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第4話 うどんと呼び名

「よし、じゃあ……何か作るか」


守は冷蔵庫のドアを開けた。


中には、昨夜買い置きしておいた卵、冷凍のうどん、少しばかりの豚肉。

調味料の引き出しから、麺つゆ、しょうゆ、みりんを取り出す。


「この人数にしては……材料、ギリギリだな」


苦笑しながら台所に立つ。

簡単、早い、温かい。

こんなときには、うどんが一番だと守は思った。


「じゃあ、うどんだな」


包丁を握ったそのとき――


「オヤジ!」


リビングから、優が顔を出した。


「ネギとかタマネギ、入れないでくれ!」


「……ん?」


「ほら、コイツら、元は犬だろ? 一応な……玉ねぎとか、犬には毒だからさ」


優は気まずそうに頭をかく。


守はその言葉に、思わず小さく感心した。


「……ああ、わかった。ありがとな、優」


「べ、別にいいけどさ」


顔を背ける優の横で、三姉妹がきょとんとこちらを見つめていた。



──



冷凍うどんを熱湯で解凍し、ザルにあげる。

鍋にたっぷりのお湯を張り、麺つゆとみりんを加え、香りが立つまで火にかけた。


ジュウゥゥゥ……!


油をひいたフライパンで、豚肉を炒める音が響き、

香ばしい匂いが台所いっぱいに広がる。


うどんがぐつぐつと煮える音。


リビングからは、ミーナのうっとりした声が聞こえた。


「……いい匂いだぁ」


クンクンと鼻をひくつかせながら、ミーナが台所に近づいてくる。

鍋の中をじっと覗き込んでいた。


「……ミーナ、うるさい」


ヘレナが呆れたように注意するが、ミーナは「えへへ」と笑ったまま動かない。


その後ろでは、ヘレナがテーブルへ目を向ける。


優が教科書を広げ、難しそうな数学の問題に向かって黙々とペンを走らせていた。


(……たいしたもんだな)


守は、心の中でそっと優を褒めた。


さらにその奥では、セリナがぼんやりとテレビの歌番組に聴き入っている。


「……歌、きれい……」


ぽつりと漏らすその声は、リビングの喧騒の中で、ひときわ柔らかく響いた。



──



「よし、もうすぐだぞー!」


声をかけながら、鍋に炒めた肉を加える。

肉の脂が広がり、出汁にさらにコクが加わる。


そこへ卵を落とす。

ぷるぷると波打つ白身と、つややかな黄身。


「……完成!」


盛り付けたどんぶりから、湯気がふわぁっと立ちのぼった。


三姉妹は目を輝かせて、うどんを見つめている。


「は、早く食べよ!」


ミーナが飛び跳ねるように叫び、

「はい、みんな座れ!」と守がどんぶりをテーブルに並べる。


三姉妹はわたわたと席に着き、

優も教科書を閉じた。


「じゃあ……いただきます!」


「いただきまーすっ!!」


ミーナが一番大きな声で宣言し、

ヘレナとセリナも、ちいさく頭を下げた。



──



三人は箸を持った――

いや、正確には、なんとか持とうと奮闘していた。


ヘレナは比較的スムーズに箸を操り、

ミーナはぎこちなく、それでも楽しそうに箸を動かしている。


問題はセリナだった。


「……っ、んん……」


小さな手で箸をぎゅっと握り、麺を掴もうとして――ぴろん、と落とす。

何度も挑戦しては落とし、今にも泣きそうな顔になる。


「ほら、セリナ、こうだよ!」


ミーナが見本を見せるが、その持ち方も怪しく、思わず笑いを誘った。


「大丈夫だよ、セリナ。焦らなくていい」


守が優しく声をかけると、

セリナは真っ赤な顔で必死に頷いた。



──



ずずずっ!


守がうどんを勢いよく啜ると、三姉妹もそれを真似る。


ずるっ……ぷはぁっ!


ミーナは勢いあまって顔をびしょびしょにし、

「ん~~っ! おいしぃ~~っ!!」と叫んだ。


「……温かい……」


セリナがそっと呟き、

ヘレナも無言で小さく頷く。


夜勤明けの体にも、あたたかいうどんがじんわりとしみわたっていく。


守は改めて思った。

こういう夜が、どれだけ尊いかを。



──



「なあ、そろそろ、呼び方決めようぜ」


うどんをすすりながら、優がぽつりと提案した。


「呼び方?」


「そう。オヤジと俺、それぞれどう呼ぶか」


ヘレナが箸を置き、静かに頷く。


「わたくしは、守さまを――“お父様”とお呼びしてもよろしいでしょうか?」


守は思わず噴き出しそうになるのを堪えた。


「そして、優くんは“優くん”と」


「“くん”付けかよ……」


優が顔をしかめたが、ヘレナはきっぱりとした顔で頷いた。



──



「じゃ、ボクは!」


ミーナが手を挙げる。


「おとうさん! って呼ぶね!

 優は……ユウ!」


「ユウって……」


優は頭を抱えたが、ミーナの無邪気な笑顔を前に文句を飲み込んだ。



──



「……わ、わたしは……」


セリナが、おずおずと手を挙げる。


「守さんは……パパ……

 優さんは……優さん……って」


「パパ……」


守の胸の奥に、きゅっと小さな痛みが走る。

そんな呼び方、どれくらいぶりだったろう。


(……いいじゃないか)


守はそっと微笑んだ。



──



うどんを啜る音と笑い声。

温かい湯気が、リビングいっぱいに満ちていく。


ミーナは豪快に食べ、

ヘレナは丁寧に味わい、

セリナは小さな口で、懸命にうどんをすする。


「……んぐ……!」


セリナが麺を顔にぺたんとくっつけ、

優が思わず吹き出す。


「……ぷっ……セリナ、顔にうどんついてるぞ」


「っ、あうう……」


耳まで真っ赤になりながら、セリナがうどんを取り除く。


ミーナがけらけら笑い、ヘレナは苦笑しながらナプキンを差し出した。


自然と、みんなの顔に笑みが広がる。



──



窓の外では、まんまるの満月が静かに輝いていた。


異世界から傷だらけで迷い込んできた三姉妹。

何があったのか、どうしてここに来たのか、

まだ全部はわからない。


けれど――


今、ここに。

こうして、湯気の立つうどんを囲みながら、笑い合えている。


それだけで、十分だった。



──



「なあ、オヤジ」


優がふと箸を止め、言った。


「……案外、悪くないかもな。こういうのも」


照れくさそうに、それでもどこか嬉しそうに。


「だろ?」


守が笑い返す。


「これから、きっと大変だけどな」


「……だな」


優が肩をすくめる。


三姉妹も、それぞれ微笑んでいた。



──



ヘレナがふと顔を上げ、静かに言った。


「……あの、お父様」


「ん?」


「これからわたくしたち、どうすればいいのでしょうか」


リビングに、一瞬、静かな間が落ちる。


「帰る方法は、今のところ、わかりません」


ヘレナが続け、

ミーナがきゅっと唇を結び、

セリナが、小さな声で呟いた。


「……ここに、いても、いい?」


守はしばらく黙ったあと、ゆっくりと微笑んだ。


「……ああ。

帰れる方法が見つかるまででも、

それが見つからなくても――

君たちは、ここにいていい」


優も、少し照れながらも確かに頷いた。



そんな中…。


「ねぇ、おとうさん」


ミーナがちょこんと手を挙げる。


「……おかわり、ある?」


その無邪気な言葉に――


守も、優も、三姉妹も、思わず笑った。


満月の光に包まれた夜。

新しい家族の物語は、静かに、そして確かに――始まっていた。

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