「質問の答えだけど、知ってるよ。彼女はイージス神聖王国の聖女だ。その菫色の瞳が、何よりの証」
ノエルは淡々と告げると、自身の指に嵌っている指輪の石を全員に見せるように動かす。それはルーチェの瞳と同じ色だ。
「イージスの聖女は、代々黄金色の髪と菫色の瞳の少女だから」
「聖王とやらは」
「聖王様は……僕がお会いしたことがあるのは一人だけだから、断言はできないけど。同じく黄金色だと思う」
ヴィルジールは「そうか」と吐くと、テーブルの下で長い脚を組んだ。
これでルーチェが聖女であることは確かなことになった。それも、各国で稀に生まれる聖女ではなく、特異な力を持つとされるイージス神聖王国の聖女だ。
ノエルがグラスを傾ける。先ほどまでルーチェを観察していたようだったが、今は安堵したような、何かが解けたような──和らいだ表情だ。
「聖女が生きていたということは、聖王様もご無事のはずだ」
どういうことだと、ルーチェはノエルの顔を凝視した。
「聖王様は、私があやめてしまったのではないのですか?」
「誰がそんなことを?」
ノエルが机を叩いて立ち上がる。その時の音に驚いたルーチェは、びくりと肩を揺らしたのちに、視線を手元へ落とした。
「……皆が言っていたのです。この国に避難していた、イージスの民たちが」
ルーチェは弱々しい声で吐ききると、ぎゅっと唇を噛み締めた。
イージスの民。かつてルーチェが過ごしていた国で、聖王とともに庇護していたはずの存在。亡国の民となってしまった彼らは、ルーチェがひとり帝国の街に足を踏み入れた時、口を揃えてこう言っていたのだ。
どうして生きているのか。お前のせいで。お前が聖王をころした、国も消した、と。
そして、のちに現れた光の竜も言った。──その聖女は大罪を犯した、とも。
ここまで言われた身で、そんなはずはないと言い返せるわけがないのだ。
「聖女」
ノエルの凛とした声が響く。霧を払うような澄んだ声に、視線を持ち上げられずにはいられない。
「聖王と聖女は比翼の鳥だ。どちらかが欠けると、もう片方も死ぬ。だから聖女が生きているなら、聖王様も生きている」
「それは確かなことなのか?」
声を発せずにいるルーチェに代わるように、ヴィルジールが問い返す。真摯な眼差しで頷き返したノエルは、右手をじっと見つめていた。
「イージスの文献で読んだことがある。それに、聖王様も言っていた。聖女が死んだら、自分も死ぬと。だから……どこかで生きているはずだ」
ノエルが伏せた瞼に、長い睫毛が揺れる。美しい黄金色をルーチェは見つめていたが、その向こうで顔も名前も分からない人に想いを巡らせていた。
式典の夜に密やかに行われたこの会は、ノエルの言葉を最後に幕が降りた。ノエルは客間へ、エヴァンとアスランは仕事の続きに、ヴィルジールは執務室へ。
ひとり残されたルーチェは、ほどなくして迎えに来てくれたセルカと共に、離宮へと向かって歩いていた。
これで、ルーチェの肩書きは確かなものとなり、亡くなったと思っていた聖王の生死に希望の光が差し込んだ。
自室に戻ったルーチェは、入浴後にひと息ついてからテラスに出た。満天の星空を眺めながら、ゆっくりと呼吸を繰り返す。
(──あなたは、どこにいるのですか)
命運を共にする聖女が生きているから、きっと生きているとノエルは言った。ならばこの同じ空の下、どこかで息をしているのだ。
ルーチェのように記憶を喪い、彷徨っていたりしていないだろうか。手を差し伸べてくれた人はいるだろうか。震えるような想いをしていないだろうか。
声も顔もぬくもりも思い出せない人のことを想いながら、ルーチェは一雫の涙をこぼした。
胸に込み上がってくるこの想いに、名前を付けるとしたら。それは悔しさに似たもので、怒りや悲しみも混じっている。それでいて果てのない感情に振り回されているのだと実感した時、両の目からはただただ涙があふれていた。
(知りたい。イージスに何があったのか。聖王様はどこにいるのか。私の力の使い方もっ…)
ルーチェはいくつもの願いを空に掛け続けた。両手で自分の身体を抱きしめながら、ひたすらに。応えてくれる星の光も人の声もないけれど、それでも願わずにはいられない。
全てを忘れてしまった自分に、今から出来ることはあるだろうか、と。
ルーチェはその場にずるずるとしゃがみ込んだ。目の先の白色の石床には、無数の涙の跡がある。
泣いたってどうにもならないことくらい、分かっていた。だけど、今のルーチェには何が出来るのか、いくら考えてもそれすら分からないのだ。
地面に縫い付けられたように動けなくなっていた、その時。冷たい風に頬を撫でられたような気がして、ルーチェは少し顔を上げた。
「………え…」
ルーチェは人影を見つけて、目を丸くさせた。
白い柵の向こう──この離宮の門の向こうに、誰かが立ってこちらを見上げている。重い腰を上げ、柵に手をつきながら半身を乗り出して目を凝らしてみると、その姿が鮮明に映った。
深い青色の瞳に、見つめられている。前髪が下りている所為だからか、表情が暗く見える。
ルーチェは囁きのような声で、星空の下にいる人の名を呟いた。