知ってしまった。知らない世界を二人で見ようとしたそこで、俺の知らないご主人様を知ってしまった。俺は彼にポテトを投げつけて、逃げるように離席した。
「イル、どうしたの?待って!」
足早に店から出て、俺達のボロアパートとは反対方向。知らない道をただ黙って突き進んでいく。そんな早足で歩く俺を彼は駆け足で追いかけてくる。
「イル、待ってって言ってるじゃん!」
ついには彼に捕まってしまった。彼が俺の手首を力強く握っている。
「もう良いよ。こんな茶番劇、もうやめよう?」
彼はプロファイリングされた俺の資料を見て、俺が何を求めているかを学んで、まるで理想のご主人様かのように演じていたんだ。俺はそんな彼に弄ばれていたんだ。
「どういうこと?何が茶番劇なの?」
そんな惚けたような反応に嫌気がさす。
「お前は、セックスしてくれない以外は俺の理想のご主人様だ。そりゃそうだろなぁ、そう見えるように演技してるんだもん」
俺はおちょくるように彼の顎先を人差し指で撫でた。
「演技なんかじゃない!!僕は本当にイルのことを……」
その上目遣いの潤んだ瞳に、つい騙されそうになってしまう。そんな甘い自分は殺して、
「あぁ、それもマニュアル通りの言葉だろ?」
ってばっさりと貶した。
「イル、少しは僕の話も聞いてくれ」
と懇願されたが、傲慢な俺は聞く耳なんて最初から持ち合わせていない。
「ご主人様ってさあ、俺の命を握って逃げられなくさせてるけど、背中が怖いからずっとホルスター付けてるよね。それってさ、信用してないって証拠だよね」
と冗談で彼の拳銃に手を伸ばすと、彼は一歩下がってその手を躱す。
「そんなことない!じゃなきゃ、一緒に寝たりなんかしないだろ?」
彼は震える声で嘘を繕ってる。その言葉は、薄っぺらい。
「俺、気づいちゃったんだ。寝ているご主人様の横顔を見て。きっと、ご主人様の心臓が止まった時、俺の心臓も止まるって」
図星を突かれたように、彼はしばらく黙っていた。俺はそんな彼を見て、やっぱりな、とほくそ笑んだ。
「……でも、僕はイルのことを愛している。一緒に死んでもいいと思えるくらいに」
一見、綺麗に聴こえるその言葉に、俺は騙されないように斜に構えて、斜めからナイフで切り込む。
「ただこの世界にご主人様も絶望してるだけだろ?」
きっと、彼も俺と同じで、死にたくはないけれど、この世界で生きていたくもないんだ。それくらい、命の価値が軽いんだ。
「いいや、イルが生きているこの世界は美しいよ」
そう嘘ついて、俺を懐柔するかのように抱き締めてこようとするから、その胸を押して突き飛ばした。
「美しくなんかない!!こんな腐った世界では、汚れたものが正義なんだよ!!!」
人間を殺すようになってから、ふと死体の横で煙草を吹かしながら考えることは、いつもこれだった。殺人、セックス、酒、煙草、自傷。全部、俺自身を汚す行為だ。だけど、それらだけが俺をこの世界で生きやすくしてくれる。
「僕はずっと、孤独なんだ……」
彼は俺の小指を軽く掴んで、また俺の知らない自身の話をし始めた。
「僕は幼い頃、両親を事故で亡くしたんだ。トラックドライバーの飲酒運転が原因だった。その時、僕は初めて両親と遊園地へと行った帰りだったんだ。夢のような時間の後に、一生涯、脳裏に焼き付いて離れない悪夢を見させられた。あれがただの悪夢だったら、どれほど良かっただろうね。血塗れになった両親が最期の力を振り絞って、僕に『愛してる』って言ってくれたこと、今でも鮮明に覚えている」
伏し目がちに声を震わせながら語る彼の目から、涙がキラリと零れた。
「レイラ、無理に話さなくていいよ」
俺は突き飛ばして拒否しておきながら、そんな弱々しい彼をどうにかして抱き締めたくなってしまった。でも、この身体は硬直したように動かない。
「そのトラックドライバーね、懲役12年になったんだ。僕の両親を殺したそいつは、今もこの世界でのうのうと生きている。sh*t、ふざけんなっ!!僕はこんなにも醜くてどす黒い殺意を抱えて生きているのに、あいつは……僕の両親の顔すらも、きっと覚えていない……」
歯軋りをしながら、腹の底に抱えた感情を吐き出した彼の嘆きが、俺に何十発もの銃弾をくらわせたように俺の心をオーバーキルしていた。だって、俺はその加害者側なんだもん。
「俺がそいつを殺せば、ご主人様は俺のことを愛してくれる?」
たぶんこれが、彼の優しさの裏にある欲望だ。
「……イルに、そんなことはさせられない」
理性で欲望を抑え込んでいる人間の顔をしていた。
「俺は、欲望に流されることが、そんなに悪いこととは思わない」
そう俺の主観的な意見を述べて、彼の頭を撫でると彼は情けなさそうに笑った。
「……ふふっ、僕はダメだなあ。どんなに優秀な武器を手に入れても、僕の良心のセーフティがそれを邪魔する。殺したい奴なんか、たくさんいるんだけどね!」
そう自暴自棄になりながら笑う彼が、とっても痛々しかった。
「殺したくなったらいつでもいってね」
そんな慰めの言葉をかけることしかできなかった。
「けれど、イルだけだよ。こんなありのままの僕を見ても、引かないでいてくれるのは」
「俺はご主人様の犬だから」
それに俺が逃げたら、彼はスイッチ一つで俺を殺すだろうから。
「あぁ、本当に愛らしい犬だね!僕はイルと一緒だと、孤独じゃなくなる気がするんだ」
いつものようにわしゃわしゃと俺の髪の毛を撫でて、テンション高く俺を可愛がる彼は、きっと人間関係を築くのが下手くそなんだろう。そんなところも、可愛くていじらしい。
「それは、俺が『イル・ディラスト』だからだね」
誇らしげにそう名乗った。俺は愛のある死神であり、カミナリレイラの飼い犬だ。