ご主人様とソファに並んで座り、カフェラテを啜る。ありきたりなラブコメ映画が流れるテレビにあくびが止まらない。事の発端は、彼が「イルは恋愛を知らなさすぎる」と豪語したところから。俺はそんなことないと否定したが、彼が譲らなかったため、恋愛を知るためにこんな映画を見させられている。
「ご主人様、こんな長ったるいの見てられないよ。さっさとセックスしないかな、こいつら」
どーせ、尺の終盤でセックスするんだ。展開が読めてんのに、どう面白がればいいんだ。
「普通の人間は、そこに至るまでの過程を楽しむんだよ」
と彼の肩に置いた頭をそっと撫でられた。
「えー、意味わかんない。今すぐ舌入れてキスしろよ!」
なんて映画の登場人物にクレームを入れても、無論そんなことはしない。
「イルは女の子を口説く時、いつもそうしてるの?」
「あぁ、大抵はすぐヤレる」
と誇らしげに笑うと、それとは対照的に
「……そう」
とうつむき加減の暗い顔を見せられた。
「わかったぜ、ご主人様!こいつ、俺よりもブサイクだからそれができないんだ!」
ある真理に辿り着いたように、俺はそこに映る俳優を馬鹿にしながらそう言った。
「イル、その発言は醜いよ」
彼は冷淡にそう言うと、ブラックコーヒーを啜った。
「え?だって、早く愛し合えた方が幸せだろ?俺、何かおかしなこと言ってる?」
誰かと繋がれば、幸福になれる。そこに至る過程なんかどーでもいい。映画を見ていると、うずうずする。時間を無駄にしてるようで。
「君は愛撫を大切にしないタイプだろ」
彼はまた、俺の頭を撫でながらそう言った。
「ふふっ、馬鹿にするなよ。俺がどれだけの女を抱いてきたと思ってんの?」
それぐらい常識だ、と言わんばかりに笑った。
「肉体的な愛撫じゃない。精神的な愛撫だ。知らないだろ?」
幼い子供に優しく諭すような口ぶりだった。
「何それ?どーゆーこと??」
「んー、何もしなくてもこの人は僕から離れないとわかっているけれど、何かしてあげたくなる気持ちのこと、かな?」
彼は自信なさげに微笑んだ。けれど、彼の中での精神的な愛撫の定義はこれなんだろう。だが、俺はその定義に口を歪ませた。
「そんな人間は存在しない。人間はみな損得勘定で動いている」
と俺が彼の考えを否定しても、激怒することもなく、彼はただ俺の頭を撫でながら、憂いているような表情を浮かべた。
「イルの世界では、人間は、きっとそうなんだろうね……」
「俺は世界からそう教わった」
ハートフルな人間ドラマに心を震わせられて「あぁ、人間ってこんなにも素敵なんだ!」と幼い頃は人間に対して希望を抱いていた。けれど、大人になるにつれて、人間の優しさには裏があると知って、俺は人間に対して絶望してしまった。だが、その裏さえも飲み込んでしまえば、俺は優しさという甘さに辿り着けるんだ。俺はそうやって、人間と繋がってきた。
「だけど、世界は広がるよ!」
そう言った彼の微笑みは、キラキラしていた。そのキラキラが眩しくて、俺はつい目を細めてしまった。
「世界はどこも一緒だよ」
俺は悲観的に自分の世界に引きこもる。こんな腐った世界では、呼吸するにも息苦しい。
「じゃあ、僕がイルの知らない世界へと連れて行ってあげる!」
まるで不思議の国に連れて行く白うさぎのようだ。俺はその手を握って、大きな穴に一緒に飛び込みたくなるくらい、好奇心を揺すぶられた。
「お願い。俺をこの腐った世界から連れ出して」
と彼の手をぎゅっと握った。俺のその声には、この世界への悲しみと虚しさがいっぱいに詰まっていた。
「ふふっ、わかったよ。ついておいで」
彼は握った手をぐっと引っ張って、俺をソファから立たせると、不敵な笑みを見せた。そして、彼は俺の手を引きながら、その小さな身体で重たい玄関ドアを開いた。外はまだ昼間で、開いた玄関ドアの隙間から差し込む日光が、とても眩しかった。