ルーチェが新しい部屋に移ると、その翌日からヴィルジールと朝食を共にするようになった。
一緒に朝食はどうかと誘いがあった時は驚いたが、ふたりの部屋は同じ階にあり、共に取れば使用人の仕事の効率も良いそうだ。
(──確かに、近くにいるのに別々に取っては、使用人の皆さんも大変だものね)
一緒に朝食を取るようになってから七日目。初日は話題に困ったが、今では一日の予定や城の外のことなど、何の変哲もない話もするようになった。
ヴィルジールは口数が少なく、感情の起伏が乏しい声のせいで冷淡だと思われがちだが、質問には必ず答えが返ってくるし、ルーチェのことも何かと気にかけてくれている。
逢ったばかりの頃は、冷たい物言いをする人だと思ったものだが、本当は優しい人なのだと今なら分かる。
「──それで、近々マーズに行こうと思うのだが」
話題は今の旬の果物から一変、ノエルの祖国であるマーズに行くというものに変わり、ルーチェはスプーンを持つ手を下げた。
「マーズ、ですか?」
「ああ。本当はあの魔法使いに来てもらいたいところだったが、長老とやらの具合が悪いらしく、国から出られないそうだ」
大魔法使いであるノエルには役目があり、おいそれと国外に出ることは叶わないそうだ。だがノエルはルーチェの為に、オヴリヴィオ帝国まで出向いてくれた。今度はこちらの番らしい。
「……良いのですか? 皇帝陛下であるヴィルジールさまが、国を出られるなんて」
「別に初めてのことではない」
ヴィルジールは流麗な所作でグラスを置くと、口の端に笑みを滲ませた。
皇帝に即位してから十年。その殆どの月日を城の中で過ごしているが、民の暮らしを自分の目で見るために、お忍びで出掛けることもあれば、騎士団を率いて視察に行ったり、他国からの招待を受けて公式行事に参加することもあったそうだ。
「二週間ほど城を空けることになる。さすがにエヴァンだけでは持たないから、セシルも呼んである」
「エヴァン様が泣く姿が目に浮かびます」
「その為の宰相だろう」
ルーチェはくすくすと笑った。
「辞表を出されても知りませんからね」
「生憎サインをする気はない」
ヴィルジールがナプキンを置いて立ち上がる。ルーチェも倣おうとしたが、座っているよう手で合図を出された。
「気にせず食事を続けていろ。今日は早くから予定がある」
「そう…なのですね。行ってらっしゃいませ」
ルーチェはコートを羽織るヴィルジールを見上げた。
いつもは食後にコーヒーを飲んでから別れるが、今日はルーチェが果物を食べている途中で、ヴィルジールが切り上げてしまったのだ。
ヴィルジールはささやかな微笑を浮かべると、素っ気なく「行ってくる」と言い、部屋を出ていった。その去り際に、ルーチェの頭に手を置いて。
(……ここ最近、よく笑われるようになった気がするわ)
それはとても良いことだ。彼が笑うと、ルーチェは嬉しくなる。
ルーチェは湯気が立つ紅茶に口をつけた。とても熱くて、舌を火傷しそうになった。
◆
先に食堂を出たヴィルジールを出迎えたのは、すっかり目の下の隈がなくなったエヴァンだった。ここ数日定時で仕事を切り上げているからか、調子も良いようだ。
無論、それはヴィルジールも同じなのだが。
「──おはようございます、陛下。朝食は何を?」
「それは俺ではなく料理長に聞け」
「ええー、目の前に食べた人がおりますのに。わざわざ調理場まで行けと仰るので?」
ヴィルジールは眉を寄せた。鬱陶しい質問は年中されているので慣れっこだが、ここまでくだらないことを訊かれるとは。
「あ! でしたらルーチェ様にお尋ねすることにします。のちほど用事があるので」
「何を馬鹿なことを言っている」
「私はいつだって真面目です」
はあ、とヴィルジールはため息を漏らした。そんなヴィルジールを見て、エヴァンは何か言いたいことがあるのか、顔を背けながら笑うのを堪えている。
「……何だ。何か言いたいことがあるのか」
「ええ。とっても」
「くだらないこと以外なら、聞いてやらないこともないが」
エヴァンが足を止める。頭ひとつ分背が高いヴィルジールを見上げると、顔を綻ばせた。
「では、一つだけ。──ここ最近、お優しい顔をされるようになりましたね」
「誰がだ?」
「貴方ですよ、陛下」
ヴィルジールは無表情のまま、目を瞬かせた。