大陸の最南に位置する魔法大国・マーズに到着したのは、城を出てから五日後のことだった。
最短ルートで行けばもっと早く着けたそうだが、その為にはイージスの地を横断する必要がある。敢えて東の国の国境沿いを通って行くことを選んだのは、ルーチェへの配慮なのだろう。
「──ここがマーズの中枢か」
国境の関門を越え、不思議な外観の街をいくつか抜けると、マーズの心臓部である巨大な黒い城が聳え立っていた。
城の各所ではためいている旗は、マーズを象徴するものだ。赤地に黄金色の月が描かれている。
馬車を降りた二人は、共に青色の衣装を着ていた。ルーチェは聖女らしく、神聖な雰囲気を感じさせるものを。ヴィルジールはオヴリヴィオの紋章が入ったマントを羽織り、清廉な礼服を身に纏っている。
自動的に開かれた門を潜ると、上空から炎を纏う虹色の鳥が降りてきた。流石のヴィルジールも驚いたのか、目を丸くさせながら鳥を眺めている。
「……何だ、この鳥は。昔本で見たことがあるような気がするが」
ルーチェは笑って頷いた。
目の前にいる虹色の鳥は、魔法使いや精霊を題材にした本に、必ずその名や姿が記されている。伝説上の生き物とされているが、幸運なことにルーチェはその翼に触れたことがあった。
「久しぶりね、フェニックス。ノエルの代わりに迎えにきてくれたの?」
ルーチェが差し出した手に、橙色の嘴が軽く触れる。焔に包まれているというのに、不思議と熱くはない。寧ろ心地いいと感じる微睡むような温度だ。
「あの魔法使いの手下か?」
「ふふ、ヴィルジールさまったら。フェニックスは手下ではなく、ノエルの友達ですよ」
聖獣だけでなく精霊──それも伝説上の生き物とされているものまでもを友達と呼ぶルーチェに、ヴィルジールはもう驚かなかった。ルーチェらしいとさえ思う。
フェニックスに続いて、他にも不思議な生き物が現れた。彼らは揃ってルーチェに挨拶をするように何かをしては去っていく。そうしているうちに、城の内部への入り口と思われる大きな扉が開かれ、中から人が現れた。
「──聖女! 氷帝!」
現れたのはノエルだった。嬉しそうに手を振ってから、二人の元へと駆け寄ってくる。
「久しぶりね、ノエル。元気だった?」
ルーチェはふわりと笑ってから、胸元で手を重ね合わせながら、祈りを捧げるように頭を下げた。
ヴィルジールにとっては初めて見る礼法で。けれどもノエルにとっては久しぶりに見たものらしく。
「……記憶、戻ったの…?」
ノエルは碧色の目をこれでもかというくらいに見開きながら、ほろりと声を落とした。
顔を上げたルーチェは、花開くように笑っていた。イージスで共に過ごしていた頃も、帝国で顔を合わせた時も、どちらも同じルーチェだが、ノエルにとってはそうではなかったようで──。
「っ……、聖女ッ!!」
ノエルはルーチェの胸に飛び込み、わあっと声を上げて泣き出した。
その姿を見て、ヴィルジールは腕を組みながら溜め息を零す。
「……泣き虫だったのか」
「うるさいなあっ…。アンタに俺の何が分かるんだよ」
「分かろうとも思わないが」
ついでに言うと、分かり合おうとも思わない。そう二の句を紡いだヴィルジールだったが、抱きしめ合う二人を見る目は優しかった。
「ごめんね、ノエル。私のせいで…」
「どうして聖女が謝るの?」
「私のせいだから。私にもっと力があったのなら、ファルシ様は……」
ルーチェは涙を堪えるために口を閉ざした。
全てが起きたあの日のことを思い返すだけで、胸が潰れそうになるのだ。まだ誰にも打ち明けられそうにない。
ノエルはルーチェを元気付けるように、ぽんぽんと肩に優しく触れ、それからとびきりの笑顔を飾った。
「一番近くにいた貴女が、誰よりも辛い想いをしたのはわかってるから。……早く長老に顔を見せてあげて。聖女に会いたがってるんだ」
ルーチェは唇を引き結んで、強く頷いた。
マーズは魔法使いの国と呼ばれている。国を治める王はいないが、遥か昔に精霊の王と約束を交わしたと言われている一族が統治している。その一族の長が長老と呼ばれ、人と精霊を繋ぐものを大切に守ってきたそうだ。
帝国の人間であるヴィルジールも、その側近であるエヴァンやアスランも魔法を使えるが、彼らは魔法使いではない。
この世では、精霊の力を借りて魔法を発動させる者を魔法使いと呼び、それ以外の者には魔術師や治癒師といったふうに、“師”と付けられる。
「──遠路遥々よくぞ来てくださった。オヴリヴィオ帝国の皇帝陛下、イージス神聖王国の聖女よ」
マーズの長老は長い銀髪がよく似合う、黒いローブを着た男性だった。彼をノエルは“じいさん”と呼ぶが、そう呼ぶにはそぐわない見た目をしている。
(い、一体おいくつなのかしら…)
見たままを言うならば、年齢はヴィルジールとそう変わらないように見える。挨拶を交わして以来、じっと見入っているルーチェの視線に気付いたのか、長老はくすくすと笑った。
「私はこう見えて、貴女方の三倍は生きていますよ」
「さ、三倍…!?」
「ええ。私の一族は精霊の血が混じっているので、長寿なのです」
とはいえここ最近は腰が痛むのですが、と笑う長老は、どこからどう見ても若い青年しか見えなかった。