「夢っていうか、強いて言うなら、コンビニとか行ってみたいです」
カオルは緊張しているのか、裏返った声で話した。
部屋に入っても、長い前髪で目元を隠し、ほとんど目を合わせない。でも、目を合わせないことで、逃げているのは、きっとカオルだけではなかった。
「あとは?」
「あと、散歩とか普通にしてみたいし、牛丼屋とかでいいんで、ご飯も行ってみたいし」
唇の震えが、そのまま声に乗ったような、ぎこちない喋り方だったが、ボクは下を向いているカオルにもわかるように、はっきりと声に出して相槌を重ねた。
「まあ、贅沢っすよねえ」
カオルは冗談ですよと、防御線を張るように、似合わない口調で笑い飛ばした。
だが、傷つかないように、いつも先回りして、本音から逃げていたのは、ボクも同じだ。
中学の頃、カオルと何気なく話しているときにも、言葉の一字一句を漏らすまいと聞き入りながら、自分の胸にナイフのような言葉が刺さることを強く警戒している、そんな風に日々を過ごしていた。
カオルと話ができることが何より楽しかった。それなのに、好きな女の子ができた、付き合うことになった、自分が一番聞きたくない話をカオルの口から聞いてしまうことが、怖くてたまらなかったのだ。
「まあ、見た目がギリセーフって感じになれば、コンビニで買い物したいですね」
カオルはそう言いながら、ボクに紙袋を手渡した。視線を泳がせながら、店内を見渡すが、決してボクの目は見ない。
「これは?」
カオルの返事を待つ前に、紙袋の隙間から中が見えた。カオルは紙袋の中身がボクにバレたと悟り、恥ずかしそうに、また顔を伏せる。
「じゃあ、これは最後でいい?」
カオルがこれ以上、恥ずかしい思いをしないように、中身には触れず、できるだけ濁して伝えた。
カオルも、それで安心したのか、オーバーな身振りで、「どうぞ」とボクに紙袋を委ねた。
笑顔を浮かべてから、ちらりとカオルの胸のあたりを見た。最初は、トレーナーの厚みで気付かなかったが、よく見ると胸にわずかな膨らみがある。
「じゃあメイクするから、こっち座って」
カオルは椅子に座り、真っ直ぐに前を見据えた。鏡に向かって、笑顔と真剣な顔を交互に浮かべながら、最後は覚悟を決めたように唇を強く閉じた。
「ずっと、女の子になりたかったんです」
芯のある声ではっきりと言った。言い終えたあとに、ふと言葉の重みに気づいたように、急に我に返り、顔を赤くして急ぎ足で続けた。
「すみません、気持ち悪いですよね、ぐえーって感じで」
無理に笑いながら、火照った顔を恥ずかしそうに手で扇ぐ。
息をするたびに肩が揺れている。カオルの肩にそっと手を置いた。少し汗で湿った服の上から、体温がはっきりと伝わる。
「なんで・・・」
言葉の続きに迷ったが、結局、ボクという言葉を使った。男になろうと決めた時、自分に強いていた言葉だった。
「なんで、ボクの所に?」
「SNSで繋がってる女装子さんが、リツイートしてたんです」
カオルは、ポケットからスマートフォンを取り出した。少し操作すると、画面にはSNSに投稿された画像が表示され、ここでメイクをするボクの姿が表示された。
「知らない人にメイクをしてもらうのは無理だなって諦めてたんですけど、先輩なら」
カオルは迷ったように黙り込んだが、「お願いします」と早口で言葉を締め括った。
そっか、と笑って頷いた。
自然に笑えたという手応えがあったのに、自分の姿を鏡で見ることが怖かった。
何も期待していなかったはずなのに、自分が欲しかった言葉がカオルの口から出なかったことに、勝手にショックを受けて、勝手に落ち込んでいる。
何か、もっと特別な何か、ボクに会いにきた理由が聞けるはずだと、カオルの言葉を欲していたのだと、今の胸のざわつきで気がついた。
「実は、メイクをお願いしたかったのは」
カオルは目を閉じて、一言一言、単語を区切るように、強調しながら言った。
ドクンと、また胸が深く沈む。
「何?」
「好きな人がいるからなんです」
カオルは、目を閉じたまま、つぶやいた。