彼の過去を知って、俺はもっとご主人様の虜になっていた。今まではセックスしてくれない以外はただの理想のご主人様だったけど、今ではセックスしてくれない以外の理想のご主人様を演じてくれている、この腐った世界で理不尽な目に遭い、俺と同じような痛みを知っているご主人様になった。ご主人様の痛みが俺の過去の痛みと重なって共鳴して、孤独じゃないんだと思わせてくれる。そんな人間味のあるご主人様が、大好きだ。
「ご主人様ぁ、何かすることなーい?」
という甘い声を出して、彼を誘惑する。俺は家に帰ってきた瞬間、彼に後ろから抱きついて、そこからずっと離れずに付き纏っていた。
「イル、どうしたの?さっきから甘えて、」
彼はゆっくりと俺の髪を撫でる。俺はその手を取って、彼の指先を自分の唇へと置くと、軽く甘噛みをした。
「俺、ご主人様の飼い犬で、すげぇ良かった。ご主人様にもっと俺の愛情を知って欲しい」
と耳元で囁くと、彼は手を引っ込めて、
「イルの愛情は、性愛だから嫌だ」
って口ではきっぱりと断るが、耳は真っ赤にするんだ。可愛らしい。
「えー、だけど俺、ご主人様に何かしてあげたいんだ。ご主人様はこれを『精神的な愛撫』だって言ってたよね?」
と言って、彼の胸を服の上から揉むように触った。
「ふふっ、イルは一刻も早く僕と繋がって、安心感を得たいんだよね!」
彼はわかっているようにほくそ笑んで、胸を揉んでいる俺の手を止めようと、そこに自分の手を重ねて置いて、指同士を絡めていく。
「違うよぉ。俺は、ご主人様と愛し合いたいだけ!」
とその頬にキスをした。彼は俺のことを愛しているようなフリをしているから、俺の愛情は彼には届かない。
「……大丈夫。もう愛し合ってるよ」
と言い、彼は俺の腕の中から逃げた。
「愛してなんか、いないくせに……」
苦し紛れの言葉を投げつけて、俺は煙草を手に取った。こいつだけは変わらず俺の傍にいてくれる。って火を付けた。
「でもさ、愛って、証明するものでもないと思う……」
彼は愛を強要していた俺に向かって、そんな寂しい言葉を投げ返してきた。
「それじゃあ、愛が何だかわかんないじゃん」
「それでも、愛されてるってわかる瞬間が、きっとあるんだよ」
そんなの知らない。支配して、従わせて、殺して、初めて、愛されてたってわかるんだ。その喪失感が俺の中での愛の証明なんだ。
「ご主人様はたぶん、愛されて育ったんだね」
俺はそんな彼に嫉妬してしまって、その顔に煙を吹きかけた。
「幼少期のイルは愛を知らなかったのかもしれない。でも、これからのイルは君自身で選んでいけるんだ」
彼はそんな俺を嫌煙することなく、俺の頬を撫でた。そんな綺麗な彼を汚したくもなったが、俺の将来に賭けたくもなった。
「……愛されたいよ、いっぱい愛されたい。ご主人様、俺はどうすればいい?」
彼に縋るように抱きついた。
「じゃあ、今夜は一緒に晩御飯を作ろうか」
そう、背中を撫でられて、俺は彼とともにキッチンに並んだ。