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第22話 ご対面

 彩色の河原は、今日も静かにきらめいていた。


 色とりどりの石が太陽の光を受けて淡く輝き、清流はまるで水晶の帯のようにさらさらと流れている。


 アミツキは、浅瀬にぺたんと座って、水の中に手を浸していた。蹄の先に小さな泡が当たるたび、「クゥ」と鼻を鳴らす。


 「おーい、アミツキー! 今日はにぎやかになるぞ!」


 軽やかなイツキの声とともに、風をまとうように現れたのは、ユ家の長兄・ユツカゼだった。肩に揺れるのは、銀糸を織り込んだ紺の羽織。鍛えられた身体は隠さずとも、ただ立っているだけで風を切るような静かな気迫を纏っている。


 「……こんにちわ、アミツキ元気にしてたかな?」


 真紅と琥珀のオッドアイを覗きこみ、ユツカゼは表情ひとつ変えずアミツキの頭を撫でた。


 その背後から風を揺らして降り立ったのは、ユキト。滑空術の訓練中らしく、足元には風布の装具が揺れていた。


 「えっ、これがアミツキ!? なんか光ってる! 触っていい? え、ダメ?」


 「キュッ」


 アミツキは尾をふるふると振って、どうやら“いいよ”の意思を伝えたらしい。


「ひゅー、かわいすぎる……!」


続いて、空色の装束のユサメがゆっくりと歩いてくる。手には開きかけた詠唱書。眼鏡越しにアミツキを一瞥し、ふと笑みを漏らした。


 「風の気が乱れない……アミツキちゃんは、この場所に溶け込んでるんだね。」


「ねぇねぇ! 風符、貼ってみてもいい?」


 最年少のユネリが、手作りの札を持って跳ねるように近づいてきた。


 「まだ早い」とユツカゼにたしなめられるも、アミツキは「クゥ」と頷いたようで――。


 そのまま“風符試し”は始まり、河原にふんわりと風が舞う。


 少し離れた場所では、無口なユオウが石の影に腰かけ、風の流れに指をかざしていた。誰にも気づかれないように、小さく笑っていたことに、アミツキだけが気づいた。


 そのとき、地響きのように踏みしめる音とともに、熱気が近づいてきた。


 「おーい! 我ら、ハ家の者、参上ッ!」


 雄々しく宣言したのは、豪腕のハタケル(18)。肩に丸太を担ぎ、白虎の意匠が映える装束を風にはためかせている。


「ちょっと! それ危ないだろ、ハタケル!」


 剣帯を整えながら歩み寄るのは、理知と技のハシマロ。

弟の乱暴さに眉をしかめつつも、目はアミツキに向いていた。


 「こんにちわ、アミツキ、君の冠(まえがみ)は、本物の羽のようにきれいだね。」


 アミツキは、ハ家の豪壮な空気に少し目をぱちくりさせていたが、でもすぐに、ぴょこんと跳ねて「キュン」と小さく笑った。


 「わ、笑った? うちの弓よりずっと刺さるな、こりゃ。」


 ハユミが恥ずかしそうに言いながら、花をあしらった弓を背に微笑む。


 その横で、ポン……ポン……と音が鳴る。


 「鼓だ! 鼓の子が鳴らし始めた!」


 風に乗ってやって来たのは、ハヲト。小太鼓を打ちながら近づき、アミツキの跳ねるリズムと自然に合っていた。



 「戦意を高める鼓舞……のはずだが、癒されるな。」


 そう呟いたのは、整った髪に手を添えるハルマサ。几帳面に敷物を広げて、さっそく観察記録を書き始めていた。


 最年少のハイラは、突然「アミィィィィィッ!!」と叫んで突撃し、盛大に転んで砂まみれになったが、それがまた皆の笑いを誘った。アミツキはヘッドロックをされそうだったのでとっさによけた。


 最後に現れたのは、黒き羽衣のごとき気配を纏った一団。


 「…………」


 言葉少なに現れたのは、ヨ家の長兄ヨアカネ。霊視を持つと噂されるその眼差しで、まっすぐアミツキを見つめる。


 「……風が集まりすぎている。いや、集められているのか?」


 その言葉に、アミツキはじっと見返し、そっと頷いた気がした。


 「風のうたを詠むにはちょうどいいです。」


 ヨセツが黒羽の袖から筆を出し、さらさらと短冊に書く。


 “光羽(こうう)ひらき 音なき空に 風ひとひら”


 「は、は……詩かよ、またムズいやつだなぁ。」


 ヨモジが書簡をめくりながら、でも少し顔を赤らめて呟く。


 「かわいー! ねえねえ、着せ替えしてもいい!?」


 発明好きのヨヌイが、奇妙な布と糸を持って突進してきた。


「ナギ、だめっ……!」


 しかしその後ろのヨナギがアミツキを見た瞬間、にこぉっと笑ったかと思えば、すぐにわんわん泣き出した。


「え、え、なんで……!? どっち!?!」


「くぅ?」と首を傾げたアミツキの声に、全員がつられてまた笑った。


最後に、まだ人化のできないヨワセが小さな翼で羽ばたきながら、ひとりだけ全員の視線を気にせず、無言でアミツキに近づいて、そっとその鱗に手を当てた。


 河原の水音に混じって、ぴぴっと甲高い鳴き声が響いた。


 ばさっ、ぱたぱたぱたっ。


 黒い小さな影が、アミツキの頭上を横切る。


 「クゥ……!」


 アミツキがあわてて小さな体をくるりとひねる。その視線の先には、黒い羽根をふわふわ揺らす八咫烏の雛――ヨセワが、まだうまく飛びきれない羽をばたつかせながら、流れの早い淵の方へと向かっていた。


