午後十一時頃から、異音が始まった
最初は屋根の上を何かが這い回るような音だった
次に壁を引っ掻く音
そして窓ガラスを叩く音
「来てる・・・化け物が来てる」
美咲は健にしがみついて震えていた
音は次第に激しくなった
まるで複数の化け物が旅館を取り囲み、侵入の機会を窺っているかのようだった
時折、人間とは思えない唸り声も聞こえてきた
午前一時、ついに『それ』は姿を現した
大広間の障子戸が静かに開き、そこに立っていたのは先日健たちを襲った化け物だった
しかし今夜のそれは、さらに恐ろしい姿をしていた
顔の右半分が腐敗したように崩れ、そこから膿のような液体が流れ出ていた
髪は以前よりもさらに長くなり、まるで生き物のようにうねっていた
「うわああああ!」
由紀の悲鳴が響いた
化け物はゆっくりと部屋の中に入ってきた
その足音は湿った音を立て、歩いた跡には黒い液体の足跡が残った
そして、集まった人々を見回すと、不気味な笑みを浮かべた。
「誰から殺してやろうか・・・」
化け物が人間の言葉を発したことに、全員が恐怖した
その声は複数の人間の声が重なったような、異様な響きを持っていた
田村巡査が拳銃を抜いた
「動くな!」
しかし化け物は笑った
「人間の武器など・・・我には通用せぬ」
田村巡査が発砲した
弾丸は確実に化け物の胸を貫いた
しかし、化け物は全く動じなかった
胸に開いた穴からは血ではなく、黒い煙のようなものが立ち上った
「無駄だ」
化け物は田村巡査に向かって手を伸ばした
その爪が巡査の首に触れた瞬間、巡査の体が宙に浮いた
そして、壁に激しく叩きつけられた
「田村さん!」
源蔵が駆け寄ったが、巡査は既に息絶えていた
首の骨が完全に折れていた
化け物は次の標的を選ぶように、残された人々を見回した
その視線が橋本雅子に止まった
「お前の息子は・・・我の怒りを買った・・その報いを受けよ」
雅子は恐怖のあまり立ち上がることもできなかった
化け物が彼女に近づいていく
橋本清が、妻を庇い、化け物から守り
健が立ち上がり
「やめろ!」
健は近くにあった仏壇の線香立てを掴んだ
まだ燃えている線香があった
彼はそれを化け物に向かって投げつけた
線香の火が化け物に触れると、それは先日と同様に苦悶の声を上げた
「火が・・・聖なる火が・・・」
化け物は後退したが、完全に消えることはなかった
代わりに、より一層憤怒の表情を浮かべた
「小賢しい・・・だが、もはや逃れることはできぬ」
化け物は再び姿を消したが、その声は部屋に響き続けた
「明日の夜・・・必ず戻ってくる。そして今度こそ、お前たち全員を殺してやる」
残された人々は、絶望の淵に立たされていた