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第46話


 イージス神聖王国。今は亡き国となった聖王の名は、ファルシ。正式なものは分からないが、かの人は生きている。居場所は定かではないが、意識を向けると、彼の胸の鼓動の音が聞こえるとルーチェは言った。薄ぼんやりとではあるが、ある一点の方角から目には見えない光が差し込んでいるのが分かるとも。


 ──聖王はどこかで生きている。亡国の民が知ったら、泣いて喜ぶことだろう。ヴィルジールは紙の上でペンを走らせながら、ルーチェの話を聞いていた。


 イージスを滅ぼしたのは、オヴリヴィオ帝国の城下にも現れた竜の業火だった。その炎から民を守るために、ルーチェは強大な力を放ち、引き換えに記憶を喪った。


 魔力が枯れ果てるほどの力を使い、真っさらな地と化した場所で倒れていたところを、調査に出向いた帝国の騎士団が見つけて連行し──そしてヴィルジールと出逢ったのだ。


(──あの竜が、全ての元凶だったのか)


 ヴィルジールはペンを動かす手を止め、書類から顔を上げた。


 手を動かしながらルーチェの話を聞いていたのは、見られていたら話しづらいのではないかと思ったからだ。現に幼馴染であるエヴァンとアスラン、身の回りの世話を任せているルシアン以外の人間は、ヴィルジールが目を遣ると話しづらそうにしていた。


 ある者は目を逸らしたり、またある者は声を小さくしていったり。自分には人の気を小さくさせてしまうような何かがあるのは分かっていたが、気を遣うのが面倒だった。


 竜がイージスを滅ぼしたのは分かったが、竜が帝国の城下に現れた理由は何なのだろうか。


「その竜とやらの目的は、やはりお前か?」


「だとしたら、無関係の人を襲ったのは何故なのでしょう」


 ヴィルジールは顎に手を添えた。


「聖女を誘き出す為、と考えるのが妥当だと思うが」


 ルーチェも同じことを考えていたのか、黙ってうなずく。


「わたしもそう思いました。ですが、竜はわたしのことを襲いませんでした。それは何故なのでしょう?」


 城下を襲った、イージスを滅ぼした竜は、ルーチェの姿を間近で覗き込んできたというのに、傷一つつけてこなかったのだ。それどころか、喉を鳴らして笑っていた。


「あの時、竜は俺と誰かを比較していた。奴には劣るが、中々の力だと。もしやその相手は、聖王ではないのか?」


「つまり、聖王様は……」


 ヴィルジールはルーチェと目を見合わせ、頷き合った。ふたりは答えを確かめ合うために立ち上がり、歩みを進める。


「イージスを滅ぼした竜は、聖王と闘った。その場には聖女であるお前も居た。だが、お前は民を守るために、力を使い果たした──というところか」


「竜は、喰らってやったとも…言っていましたね」


 ルーチェの表情が暗くなる。あの日の出来事を思い返しているうちに、嫌な考えが過ぎったのだろう。


 ヴィルジールはルーチェの頭に手を乗せ、ぽんぽんと優しく叩いた。


「そんな顔をするな。聖王が無事でいることは確かだ。お前が感じる光を頼りに捜し出し、何処へと消えた竜を封じる手立てを考えなければ」


 ルーチェの顔が跳ね上がる。ヴィルジールの言葉が意外だったのか、目を丸くさせていた。

 だがすぐに、その顔には泣きそうな笑みが浮かんだ。


「良いのですか…? 帝国の皇帝であられる、ヴィルジールさまが…」


「何を言っている。俺もあの竜には用がある」


 ヴィルジールはルーチェに触れていた手を下ろし、自分の胸から腹部に掛けて手を動かした。今は跡形もないが、そこには竜に傷をつけられたことがあるのだ。 


「いいか、ルーチェ」


 今にも涙を落っことしそうな菫色の瞳が、ヴィルジールへと向けられる。その気持ちを汲み取るように、ヴィルジールはルーチェの右手にそっと触れた。


「お前はもう、このオヴリヴィオ帝国の民だ。民は皇帝が守るべきもの」


「……ヴィルジール、さま」


「だから変なことを考えて、一人で突っ走るようなことだけはするな。何かあったら、必ず頼ると約束しろ」


 一方的に約束を取り付けている自覚はあったが、こうでもしないと、ルーチェが突然消えてしまうような気がして。

 ヴィルジールは思わず手を取って、そう声を掛けずにはいられなかった。



 ルーチェの気持ちが落ち着いた頃合いを見計らって、ヴィルジールは彼女の侍女であるセルカを呼び出した。真下にある庭園に散歩でもどうかと勧めると、セルカはとんでもないものを見たような顔をしていたが、すぐに了承してルーチェを連れて下がった。


 執務机の後ろにある窓から、二人が庭園を歩く姿が見えると、ヴィルジールはルシアンにルーチェの新しい部屋を用意するよう命じた。今度は離宮でも壁一枚向こうの空間でもなく、ヴィルジールの私室と同じ階に。


 ルシアンも変な顔をしていたが、すぐに破顔した。季節は秋だというのに、春が来たなどと意味の分からないことを言って、軽い足取りで部屋を出ていった。


 ヴィルジールは首元のタイを緩め、静かに息を吐ききった。


(……聖王と竜の行方は、俺にはどうすることもできない。捜査をさせるために騎士団を編成するのは容易だが…)


 一国を滅ぼした竜の力は未知だ。騎士団を捜査に向かわせたとして、その先で竜を見つけたとして──それで終わるはずがない。彼らもまた帝国の民であり、この土地に家族がいて、帰る場所があるのだ。


 ヴィルジールは椅子に身体を預け、重い目蓋を下ろした。


(──マーズに一時帰国した、あの魔法使いに訊くべきか)


 イージスに五年いたノエルならば、ルーチェのことだけでなく、聖王や国のことにも詳しいだろう。もしかしたらあの竜のことも知っているかもしれない。


 ヴィルジールは伝書鳥を喚ぶ笛を手に取り、唇に当てた。

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