 「くぅーっ!!」


 ぴょこぴょこと跳ねるように、アミツキが追う。蹄が水を蹴る音は小さく、軽やかで。


 「ぴぴっ」


 「クキュ!」


 飛ぶヨセワ、追うアミツキ。


 バランスを崩して水面に落ちそうになるたび、アミツキは尾で軽く押し返し、鱗の肩でそっと受け止める。何度も、何度も。


 小さいながら、まるで保護者のような動きだった。


 「……あれ、すごくない?」


 遠くでその様子を眺めていたユネリが、目をぱちぱちさせてつぶやく。


 「ヨセワって、ふつう誰の言うことも聞かないのに……アミツキのそばだと、静かじゃん?」


 「いや、むしろ暴れてるけどな。」


 ハユミが苦笑しながらも、どこか和んだように見ている。


 「うふふ……でも、かわいさが二倍。」


 ヨヌイが自作の小物を抱きしめながら目を細める。


 「ほら、あれ見て。アミツキ、ヨセワの羽直してる……!」


 たしかに、ヨセワがどろりとした泥に突っ込んだ瞬間、アミツキはすぐに駆け寄って、ちいさな舌でその羽をやさしくぺろりと舐めた。


 ぴぴっ、とヨセワがちょっと怒る。けれど、どこか甘えているようでもある。


 「わぁぁ……なんか、ああいうの、いいよね。」


 ハルマサが思わず手帳を閉じて、うっとりしたように眺める。


 「わかる……なんか、もっと近くで見たくなっちゃう。」


 ユサメがそっと眼鏡を外して、風を読みながら詠唱を止めた。


 「キュン」

 アミツキが鳴いた。


 その声に応じるように、ヨセワが「ぴぴ」と頭をすり寄せてくる。


 そのときだった。


 「わーー! かわいいが渋滞してる!!」


 ヨモジが急に叫び、頭を抱えて地面を転げた。


 「ま、また始まった……」とため息をつきつつも、みんなもどこか緩んだ笑顔を浮かべていた。


 「アミツキ……あんなに小さいのに、ちゃんと“見てる”んだな。」


 ユツカゼがぼそりと漏らす。




 「……ぴぃ」


 小さな鳴き声が風にとける。


 いつの間にか、ヨセワは兄ヨリカの頭の上に乗っていた。もふもふの黒い羽毛をふわりとふくらませ、金の眼を細めながら、くちばしでひとつあくびをする。


 「おい、重いんだが……」


 ヨリカが苦い顔をしながらも、決して追い払おうとはしない。むしろ手のひらでそっとその体を支えて、バランスよくしてやっていた。


 「かわい~……。」


 「寝ちゃったね……。」


 周囲の子どもたちが囁く。


 遊びに夢中だった陽は少し傾き、河原に涼しい風が吹きはじめていた。


 そしてそのとき。


 ヨセワをずっと追って守っていた、あの子の足取りが、ふらりと止まった。


 「……クゥ。」


 アミツキだった。


 まだ蹄のあどけなさが残る白金の子。その肩の鱗は夕光に照らされ、ほんのり桃色にきらめいている。大きなオッドアイは今や眠気でうるうると滲んでいた。


 「……きゅ……ぅ……」


 しゃがみ込むわけでもなく、その場にころんと倒れるわけでもない。アミツキは、眠気と疲れでふらふらになりながら、ふいに、浮いた。


 「……!?」


 「えっ、飛んでる――!?」


 子どもたちの声が一斉に上がった。


 それは驚きと、感動と、ちょっとの興奮が混ざった、不思議な音の波だった。


 「麒麟って、跳ねるけど、飛べるの……?」


 「でもアミツキって、今まで一度も――。」


 「――クゥ。」


 本人は、そんな声なんてどこ吹く風。


 重たい瞼をなんとか開けながら、ゆっくりと、低く、川辺の石のすれすれを滑空している。


 それは、風に乗るというより、夢に導かれるような動きだった。


 アミツキの金朱の冠が、ふわりと揺れる。その尾が、河原の光をなぞる。空も水も、時間も、すべてが静かになったように見えた。


 「……どこに行くんだろ。」


 「誰のとこで寝るんだと思う?」


 子どもたちが囁き合うなか、当主たちは立ったまま、ただ無言でその様子を見守っていた。風の当主ユハカゼの眉がわずかに上がり、影の当主ヨミカゲが口の端をふっと上げ、虎の当主ハクマロは、腕を組んだまま微かに息を漏らした。


 そして。


 「……きゅぅ。」


 アミツキはふらりとひとつ旋回し、そのまま、ぽすん、と誰かの腕の中へ着地した。


 「おお……。」


 「そこか……!」


 くったりとしがみついたその相手は、普段ならやんちゃな弟たちに振り回されてばかりの、柔らかい瞳をしたユサメだった。


 「……あ……。」


 一瞬戸惑ったように目を丸くしたが、ユサメは何も言わず、アミツキの体をそっと支える。


 そのまま、アミツキは彼の胸に顔をうずめ、あっという間にすぅ、と寝息を立てはじめた。


 「……寝た。」


 「寝たよね……?」


 「うん、これは完全におねむモード。」


 子どもたちがひそひそと話す中、ユサメが困ったように小声でつぶやいた。


 「……えっと、どうしよう。動けないんだけど、ぼく。」


 「動くなよ! そこが正解だったんだから!」


 「そうそう、アミツキが自力で飛んでまで選んだ場所だぞ。」


 「……うぅ、光栄だけど、重い……いや、かわいい……。」


 やがて、風が静かに通り過ぎ、彩色の河原には、雛鳥と麒麟の、夢の時間が訪れていた。




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