「ひゅー、かわいすぎる……!」
続いて、空色の装束のユサメがゆっくりと歩いてくる。手には開きかけた詠唱書。眼鏡越しにアミツキを一瞥し、ふと笑みを漏らした。
「風の気が乱れない……アミツキちゃんは、この場所に溶け込んでるんだね。」
「ねぇねぇ! 風符、貼ってみてもいい?」
最年少のユネリが、手作りの札を持って跳ねるように近づいてきた。
「まだ早い」とユツカゼにたしなめられるも、アミツキは「クゥ」と頷いたようで――。
そのまま“風符試し”は始まり、河原にふんわりと風が舞う。
少し離れた場所では、無口なユオウが石の影に腰かけ、風の流れに指をかざしていた。誰にも気づかれないように、小さく笑っていたことに、アミツキだけが気づいた。
そのとき、地響きのように踏みしめる音とともに、熱気が近づいてきた。
「おーい! 我ら、ハ家の者、参上ッ!」
雄々しく宣言したのは、豪腕のハタケル(18)。肩に丸太を担ぎ、白虎の意匠が映える装束を風にはためかせている。
「ちょっと! それ危ないだろ、ハタケル!」
剣帯を整えながら歩み寄るのは、理知と技のハシマロ。
弟の乱暴さに眉をしかめつつも、目はアミツキに向いていた。
「こんにちわ、アミツキ、君の冠(まえがみ)は、本物の羽のようにきれいだね。」
アミツキは、ハ家の豪壮な空気に少し目をぱちくりさせていたが、でもすぐに、ぴょこんと跳ねて「キュン」と小さく笑った。
「わ、笑った? うちの弓よりずっと刺さるな、こりゃ。」
ハユミが恥ずかしそうに言いながら、花をあしらった弓を背に微笑む。
その横で、ポン……ポン……と音が鳴る。
「鼓だ! 鼓の子が鳴らし始めた!」
風に乗ってやって来たのは、ハヲト。小太鼓を打ちながら近づき、アミツキの跳ねるリズムと自然に合っていた。
「戦意を高める鼓舞……のはずだが、癒されるな。」
そう呟いたのは、整った髪に手を添えるハルマサ。几帳面に敷物を広げて、さっそく観察記録を書き始めていた。
最年少のハイラは、突然「アミィィィィィッ!!」と叫んで突撃し、盛大に転んで砂まみれになったが、それがまた皆の笑いを誘った。アミツキはヘッドロックをされそうだったのでとっさによけた。
最後に現れたのは、黒き羽衣のごとき気配を纏った一団。
「…………」
言葉少なに現れたのは、ヨ家の長兄ヨアカネ。霊視を持つと噂されるその眼差しで、まっすぐアミツキを見つめる。
「……風が集まりすぎている。いや、集められているのか?」
その言葉に、アミツキはじっと見返し、そっと頷いた気がした。
「風のうたを詠むにはちょうどいいです。」
ヨセツが黒羽の袖から筆を出し、さらさらと短冊に書く。
“光羽(こうう)ひらき 音なき空に 風ひとひら”
「は、は……詩かよ、またムズいやつだなぁ。」
ヨモジが書簡をめくりながら、でも少し顔を赤らめて呟く。
「かわいー! ねえねえ、着せ替えしてもいい!?」
発明好きのヨヌイが、奇妙な布と糸を持って突進してきた。
「ナギ、だめっ……!」
しかしその後ろのヨナギがアミツキを見た瞬間、にこぉっと笑ったかと思えば、すぐにわんわん泣き出した。
「え、え、なんで……!? どっち!?!」
「くぅ?」と首を傾げたアミツキの声に、全員がつられてまた笑った。
最後に、まだ人化のできないヨワセが小さな翼で羽ばたきながら、ひとりだけ全員の視線を気にせず、無言でアミツキに近づいて、そっとその鱗に手を当てた。
河原の水音に混じって、ぴぴっと甲高い鳴き声が響いた。
ばさっ、ぱたぱたぱたっ。
黒い小さな影が、アミツキの頭上を横切る。
「クゥ……!」
アミツキがあわてて小さな体をくるりとひねる。その視線の先には、黒い羽根をふわふわ揺らす八咫烏の雛――ヨセワが、まだうまく飛びきれない羽をばたつかせながら、流れの早い淵の方へと向かっていた。
「くぅーっ!!」
ぴょこぴょこと跳ねるように、アミツキが追う。蹄が水を蹴る音は小さく、軽やかで。
「ぴぴっ」
「クキュ!」
飛ぶヨセワ、追うアミツキ。
バランスを崩して水面に落ちそうになるたび、アミツキは尾で軽く押し返し、鱗の肩でそっと受け止める。何度も、何度も。
小さいながら、まるで保護者のような動きだった。
「……あれ、すごくない?」
遠くでその様子を眺めていたユネリが、目をぱちぱちさせてつぶやく。
「ヨセワって、ふつう誰の言うことも聞かないのに……アミツキのそばだと、静かじゃん?」
