「よし、じゃあ……何か作るか」
守は冷蔵庫のドアを開けた。
中には、昨夜買い置きしておいた卵、冷凍のうどん、少しばかりの豚肉。
調味料の引き出しから、麺つゆ、しょうゆ、みりんを取り出す。
「この人数にしては……材料、ギリギリだな」
苦笑しながら台所に立つ。
簡単、早い、温かい。
こんなときには、うどんが一番だと守は思った。
「じゃあ、うどんだな」
包丁を握ったそのとき――
「オヤジ!」
リビングから、優が顔を出した。
「ネギとかタマネギ、入れないでくれ!」
「……ん?」
「ほら、コイツら、元は犬だろ? 一応な……玉ねぎとか、犬には毒だからさ」
優は気まずそうに頭をかく。
守はその言葉に、思わず小さく感心した。
「……ああ、わかった。ありがとな、優」
「べ、別にいいけどさ」
顔を背ける優の横で、三姉妹がきょとんとこちらを見つめていた。
──
冷凍うどんを熱湯で解凍し、ザルにあげる。
鍋にたっぷりのお湯を張り、麺つゆとみりんを加え、香りが立つまで火にかけた。
ジュウゥゥゥ……!
油をひいたフライパンで、豚肉を炒める音が響き、
香ばしい匂いが台所いっぱいに広がる。
うどんがぐつぐつと煮える音。
リビングからは、ミーナのうっとりした声が聞こえた。
「……いい匂いだぁ」
クンクンと鼻をひくつかせながら、ミーナが台所に近づいてくる。
鍋の中をじっと覗き込んでいた。
「……ミーナ、うるさい」
ヘレナが呆れたように注意するが、ミーナは「えへへ」と笑ったまま動かない。
その後ろでは、ヘレナがテーブルへ目を向ける。
優が教科書を広げ、難しそうな数学の問題に向かって黙々とペンを走らせていた。
(……たいしたもんだな)
守は、心の中でそっと優を褒めた。
さらにその奥では、セリナがぼんやりとテレビの歌番組に聴き入っている。
「……歌、きれい……」
ぽつりと漏らすその声は、リビングの喧騒の中で、ひときわ柔らかく響いた。
──
「よし、もうすぐだぞー!」
声をかけながら、鍋に炒めた肉を加える。
肉の脂が広がり、出汁にさらにコクが加わる。
そこへ卵を落とす。
ぷるぷると波打つ白身と、つややかな黄身。
「……完成!」
盛り付けたどんぶりから、湯気がふわぁっと立ちのぼった。
三姉妹は目を輝かせて、うどんを見つめている。
「は、早く食べよ!」
ミーナが飛び跳ねるように叫び、
「はい、みんな座れ!」と守がどんぶりをテーブルに並べる。
三姉妹はわたわたと席に着き、
優も教科書を閉じた。
「じゃあ……いただきます!」
「いただきまーすっ!!」
ミーナが一番大きな声で宣言し、
ヘレナとセリナも、ちいさく頭を下げた。
──
三人は箸を持った――
いや、正確には、なんとか持とうと奮闘していた。
ヘレナは比較的スムーズに箸を操り、
ミーナはぎこちなく、それでも楽しそうに箸を動かしている。
問題はセリナだった。
「……っ、んん……」
小さな手で箸をぎゅっと握り、麺を掴もうとして――ぴろん、と落とす。
何度も挑戦しては落とし、今にも泣きそうな顔になる。
「ほら、セリナ、こうだよ!」
ミーナが見本を見せるが、その持ち方も怪しく、思わず笑いを誘った。
「大丈夫だよ、セリナ。焦らなくていい」
守が優しく声をかけると、
セリナは真っ赤な顔で必死に頷いた。
──
ずずずっ!
守がうどんを勢いよく啜ると、三姉妹もそれを真似る。
ずるっ……ぷはぁっ!
ミーナは勢いあまって顔をびしょびしょにし、
「ん~~っ! おいしぃ~~っ!!」と叫んだ。
「……温かい……」
セリナがそっと呟き、
ヘレナも無言で小さく頷く。
夜勤明けの体にも、あたたかいうどんがじんわりとしみわたっていく。
守は改めて思った。
こういう夜が、どれだけ尊いかを。
──
「なあ、そろそろ、呼び方決めようぜ」
うどんをすすりながら、優がぽつりと提案した。
「呼び方?」
「そう。オヤジと俺、それぞれどう呼ぶか」
ヘレナが箸を置き、静かに頷く。
「わたくしは、守さまを――“お父様”とお呼びしてもよろしいでしょうか?」
守は思わず噴き出しそうになるのを堪えた。
「そして、優くんは“優くん”と」
「“くん”付けかよ……」
優が顔をしかめたが、ヘレナはきっぱりとした顔で頷いた。
──
「じゃ、ボクは!」
ミーナが手を挙げる。
「おとうさん! って呼ぶね!
優は……ユウ!」
「ユウって……」
優は頭を抱えたが、ミーナの無邪気な笑顔を前に文句を飲み込んだ。
──
「……わ、わたしは……」
セリナが、おずおずと手を挙げる。
「守さんは……パパ……
優さんは……優さん……って」
「パパ……」
守の胸の奥に、きゅっと小さな痛みが走る。
そんな呼び方、どれくらいぶりだったろう。
(……いいじゃないか)
守はそっと微笑んだ。
──
うどんを啜る音と笑い声。
温かい湯気が、リビングいっぱいに満ちていく。
ミーナは豪快に食べ、
ヘレナは丁寧に味わい、
セリナは小さな口で、懸命にうどんをすする。
「……んぐ……!」
セリナが麺を顔にぺたんとくっつけ、
優が思わず吹き出す。
「……ぷっ……セリナ、顔にうどんついてるぞ」
「っ、あうう……」
耳まで真っ赤になりながら、セリナがうどんを取り除く。
ミーナがけらけら笑い、ヘレナは苦笑しながらナプキンを差し出した。
自然と、みんなの顔に笑みが広がる。
──
窓の外では、まんまるの満月が静かに輝いていた。
異世界から傷だらけで迷い込んできた三姉妹。
何があったのか、どうしてここに来たのか、
まだ全部はわからない。
けれど――
今、ここに。
こうして、湯気の立つうどんを囲みながら、笑い合えている。
それだけで、十分だった。
──
「なあ、オヤジ」
優がふと箸を止め、言った。
「……案外、悪くないかもな。こういうのも」
照れくさそうに、それでもどこか嬉しそうに。
「だろ?」
守が笑い返す。
「これから、きっと大変だけどな」
「……だな」
優が肩をすくめる。
三姉妹も、それぞれ微笑んでいた。
──
ヘレナがふと顔を上げ、静かに言った。
「……あの、お父様」
「ん?」
「これからわたくしたち、どうすればいいのでしょうか」
リビングに、一瞬、静かな間が落ちる。
「帰る方法は、今のところ、わかりません」
ヘレナが続け、
ミーナがきゅっと唇を結び、
セリナが、小さな声で呟いた。
「……ここに、いても、いい?」
守はしばらく黙ったあと、ゆっくりと微笑んだ。
「……ああ。
帰れる方法が見つかるまででも、
それが見つからなくても――
君たちは、ここにいていい」
優も、少し照れながらも確かに頷いた。
そんな中…。
「ねぇ、おとうさん」
ミーナがちょこんと手を挙げる。
「……おかわり、ある?」
その無邪気な言葉に――
守も、優も、三姉妹も、思わず笑った。
満月の光に包まれた夜。
新しい家族の物語は、静かに、そして確かに――始まっていた。