目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第25話


 その日、ルーチェは調べ物をするために、城内にある大きな書庫を訪れていた。


 魔法やイージスに関する本はあるかとセルカに尋ねたところ、それならばと案内してくれた場所が書庫だった。ここには様々な国から取り寄せられた、あらゆる分野の本があるらしい。天井までびっしりと並ぶ本棚を見回しながら、ルーチェはゆっくりと息を吐いた。


「この中から探すのは大変ですね」


「だったら僕が手伝おうか?」


 セルカとルーチェしかいないはずの空間に、聞き覚えのある声が響く。後ろを振り返ると、ノエルが腕組みをしながら扉の傍に立っていた。


「ノエルさん…!」


 光の色の髪に、宝石のような碧色の瞳。少女と見間違うほどに美しい顔をしている少年は、ルーチェと目が合うとニッと勝ち気に微笑んだ。


「やあ、聖女。あれから元気にしてた?」


「ええ、元気です。ノエルさんは?」


「まあまあ元気。ここの氷帝さんはびっくりするくらい人使いが荒いね。毎日こき使われてるよ」


 ノエルは肩をすくめると、ケープマントを靡かせながら、ルーチェの側に歩み寄ってきた。彼の襟元ではオヴリヴィオ帝国の紋章の飾りが光っている。


 以前会った時は、その胸元には黄金の月の模様があった。今思えば、あれがマーズの紋章なのではないだろうか。


 かつてルーチェがいた国──イージスのものではないということだけは、不思議と断言できる。


「それで、何の本が欲しいの?」


「魔法、と……イージスに関するものが読みたいです」


 ノエルは頷くと、ゆっくりと右手を挙げ、指先に光を纏わせた。そして、そのまま素早く右に動かす。次の瞬間には、するりするりと本がいくつか棚から抜け、机の上に積み重なっていった。


「す、すごい…」


 ルーチェは感嘆の息を漏らした。ノエルの魔法を見たことは何度かあったが、やはり奇跡と神秘の塊だ。 


 ノエルの指先に導かれるようにして、本のページがぱらぱらと捲られていく。その様をルーチェは目を輝かせながら見ていた。


「変わらないね。そういうところ」


 ノエルがこぼれるように笑う。魔法で取り出した本のうちの一冊をルーチェに差し出すと、風に遊ばれた髪を一房耳にかけた。その拍子に、菫色のイヤリングが揺れた。


「貴女は僕が魔法を見せるたびに、すごいすごいって…手を叩きながら、子供みたいに喜んでたな」


「私が、ですか?」


「そうだよ。お転婆で、泣き虫で……いつも笑ってた」


 ルーチェは開きかけた唇を閉じ、ノエルに渡された本を胸の前で抱きしめた。


 ノエルは記憶を失う前のルーチェのことをよく知っている人だ。世界で二番目に知っていると言っていた彼の口から聞かされた以前の自分は、今よりも随分子供っぽいようだ。


「そう…なのですね。私はノエルさんから魔法を教わっていたのでしたね」


「うん。聖女の力と魔法は別物でね。貴女は人を癒すことはできても、魔法に関しては全く駄目で……それで、聖王様が僕を呼び寄せたんだ」


 遥々マーズからね、とノエルは声を弾ませると、ルーチェが抱きしめる本に触れてきた。


 本越しに、何かが伝わってくる。淡い光を纏うノエルの手が、柔い熱とともに何かを送ってきた。


 それが何なのかは分からなかったが、本を通じて送られたそれは、ルーチェの胸の奥深くに沁みるように広がっていく。


「……あたたかい…」


 ルーチェは目を閉じた。ノエルが何をしたのかは分からないが、このあたたかい光を知っているような気がした。


「その光は聖王様から授かったものだよ。邪なるものを祓う、導きの光」


「導きの、光…」


「同じ力を、貴女も使えるはずだ。聖なる光の力に、魔力は使わない。これは魔法ではないから」


 魔力を喪ったルーチェは、魔法を使うことができない。だが、これは魔法ではないから、ルーチェでも使えるという。


 ルーチェは瞼を開け、ノエルの目を見つめ返した。


「この力は、聖女の力と同じなのでしょうか」


「聖女の力も、聖王の力も、ともに聖者の力とマーズでは呼ばれている。その力は闇を祓い光を生む、特別なもの。僕は加護を授かった時に、一片である導きの光を得たけれど、聖女である貴女はそれ以上の力を使えるはずだ」


 ルーチェはヴィルジールの傷を癒し、辺りに光の粒子を降らせた時のことを思い出した。


 あの時、ルーチェは魔力を喪っていたというのに、魔法のような力を使うことができていた。ノエルの言葉からすると、あれは魔法ではなく聖者の力だったのだろう。


「……ノエルさんはどのようにして、その力を使うのですか?」


 ノエルはルーチェが抱える本から手を離すと、ルーチェとの距離を詰めるように間近にやってきた。


「なら、目を閉じて」


「は、はい」


 言われた通りに目を閉じると、まわりの空気が何かをささやきかけるように揺れだした。胸の奥に灯る熱が、ぶわりと全身に広がっていくのを感じる。


 あたたかくて、懐かしくて、けれども切ない。この感じを、ルーチェは知っている。


「今から僕が言うことを、よく聞いていて」


 こつん、と額と額が合わさる感触がして、ルーチェは思わず息を呑んだ。


「触れて、想って──そして光を求めよ。聖王様はそう仰った」


「………っ!」


 聞き覚えのある言葉に、ルーチェは喉を鳴らした。


 ──触れて、想って。遠ざかんとする光を求めて。


 それは、もう誰も失いたくないと願った時に聞こえた言葉だ。相手に触れ、その人を想い、光を求めなさい──と。


 そしてその声は、光で満ちた世界で目にした、美しい青年と同じもの。


「……そのことばを、聞きました。ヴィルジールさまの手を握った時に」


 ルーチェの頬にノエルの手が添えられる。鼻先にかかった吐息がくすぐったくて、ルーチェは反射的に目を開けてしまった。

 同じように、ノエルも目を開けていた。


「きっと、聖王様だろうね。貴女を導いているんじゃないかな」


「……ならば私は、聖女としての力を取り戻し、お捜ししなければなりませんね」


 きっとどこかで生きている、聖女であったルーチェと命運を共にする聖王。片翼である彼は今、何処にいるのだろうか。


 その行方を知るためには、ルーチェが力を取り戻すことが鍵となるに違いない。そう直感が告げている。


 ノエルの身体が離れる。少し後ろに下がった彼は、静かな微笑みを浮かべながら、ゆっくりと頷いた。


「淑やかな今の貴女も良いけれど、僕は前の貴女にも会いたいな。木登りしてドレスを引っ掛けて、聖王様に怒られてた」


「木登り…?私がですか?」


「他にも色々あるけど、聞きたい?」


 ルーチェはくすくすと笑いながら、首を左右に振った。


「お気持ちだけ頂きます。…また、教えてください。私や聖王様のこと、イージスのことも」


「もちろん。暫くの間、仕事でこの国に滞在してるから、いつでも声を掛けて」


「ありがとうございます。ノエルさん」


 ルーチェは深々とお辞儀をしてから、積まれた本を数冊持ち上げ、書庫を後にした。


この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?