目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第26話


 書庫を出たルーチェは、離宮へと向かう途中にあった庭に寄り、草の上に腰を下ろした。天気が良いから木の下で読書をしようと思ったのだ。


 敷物を敷いてくれたセルカが、読むのを後回しにしている本を抱えながら、軽く頭を下げる。


「後ほどお飲み物と軽食をお持ちいたします」


「ありがとうございます、セルカさん」


 ルーチェはセルカを見送り、ノエルが一番最初に選び取った本を手に取った。


(ええと、これは……聖者に関する本なのね)


 背には【聖者】とだけ書かれている。表紙を捲ると、人と翼のある生き物が額をくっつけ合わせている絵が描かれていた。


 これはつい先ほど、ノエルがルーチェにしてきたことに似ているように思う。


(──聖者は、聖獣に選ばれた特別な存在である。……聖獣って?)


 見慣れない単語に、ルーチェは首を傾げた。魔獣は知っているが、聖獣とは何だろうか。次のページを捲ると、表紙と似た絵とともに、こう記されていた。


 【──聖獣は、聖者を選ぶ。聖獣に選ばれ、誓約を交わした者が聖者である。聖者と聖獣の縁は、魂が滅ぶまで有効である】


 ルーチェは挿絵をじっと見つめながら、言葉の意味を考える。


 要約すると、聖女も聖王も聖獣というものに選ばれた者であり、両者は魂が滅ぶまで共に在る──ということだろうか。


 次に読んだイージスに関する書には、イージスは霊獣と人が共存する国であること、霊獣は気高く神々しい獣であり、聖者と誓約を交わした霊獣が聖獣と呼ばれる、と記されていた。


 ともすると、その存在はルーチェの傍にも居たということになる。ルーチェを選んでくれた聖獣は、どんな姿をしているのだろうか。無事でいるのだろうか。


 夢中になって読み耽っていると、目の先にあるガラスの扉が開いた。現れたのはヴィルジールだ。


「……ルーチェ?」


「ヴィ、ヴィルジールさまっ…?」


 ルーチェは慌てて立ち上がり、服の裾についた葉を手で払い落としてから、お辞儀をした。


 ヴィルジールは仕事の途中で抜け出してきたのか、きっちりとした格好をしていた。白銀色の髪は前髪を左右に分けるようにセットされ、タイの結び目には金とサファイアの装飾が光っている。ジャケットは置いてきたのか、シンプルなブラウスに品の良いベストを合わせていて、すらりと伸びる脚がよく見えた。


「いらっしゃるとは思わず、失礼をいたしました」


「それはこちらの台詞だ」


 ヴィルジールは口元を和らげると、ルーチェの目の前まで歩み寄ってきた。


 それから、ルーチェはヴィルジールと少しだけ話をした。皇帝である彼ならば、色々なことを知っているだろうと思い、その知識に肖ろうとも思ったのだが──その図々しい願い事は、すぐに胸の内で留めた。

 ヴィルジールの顔色が悪く見えたからだ。


 顔を覗き込むと、夢見が悪かった所為かもしれないと語った。だがどんな夢だったのかは、よく分からないと言う。


 熱の有無を確かめるためとはいえ、許可もなくヴィルジールの顔に触れたルーチェは、すぐに我に返り、滑るように手をついて謝った。だがヴィルジールは怒ることも責めることもしないどころか、“肩を貸せ”と言った。


 恐る恐る体ごと寄せると、ヴィルジールの頭が肩にこてんと乗る。その重みと熱に、くすぐったいような、恥ずかしいような気持ちがあふれ、思わず両手で胸の辺りを押さえていたルーチェだったが、時間が経つにつれ呼吸は落ち着いていった。


 だが、胸の鼓動だけは忙しなく動き続けていた。

 眠るヴィルジールを起こさないよう、ルーチェは静かに読書をしていたが、二冊目を読み終えた辺りで睡魔に襲われた。


 ここで自分が寝て、身体が傾こうものならば、ヴィルジールの休息を邪魔してしまうかもしれない。だから頑張って起きていなければと思い、頬や手の甲を抓ったり、魔法学の本を開いてみたりと色々試みてみたが、どれも睡魔に勝つことはできなかった。



 ──細くしなやかな手から、本が滑り落ちる。その音でヴィルジールは目を開けた。


「…………ルーチェ」


 返事の代わりに聞こえてきたのは、規則正しい寝息だった。ルーチェの肩を借りて、ほんの少しの間だけ目を閉じていただけのつもりだったが、どうやら寝入ってしまっていたようだ。

 その証拠に、今朝から続いていた頭痛が治っている。


 ルーチェに預けていた身体を動かすと、隣で眠っているルーチェの身体がヴィルジールへと傾いた。


 ヴィルジールは反射的にその身体を抱き止め、自分の膝の上に頭を乗せてやった。しかし、そこからどうしたらいいのか分からない。


 すやすやと眠るルーチェは、いい夢でも見ているのか、とても安らかな顔をしている。


 ヴィルジールはルーチェの寝顔を見下ろしながら、ゆっくりと息を吐ききった。


 白銀色に染まったルーチェの髪が、風に揺られている。艶やかなそれに指を絡ませてみると、思った通りの感触だった。


 滑らかで、柔らかい。ならばこちらはどうだろうか──と、ヴィルジールは顔へと手を伸ばす。


 だがその手前で、ぴたりと手を止めた。


(……俺は今、何を?)


 ヴィルジールはルーチェの顔の上に翳した手をすぐに引っ込め、代わりに自分の前髪を掻き上げた。乱れた前髪をエヴァンが見たら、来客があると伝えたのに──と、怒るに違いないが、今はそんなことを気にしている場合ではない。


 なぜ、この指先はルーチェの髪を掬い、さらに頬にまで触れようとしていたのか。


 ヴィルジールは暫くの間、自分の手をじっと見つめていたが、ルーチェがもぞもぞと動いたので、慌てて手袋を嵌めた。


この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?