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第18話 俺をこの腐った世界から連れ出して

ご主人様とソファに並んで座り、カフェラテを啜る。ありきたりなラブコメ映画が流れるテレビにあくびが止まらない。事の発端は、彼が「イルは恋愛を知らなさすぎる」と豪語したところから。俺はそんなことないと否定したが、彼が譲らなかったため、恋愛を知るためにこんな映画を見させられている。


「ご主人様、こんな長ったるいの見てられないよ。さっさとセックスしないかな、こいつら」


どーせ、尺の終盤でセックスするんだ。展開が読めてんのに、どう面白がればいいんだ。


「普通の人間は、そこに至るまでの過程を楽しむんだよ」


と彼の肩に置いた頭をそっと撫でられた。


「えー、意味わかんない。今すぐ舌入れてキスしろよ!」


なんて映画の登場人物にクレームを入れても、無論そんなことはしない。


「イルは女の子を口説く時、いつもそうしてるの?」


「あぁ、大抵はすぐヤレる」


と誇らしげに笑うと、それとは対照的に


「……そう」


とうつむき加減の暗い顔を見せられた。


「わかったぜ、ご主人様!こいつ、俺よりもブサイクだからそれができないんだ!」


ある真理に辿り着いたように、俺はそこに映る俳優を馬鹿にしながらそう言った。


「イル、その発言は醜いよ」


彼は冷淡にそう言うと、ブラックコーヒーを啜った。


「え?だって、早く愛し合えた方が幸せだろ?俺、何かおかしなこと言ってる?」


誰かと繋がれば、幸福になれる。そこに至る過程なんかどーでもいい。映画を見ていると、うずうずする。時間を無駄にしてるようで。


「君は愛撫を大切にしないタイプだろ」


彼はまた、俺の頭を撫でながらそう言った。


「ふふっ、馬鹿にするなよ。俺がどれだけの女を抱いてきたと思ってんの?」


それぐらい常識だ、と言わんばかりに笑った。


「肉体的な愛撫じゃない。精神的な愛撫だ。知らないだろ?」


幼い子供に優しく諭すような口ぶりだった。


「何それ?どーゆーこと??」


「んー、何もしなくてもこの人は僕から離れないとわかっているけれど、何かしてあげたくなる気持ちのこと、かな?」


彼は自信なさげに微笑んだ。けれど、彼の中での精神的な愛撫の定義はこれなんだろう。だが、俺はその定義に口を歪ませた。


「そんな人間は存在しない。人間はみな損得勘定で動いている」


と俺が彼の考えを否定しても、激怒することもなく、彼はただ俺の頭を撫でながら、憂いているような表情を浮かべた。


「イルの世界では、人間は、きっとそうなんだろうね……」


「俺は世界からそう教わった」


ハートフルな人間ドラマに心を震わせられて「あぁ、人間ってこんなにも素敵なんだ!」と幼い頃は人間に対して希望を抱いていた。けれど、大人になるにつれて、人間の優しさには裏があると知って、俺は人間に対して絶望してしまった。だが、その裏さえも飲み込んでしまえば、俺は優しさという甘さに辿り着けるんだ。俺はそうやって、人間と繋がってきた。


「だけど、世界は広がるよ!」


そう言った彼の微笑みは、キラキラしていた。そのキラキラが眩しくて、俺はつい目を細めてしまった。


「世界はどこも一緒だよ」


俺は悲観的に自分の世界に引きこもる。こんな腐った世界では、呼吸するにも息苦しい。


「じゃあ、僕がイルの知らない世界へと連れて行ってあげる!」


まるで不思議の国に連れて行く白うさぎのようだ。俺はその手を握って、大きな穴に一緒に飛び込みたくなるくらい、好奇心を揺すぶられた。


「お願い。俺をこの腐った世界から連れ出して」


と彼の手をぎゅっと握った。俺のその声には、この世界への悲しみと虚しさがいっぱいに詰まっていた。


「ふふっ、わかったよ。ついておいで」


彼は握った手をぐっと引っ張って、俺をソファから立たせると、不敵な笑みを見せた。そして、彼は俺の手を引きながら、その小さな身体で重たい玄関ドアを開いた。外はまだ昼間で、開いた玄関ドアの隙間から差し込む日光が、とても眩しかった。

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