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第32話


 目を開けると、見慣れた天井が視界いっぱいに映った。


 セシルに担がれるようにして、自室に戻ってきた記憶はある。その時、何故か傍らにルーチェが居たことも。


 ゆっくりと身体を起こすと、ベッドの右側にルーチェが突っ伏していた。今もなお感じる熱を辿るように右手を見ると、ルーチェに握られている。どうやらヴィルジールの右手を握ったまま眠っているようだ。


(………光を灯した者がまことの聖女、か)


 ヴィルジールはルーチェの手を握り返した。そして、反対側の手を伸ばして、ルーチェの髪にそっと触れる。


 ソレイユと同じ、白銀色の髪だ。だがルーチェの髪は元は別の色だった。ヴィルジールの傷を癒した時に、彼女の髪は今の色に染まった。


 初めてルーチェを見た日のことを思い出す。両手を後ろで縛られ、床に転がされていた時のことを。


 あの日、あの時──ルーチェの髪色は、ヴィルジールの目には黒色に映っていた。それは夢に出てきたソレイユが髪色を変え、消えてしまったあの瞬間と重なる。


「……ひとつも似ていないのに、あの日のお前と重なって見えたのは、何か意味があるのか」 


 ヴィルジールは目を閉じた。


 夢の中で少年が見たソレイユは、必死に訴えているようだった。そして剣ともう一つ、布に包まれた何かを少年に渡し、髪色は変わり──彼女は消えた。


 ソレイユとルーチェ。ふたりの共通点は聖女であることと、髪色が変わったことだけだ。ただそれだけなのに、二人が並んだ姿が頭にこびりついて離れない。


 色々なことを考えていると、急に右手を握る指先がぴくりと動いた。どうやらルーチェが目を覚ましたようだ。


 ルーチェはゆっくりと顔を上げると、真っ先にヴィルジールの顔を見つめた。そして、大きな丸い瞳をさらに大きくさせた。


「……ヴィルジールさまっ!」


「何だ」


「何だじゃありません。心配したのですよ」 


 ルーチェは怒ったような口調だったが、その目元はほっとしたように和ませていた。


「悪かったな」


 ヴィルジールは室内をぐるりと見回した。こういう時、真っ先に引っ付いてくるエヴァンの姿が見えない。心配性な弟の姿もなく、どうやら今はルーチェとふたりきりのようだ。


「………あ…」


 ルーチェが右手に視線を落とし、顔を赤くさせたり青くさせたりしている。するりと抜けそうになったルーチェの手を掴み、もう一度握り直すと、ルーチェがぱっと顔を上げた。


「ヴィルジールさま?」


 潤む菫色の瞳に映る自分は、そんな表情をすることも出来たのかと問いたくなるくらいに、不思議な顔をしていた。


「ずっと、握っていたのか」


 ルーチェは恥ずかしそうに顔を俯かせてから、こくっと小さく頷いた。


「力の使い方を、ノエルさんに教わったのです。そのために」


「触れれば使えるのか?」


「いいえ。触れて、その相手を想い、光を求めるのだそうです。…以前にも、同じことをヴィルジールさまにいたしました」


 マーズの大魔法使いであるノエルは、イージス神聖王国に数年滞在していたことがある。ルーチェのことをよく知るノエルならば、記憶を取り戻す手伝いが出来ると思い、他の理由をこじつけて国に招いたのだが。

 どうやらその甲斐があったようだ。


「俺にも使えるか」


「分かりません。この力は魔法ではないのです」


 ルーチェは語った。聖女の力というのは、マーズでは聖者の力と呼ばれていること、魔力を失った自分でも使えるとノエルに教えてもらったこと。それから具体的な方法を、恥ずかしそうに──けれども嬉しそうに語ると、笑顔をこぼした。


 触れて、その相手を思い、光を求める。


 聖女でもなければ、聖者とやらでもないヴィルジールにも、出来るだろうか。


 ヴィルジールはルーチェの頭の後ろに手を添え、自分の顔を近づけ、ルーチェと額を合わせた。


 ルーチェがひゅっと息を呑む。これでもかというくらいに、目を大きくさせている。


「……心の中で名を呼んでみたが、何も起こらないな」


「……っ、ヴィ、ヴィルジール、さま…」


 声にならない悲鳴を上げるルーチェの吐息が、ヴィルジールの鼻を掠める。


 菫色の瞳は泣きそうに揺れていたが、顔は茹でたもののように真っ赤に染まっていた。


 ヴィルジールは微笑った。ルーチェがくれた優しい光を呼び起こすことは出来なかったけれど、見たこともない顔をさせることが出来たのだ。


 今度は左胸に、熱が灯るのを感じた。

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