「いや、むしろ暴れてるけどな。」
ハユミが苦笑しながらも、どこか和んだように見ている。
「うふふ……でも、かわいさが二倍。」
ヨヌイが自作の小物を抱きしめながら目を細める。
「ほら、あれ見て。アミツキ、ヨセワの羽直してる……!」
たしかに、ヨセワがどろりとした泥に突っ込んだ瞬間、アミツキはすぐに駆け寄って、ちいさな舌でその羽をやさしくぺろりと舐めた。
ぴぴっ、とヨセワがちょっと怒る。けれど、どこか甘えているようでもある。
「わぁぁ……なんか、ああいうの、いいよね。」
ハルマサが思わず手帳を閉じて、うっとりしたように眺める。
「わかる……なんか、もっと近くで見たくなっちゃう。」
ユサメがそっと眼鏡を外して、風を読みながら詠唱を止めた。
「キュン」
アミツキが鳴いた。
その声に応じるように、ヨセワが「ぴぴ」と頭をすり寄せてくる。
そのときだった。
「わーー! かわいいが渋滞してる!!」
ヨモジが急に叫び、頭を抱えて地面を転げた。
「ま、また始まった……」とため息をつきつつも、みんなもどこか緩んだ笑顔を浮かべていた。
「アミツキ……あんなに小さいのに、ちゃんと“見てる”んだな。」
ユツカゼがぼそりと漏らす。
「……ぴぃ」
小さな鳴き声が風にとける。
いつの間にか、ヨセワは兄ヨリカの頭の上に乗っていた。もふもふの黒い羽毛をふわりとふくらませ、金の眼を細めながら、くちばしでひとつあくびをする。
「おい、重いんだが……」
ヨリカが苦い顔をしながらも、決して追い払おうとはしない。むしろ手のひらでそっとその体を支えて、バランスよくしてやっていた。
「かわい~……。」
「寝ちゃったね……。」
周囲の子どもたちが囁く。
遊びに夢中だった陽は少し傾き、河原に涼しい風が吹きはじめていた。
そしてそのとき。
ヨセワをずっと追って守っていた、あの子の足取りが、ふらりと止まった。
「……クゥ。」
アミツキだった。
まだ蹄のあどけなさが残る白金の子。その肩の鱗は夕光に照らされ、ほんのり桃色にきらめいている。大きなオッドアイは今や眠気でうるうると滲んでいた。
「……きゅ……ぅ……」
しゃがみ込むわけでもなく、その場にころんと倒れるわけでもない。アミツキは、眠気と疲れでふらふらになりながら、ふいに、浮いた。
「……!?」
「えっ、飛んでる――!?」
子どもたちの声が一斉に上がった。
それは驚きと、感動と、ちょっとの興奮が混ざった、不思議な音の波だった。
「麒麟って、跳ねるけど、飛べるの……?」
「でもアミツキって、今まで一度も――。」
「――クゥ。」
本人は、そんな声なんてどこ吹く風。
重たい瞼をなんとか開けながら、ゆっくりと、低く、川辺の石のすれすれを滑空している。
それは、風に乗るというより、夢に導かれるような動きだった。
アミツキの金朱の冠が、ふわりと揺れる。その尾が、河原の光をなぞる。空も水も、時間も、すべてが静かになったように見えた。
「……どこに行くんだろ。」
「誰のとこで寝るんだと思う?」
子どもたちが囁き合うなか、当主たちは立ったまま、ただ無言でその様子を見守っていた。風の当主ユハカゼの眉がわずかに上がり、影の当主ヨミカゲが口の端をふっと上げ、虎の当主ハクマロは、腕を組んだまま微かに息を漏らした。
そして。
「……きゅぅ。」
アミツキはふらりとひとつ旋回し、そのまま、ぽすん、と誰かの腕の中へ着地した。
「おお……。」
「そこか……!」
くったりとしがみついたその相手は、普段ならやんちゃな弟たちに振り回されてばかりの、柔らかい瞳をしたユサメだった。
「……あ……。」
一瞬戸惑ったように目を丸くしたが、ユサメは何も言わず、アミツキの体をそっと支える。
そのまま、アミツキは彼の胸に顔をうずめ、あっという間にすぅ、と寝息を立てはじめた。
「……寝た。」
「寝たよね……?」
「うん、これは完全におねむモード。」
子どもたちがひそひそと話す中、ユサメが困ったように小声でつぶやいた。
「……えっと、どうしよう。動けないんだけど、ぼく。」
「動くなよ! そこが正解だったんだから!」
「そうそう、アミツキが自力で飛んでまで選んだ場所だぞ。」
「……うぅ、光栄だけど、重い……いや、かわいい……。」
やがて、風が静かに通り過ぎ、彩色の河原には、雛鳥と麒麟の、夢の時間が訪れていた。