彼との同居を続ける上で、俺が生き残る上で、俺は俺自身にルールを課した。それは、ご主人様にはなるべく触れないようにすること。それなのに……
「イル、おはよう。昨日は一緒に寝られなくてごめんね」
と俺が寝ているベッドに潜り込んで、起こしてくるので朝っぱらから理性が欲望に負けそうだ。
「良いよ、別に」
そのベッドから抜け出して、彼から一定の距離を確保した。すると、彼はきょとんとした顔をして、俺の背中を追いかけてくる。
「朝食は何がいい?」
「シリアルとか、適当に食べるよ」
「作ってあげる」
「いや、遠慮しとく」
逃げた先にあるソファに寝っ転がって、ソファの背をただ見つめていた。
「イル?……僕が何かしたか??」
彼は俺の背中に向かって、自信なさげに話しかけた。俺はそんな無自覚な彼にイラついてしまって、そんな自分にもイラついた。
「……別に。何も」
「じゃあ、何でそんなに素っ気ないの?」
「その方が、生きやすいかと思って」
彼に触れてしまうと、もっと触れたくなってしまう。整っている彼を乱したくて、仕方がなくなる。でもそれで、彼を傷付けてしまうのなら、俺が我慢して欲望を押し殺してた方が、きっと生きやすい。
「イルらしくないね」
彼は悲しげな声でそう言う。
「変えたのはお前だろ」
八つ当たりするように言ってしまった。
「……そんな苦しそうに言われたら、その変化は認められないよ」
と彼も苦しそうな表情をして、ソファに寝転がる俺の上に覆いかぶさってきた。
「レイラ、離れろ」
どっちが犬で、どっちがご主人様かわからない。俺は彼に命令を下した。
「嫌だ。イル、素直になっていいよ」
そう言われると、今まで抑圧していた感情が拳銃で脳天をぶち抜いたようにバンッと走って、彼の首をぎゅっと締めた。
「ふっ……ふふふっ、あははっ!!」
細めた目を潤ませて高笑いする俺に、彼は優しく「ダメだよ」と言うように小さく首を横に振った。
「ううん、違う。これが俺なの。これがどうしようもない俺なんだよ!!」
と俺のどうしようもなさを嘲て、全てをまたゼロに戻そうとした。そんな俺の顔を彼はぶん殴った。その拳が頬に刺さった。痛みで咄嗟に彼の首から手を離して、殴られた頬に手を添えた。彼が俺の胸へと落ちる。
「はぁはぁ、イル、一緒に学んでいこう……」
俺の胸の上で這いつくばって、息を切らしている。
「何を?」
俺は殴られたショックでぶっきらぼうに言葉を投げた。
「イルがイル自身を、好きになれる方法を」
俺は俺自身が、ずっと嫌いだったんだ。今、この瞬間にそれがわかった。けれど、
「……あぁ、もう、そんなのどーでもいいから!俺はただ、レイラが欲しい。レイラと繋がれば、俺は俺自身を好きでいられる。今はそれしか考えられない」
と貪るように彼を抱きしめて、シャツの中、背中の皮膚に直接触れる。
「それは短絡的な愛し方だよ。本質的に自分を愛することにはならない」
彼の冷淡な声。それが俺の熱を冷ます。
「何だよ。愛を知った風に言って……。俺の愛を否定しないでよ」
俺は今にも泣きそうな声を出して、彼の首筋をなぞるように舐めた。これが俺の知ってる愛。一番、安心する愛し方。
「んっ、それは愛じゃない。性欲だ」
そんな正論が聞きたいわけじゃない。頭蓋骨にトンカチで常識という釘を打たれている気分になる。……反吐が出る。
「ううっ……ぷっ、あははっ!……死んでくれ」
腹の底から出た言葉だった。彼はそれを真正面から受け取ると、ボロボロとキラキラしたものを瞳から零した。そのキラキラが俺の胸に落ちると、そこに染みを作って、俺の黒さを浮き彫りにするようだった。
「ひっく……僕のことが、そんなに嫌いなのか?」
彼は短くなった蝋燭にまだ火が残っていることを願うように、俺にナイフよりも鋭い質問を向けた。ここで俺が冗談でも「嫌い」と言ってしまえば、きっとお互いのどちらかはもうこの世にはいられないだろう。そんな気迫だった。
「……はぁ、大好きだ」
白旗を上げて、再度、彼を抱きしめる。今度はガラス細工に触れるように優しく手を添えた。
「イル、君のせいで仕事に大遅刻だ」
彼は意地悪そうに微笑みながら、俺の腕の中でそう言った。
「はあ?俺のせいなのかよ。まあ、このまま離したくないんだけど……」
と彼を抱きしめる力を少し強めると、彼は頬を赤らめて、
「今日は仕事、休んでもいいかな……?」
と俺の胸に頬擦りをして甘えてきた。それが天使のような可愛さで、
「良いよ。今日は二人きりでずっと一緒にいよう」
とつい甘やかしてしまった。