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第47話


 ルーチェが新しい部屋に移ると、その翌日からヴィルジールと朝食を共にするようになった。


 一緒に朝食はどうかと誘いがあった時は驚いたが、ふたりの部屋は同じ階にあり、共に取れば使用人の仕事の効率も良いそうだ。


(──確かに、近くにいるのに別々に取っては、使用人の皆さんも大変だものね)


 一緒に朝食を取るようになってから七日目。初日は話題に困ったが、今では一日の予定や城の外のことなど、何の変哲もない話もするようになった。


 ヴィルジールは口数が少なく、感情の起伏が乏しい声のせいで冷淡だと思われがちだが、質問には必ず答えが返ってくるし、ルーチェのことも何かと気にかけてくれている。


 逢ったばかりの頃は、冷たい物言いをする人だと思ったものだが、本当は優しい人なのだと今なら分かる。


「──それで、近々マーズに行こうと思うのだが」


 話題は今の旬の果物から一変、ノエルの祖国であるマーズに行くというものに変わり、ルーチェはスプーンを持つ手を下げた。


「マーズ、ですか?」


「ああ。本当はあの魔法使いに来てもらいたいところだったが、長老とやらの具合が悪いらしく、国から出られないそうだ」


 大魔法使いであるノエルには役目があり、おいそれと国外に出ることは叶わないそうだ。だがノエルはルーチェの為に、オヴリヴィオ帝国まで出向いてくれた。今度はこちらの番らしい。


「……良いのですか? 皇帝陛下であるヴィルジールさまが、国を出られるなんて」


「別に初めてのことではない」


 ヴィルジールは流麗な所作でグラスを置くと、口の端に笑みを滲ませた。


 皇帝に即位してから十年。その殆どの月日を城の中で過ごしているが、民の暮らしを自分の目で見るために、お忍びで出掛けることもあれば、騎士団を率いて視察に行ったり、他国からの招待を受けて公式行事に参加することもあったそうだ。


「二週間ほど城を空けることになる。さすがにエヴァンだけでは持たないから、セシルも呼んである」


「エヴァン様が泣く姿が目に浮かびます」


「その為の宰相だろう」


 ルーチェはくすくすと笑った。


「辞表を出されても知りませんからね」


「生憎サインをする気はない」


 ヴィルジールがナプキンを置いて立ち上がる。ルーチェも倣おうとしたが、座っているよう手で合図を出された。


「気にせず食事を続けていろ。今日は早くから予定がある」


「そう…なのですね。行ってらっしゃいませ」


 ルーチェはコートを羽織るヴィルジールを見上げた。


 いつもは食後にコーヒーを飲んでから別れるが、今日はルーチェが果物を食べている途中で、ヴィルジールが切り上げてしまったのだ。


 ヴィルジールはささやかな微笑を浮かべると、素っ気なく「行ってくる」と言い、部屋を出ていった。その去り際に、ルーチェの頭に手を置いて。


(……ここ最近、よく笑われるようになった気がするわ)


 それはとても良いことだ。彼が笑うと、ルーチェは嬉しくなる。


 ルーチェは湯気が立つ紅茶に口をつけた。とても熱くて、舌を火傷しそうになった。



 先に食堂を出たヴィルジールを出迎えたのは、すっかり目の下の隈がなくなったエヴァンだった。ここ数日定時で仕事を切り上げているからか、調子も良いようだ。

 無論、それはヴィルジールも同じなのだが。


「──おはようございます、陛下。朝食は何を?」


「それは俺ではなく料理長に聞け」


「ええー、目の前に食べた人がおりますのに。わざわざ調理場まで行けと仰るので?」


 ヴィルジールは眉を寄せた。鬱陶しい質問は年中されているので慣れっこだが、ここまでくだらないことを訊かれるとは。


「あ! でしたらルーチェ様にお尋ねすることにします。のちほど用事があるので」


「何を馬鹿なことを言っている」


「私はいつだって真面目です」


 はあ、とヴィルジールはため息を漏らした。そんなヴィルジールを見て、エヴァンは何か言いたいことがあるのか、顔を背けながら笑うのを堪えている。


「……何だ。何か言いたいことがあるのか」


「ええ。とっても」


「くだらないこと以外なら、聞いてやらないこともないが」


 エヴァンが足を止める。頭ひとつ分背が高いヴィルジールを見上げると、顔を綻ばせた。


「では、一つだけ。──ここ最近、お優しい顔をされるようになりましたね」


「誰がだ?」


「貴方ですよ、陛下」


 ヴィルジールは無表情のまま、目を瞬かせた。

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